(長文です) 建築は哲学ですか?など
趣味の芸術としての建築には興味があるですが、全くの素人です。
無秩序に多くの質問を並べた上に、抽象的過ぎて成り立っていない質問も削除せずそのままにしています。
乱文です。
質問として非礼ですがご回答を頂けると嬉しいです。
もちろん一部のみのご回答で結構です。
よろしくお願いいたしますm(__)m
建築のデザインには設計した方の哲学的なアプローチがあり、建設物はその産物なのでしょうか?
そうであれば、その考察を文章にすることは可能なのか、可能であれば文章にするとどういった感じになるのか、建築家の例をあげて教えていただけると嬉しいです。
また、その哲学的考察は文学や詩や絵画のように、(建築の)批評家による批評が成り立ちますか?
さまざまな制約から建築物に設計者の哲学を表現できなかったとしても、設計者はそれに不満を持ち、自分の頭の中では常に考え続けているのでしょうか?
一般的に、建築物の“装飾”や“外観(フォルム。狭義での“形”)”には『意味』や『根拠』が必要ですか?
サッカーではプロよりも素人のほうが試合中に無駄にテクニックを披露したり、そういったブラジル人選手が批判されるように、「ただこの形が美しいと感じたから」といった突き詰めていないものはどのような分野でも批判があると思いますが、建築の場合も批判があるのでしょうか?
「奇をてらった」外観、またはそのような建築は存在しますか?
海外建築家による、アルミの筒を並べたような銀色の美術館がありますが、あの外観はどういった考えに裏打ちされた外観なのなのでしょうか?
また、その建物を写真でしか見たことがないのですがとても美しいとは思えません。どこが評価されているのでしょうか?また、建築を写真だけで判断するのはナンセンスですか?その場合、なにがどうナンセンスでしょうか?
例えば、“偉大な建築家!”などと呼ばれる場合、彼らは芸術の分野と同じく、“新しいこと”をしているのでしょか?
建築における“発想(または、新しいコト)”とはどういった人によるどういったものがあるのか、例をあげていただけませんでしょうか。
●●氏は、~を上から吊るすことで、~な効果を出し、その後の~の建築に影響を・・・等。。
(コルビジェ、バウハウス、の存在は知っています)
また、その“新しさ”は絵画や文学やファッションや音楽などの他のあらゆる分野における新しさとは何が違い、例えるなら“他のどの業界の新しさ”に似ていますか?
芸術家によくあるように新しいアプローチがなければ「あの建築家はパクりだ」「新しいことを何もしていない」というような辛辣な批判があるのでしょうか?
全国の大学生の卒業制作のコンテストの本をパラパラと見たのですが私の理解できないようなことを考えている様子でした。また、たくさんの模型やイメージ図がありました。
しかしあんなにも多くの学生ですら持っている多種多様なデザインの建築が現実に存在しないのはなぜですか?
佐藤可士和さんのようなアートディレクターや佐藤卓さんのようなデザイナーによる空間デザインと建築家による空間デザインはどこがどう違うのでしょうか?
建築に、文学や絵画やファッションのように建築家の“世界観”を体現しようとするのは幻想ですか?
建築に“共感”は成立しますか?
成立する場合、どのような存在の仕方がありますか?
建築科(建築家の間違いではありません)が文系では成立しないのはなぜですか?
(幅広い回答を得られるよう、美術のカテゴリでも質問しています)