【意識と經驗】
夢は潜在意識で見る(經驗する)といわれています。
覚醒状態の意識を顕在意識というらしい。
潜在意識と顕在意識との関係は海の水面出た氷山の一角と水面下の膨大な氷山という関係であるという人もいます。
そしてこの潜在意識というのは意識されなくても常に機能しているとのことです。
私たちは睡眠中に夢を見ます。
睡眠中は覚醒(顕在)意識が機能していないのだそうです。
そして覚醒(顕在)意識での経験を現実というらしい。
私自身はこの分析と整理に対して全面的にはなるほどとは思えないのです。
何か忘れている、違うのではないかと。
【質問】
1. 潜在意識と顕在意識とを分ける境界としての海の水面とは現実世界というのでしょうか。そ うならば、意識全体としてはその境界はどうなっているんでしょう?
2. 潜在意識は意識してない世界でしょうか?
そうならば夢は意識のない經驗なのでしょうか?
夢と現実とはどこが違うのでしょう。
何かを經驗しているならば夢だって意識が働いているのではないでしょうか。
3. 夢經驗と現実經驗の違いってなんでしょうか。
今みなさんも私も現実世界の現実經驗の最中ですよね。それは夢ではないというですね。ど うして夢ではないと認識することができますか?
古来、胡蝶の夢が話題とされています。私も夢と現実を考えているんです。
昔から、夢の話は多いですね。邯鄲の夢とか熱病で南国の住民になったらそれは家に来る燕の世界だったとか。
上記の質問にお答えいただきたいのですが、気が付いたことでも関連的随筆でも結構です。
夢についての何でもコメントを歓迎しお待ちしております。
お礼
補足欄への追加補足です。 >睡眠時に意識が退行しているとは言えないと思います。 確かに、日中の知覚と睡眠中の「夢」とは性格が異なるものではありますが、自分に視覚的・体感的(感覚的)に働きかけてくる「夢」を認識しているのは、「意識(自分自身)」ではないのでしょうか?
補足
今、フロイト「夢判断」の最終章なのですが、序章での指摘の通り、夢は『意識』の延長線上にあるもののような気がします。 しかし、彼らは「夢の舞台は、覚醒時の表象生活の舞台とは別のものである」との理解のようで、『覚醒⇔夢』・『意識⇔無意識』のような「対極」で見ていると理解しました。 その中間的な位置づけとして、前意識(記憶)が艀の役割を果たし、無意識の欲求と結びつき、前意識自体の検閲などにより転移や逆転が起こり「奇妙な感覚」=幻覚や幻像というものが起こるとしています。 質問文における1.は、意識と前意識?が混在した状況で、2.は前意識あるいは無意識の状態、3.においては、『無意識』と理解していますが、この解釈は正しいでしょうか?