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大乗仏教の利点
こんにちは 大乗仏教について現在調べているのですが、大乗仏教の他宗派、他宗教に比べての利点としては何が挙げられることができるでしょうか? 最も考えられるのはその多くの人々を教化することができる、また救うことができるということだと思われますが、この点、またその他の点においても興味深い意見お待ちしております。 よろしくお願いいたします
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釈迦は、 偶像崇拝を否定していましたが、 死後、数百年経て、仏像が作られました。 同様に、 修行でのみ悟りが得られると説いたのに、 死後、数千年経て、仏にすがれば救われる、と説かれています。 大乗仏教は、 為政者が、釈迦の教えを取り込んで、人心を掌握しようとする宗教です。 メリットは、 権力者にとって、人々を洗脳できる。 お金が集まる。 修行を強要されないので楽。
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- magga
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まったくの私見なので役に立つか解りませんが。 テーラワーダを学んでいますが、私には今のところ一般的に言われる大乗仏教の利点を理解することが困難です。 八正道の内にあるものなら理解できますが、外になると意味が解らなくなってしまいます。 たとえば自分を清めることよりすべての生命に良い影響があると思うのですが、「それよりも他を救うことが大事」という人がいたり、「実践しなくともそのままでいいんだ」という人がいたり… 理性・論理性・道徳性・実証性が認められないものに対して「考える」事自体困難なことです。 何か参考になれば幸いです。
その後、回答がないのでチョット・・・ 1 “自利”のみ、もしくは“利他”のみではなく、自他共に利する“自利利他”が目的。 2 すべての者が救われる(成仏する)。 3 じつは、もうすでに救われている。 簡単に言えば以上の3点が大乗仏教の特徴です。この3点が利点といえば利点でしょう。 修行の形態や政治利用、世襲制、死者の供養等は直接大乗仏教とは関係ありません。 また、大乗非仏論は当初からありましたが、釈迦の精神は大乗そのものであるとされています。
- echo-sun
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時の権力者が利用したかどうかはわかりませんが(利用しなかったとも言えないと思います。) 厳しい修行とやさしい修行の違いもあるでしょうが 大乗と小乗の大きな違いは、 小乗は、自分自身の修行のみで悟りを得る。 大乗は、自分自身もさる事ながら(教化し法に結ぶ。・・自己の修行の一端であるととも)に教化された者も悟りを得るタメに修行し、 教化された者が(救われた)と喜びに感じていることを 教化したものもまた喜びと感じることが出来る。(自己と他者の喜び) お互いに精進する→自他ともに悟りを得ることが出来る。 ただ、この精神をお釈迦様が説いてはいないとするならば 今日の仏教はなかったかと思います。 ・・お釈迦様が悟りをお開きになられた時、しばらくは法を説かず 帝釈天が再三にわたって法を説くことを懇願したとされているからです。 法を説く・・自己の喜びにとどまらず他者へ・・大乗の精神の始まりかと。 ・・それまでも出家者は各々厳しい修行をしていた・・ それをご覧になりその崇高さに心、うたれ、お釈迦様も出家されたとされています。 この回答を閲覧されていらしゃる方で、ご気分を害するようことがありましたら、寛大にご容赦していただきますようお願いします。
- vincero
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大乗仏教は厳しい修行をしなくても救われるというものです。 日蓮宗は「南無妙法蓮華経」と題目をあげることで救われると言い。浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と念仏をあげることで救われると言われています。これらは大乗仏教です。 キリスト教も大乗仏教のようなところがあります。イエス・キリストを信じるだけでその人は救われると、キリスト教では言われています。 これらの宗教は厳しい修行は必要がなく、誰でも信じれば救われるので多くの人に受け入れやすく、信者になる人が多いですね。
大乗仏教は世襲制が多いですね。 血族、派閥重視、お家制度があるのかも。 宗教は非課税だから他人に譲りたくないのかな。 これも妻帯を禁じ、自明灯をより所にすると説いた 原始仏教と異なっている気がするのですが。 小乗仏教にはお墓、戒名をつけるという風習がなく、 出家してもあまり儲からないけど いくら景気が悪くなっても 死者を祭る気持ちはお金に替えられないから 信じてするなら 葬儀することで大乗仏教の宗教家は儲かり、 檀家は故人に、はなむけが出来て気が楽になります。 仏教の信者にとってのメリットは神頼み出来ることです? 神道の神様はたしか願いを叶えてはくれません。 神様は感謝するものなのです。
お礼
お返事ありがとうございます 為政者が人心を掌握するために用いたというのはなるほどと思います。 ただ、釈迦の教えからは離れたものとなっているのですね。