私の大雑把な理解ですが、夢の源泉となるものには、
1、外的刺激:サイレンの音や光など
2、内的刺激:心臓が悪いなど内面的・体質的要因
3、心理的刺激:記憶に基づく連想
などに分けることが可能かもしれません。
ですから、夢分析は、夢を見た人の状況、すなわち、生育歴や交際歴、家族関係、さらに彼らに対してどのような感情を持っているのか、近々の行動(特に当日の日中)などなど、細部まで良く知っていないとなかなか難しいもののようです。
夢というのは未来を予測するものでは決してなく、過去の記憶からの連想にすぎません。
夢占いとはまた別種のものと言えます。
主に興味深く取り上げられるのは上記の3、心理的刺激と言えるでしょう。
心理的刺激による夢とは、(特に当日の日中)本人が活動中に得た経験が要因となって、それまでに蓄積されていた脳内記憶が刺激され、睡眠時に様々な連想を伴ないつつ湧き起こってくるものです。
夢が願望の表現である、という場合の「願望」は広義なものと解釈するとわかりやすいと思いますし、またそれが実際のところではないかと考えます。
端的な例を述べてみます。
Aさんには、Bさんという片思いの女性がいました。
どちらも家族持ちでBさんは人妻という立場です。
Aさんが惚れていることをBさんは知りません。
またAさんもお互いの家庭を壊すのは本意ではなく、普段はなるべく忘れるようにしていました。
ある日の昼下がり、Aさんは偶然ある曲を聴きました。非常に印象に残るメロディーで切ない恋の曲です。
その日の夜眠ってからAさんは同居している自分のお母さんが死ぬ夢を見ました。
この場合、心理的刺激(=昼間聞いた曲)によってお母さんが死ぬという夢を見た、と分析することが可能な場合もある、ということです。
Bさんに対して封印していた思い(=記憶)が曲によって刺激され、どうしてもBさんに会いたい【願望】が夢を見させたわけです。
お母さんが死ぬと、Bさんが葬儀に参列することはほぼ間違いありませんから、Aさんは確実にBさんに会える、ということになります。
このように夢(と言っても自らの脳のしわざですが)というのは歪曲や置き換えを良く行いますが、これは願望自体が殆んど意識によって抑圧されたものである場合が殆んどだから、ということが可能と思われます。
この歪曲や置き換えは肝心な点だけに行なわれる場合もあれば、全体的に行なわれる場合もあるようです。
睡眠中でも意識による検閲(ここでは社会的道義性など)が皆無になるわけではなく、それを避けて夢(=願望)を何とか実現させようとする苦肉の策と言えるでしょう。
分析がなされず夢だけを聞くと、Aさんはわが母を殺したいと願っている怖い人になってしまいますが、必ずしもそういう点における願望ではなかった、ということです。
願望という要素が多いのはこういった意味ですが、結局は、抑圧されているものを引き出して再現することによって精神のバランスを取ろうとする生体の自己防衛のための脳内活動。
というように私は理解しています。
素人ゆえ科学的裏づけはありませんので、その点はくれぐれもご了承ください。
お礼
ありがとうございます。 そういえば友人が転校すると聞いた時はショックでしたし、よく遊びに行った友人の家族も出てきました。 mike_226様は専門家のようですが、夢占いというのはやはりマユツバものですか?