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言葉の感覚
うーん・・・何と言ったらいいのか分かりませんが 日本語と、他の外国語って、私的に何となく感覚が違うのすが、それが何なのかぴんと来なくて、それで最近思ったのですが例えば外国語でひとつの単語であらわせる意味でも、日本語では名詞と品詞を組み合わせて・・・みたいなかんじでものの表し方が違うと言うか・・・?・・・ 誰かなにかワタシによい回答を( -人-)
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使われる単語の数が、言語によって違う。日本語は、 1万語覚えると、使われる語の90%が、理解できる。 英語は、5000語で、使われる語の96%から97%と、千野 栄一先生の外国語上達法に書いてあったと、おもいます。
- Ryu831
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ご期待の回答と全く異なってしまったらすみません。 感覚が違うのは当然で、それはその言語に、民族の習慣や考え方が反映されているからではないでしょうか。 ある表現をしたいと思ったとき、その表現をどう言語にして表すか、、それぞれの言語を話す民族によって様々です。 一つの単語で表すのも、複数の品詞を組み合わせるのも、民族により違いますし、単語だけでなく、話す語順、時制、敬語の用法なども大きく異なります(英語と日本語を見れば明らかですね)。 さらに、狭い範囲の名詞などでしたら、日本語と1対1の対応で翻訳可能だと思いますが、ある程度幅があると、もうその外国語の単語や文は日本語と完全に一致した翻訳が不可能になり、一番近い意味をあてがうだけになります。例えば、韓国語のよく知られた挨拶は「アンニョンハセヨ」といいますが、これは朝昼晩問わず使われます。この時点で日本語との対応が不可能です。さらに言えば、英語の「good morning(良い朝を)」と日本語の「お早う」も挨拶する時間帯が同じであるというだけで、語の意味としては厳密には全く対応してません。 また、聞きかじりの話ですが、エスキモーは「白」を表す単語がどんな「白」かによって何種類もあるということです。 すなわち、感覚が違うと感じられるのは、言葉そのものがそれを話す集団の習慣や思想が反映されているためだと思うのですが、どうでしょうか。
- IXTYS
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我が家では、家族全員で『ヒッポファミリークラブ』に入り、11ヶ国語を楽しく学びました。 私は2002年のワールドカップで、横浜市の通訳ボランティアをしました。 英語とスペイン語です。 言葉は山みたいなもの。 何故、昇る? どこにあるから。 外国語って出来たからって、別に何の得になるというほどのものでもありません。 それは一見むつかしそうな、数学の問題と同じ。 出来てみれば『なあんだー、そんなことー』って程度の事ですよ。 数学の答って『0』って意外に多い。 外国語も何か、この『0』に似ている。 人生、似たような事って結構ある。 登山だってそう。 『こんな苦しいもん、二度とするもんか』と思うのだが、頂上に立った途端、それまでの苦労がどっかへ飛んで行ってる。 語学もそう。 やるからには、見通しの利く頂上には立って欲しい。途中で下山するのって、悔しいではありませんか。
質問の趣旨がはっきりしませんが、#1、#2さんの回答も参考に私に意見を。 私はフランス語が得意なので、フランス人向けの本で英語をやり直しています。パターン的にはその逆の方が多いでしょうけど。(それさえも絶対数が多いとは思えませんが、、、) 言語というのは日本語と英語を比べただけでは 際立った違いしか感じないはずです。でも、もう一ヶ国語も学ぶことで、もっと広い見方が出来るようになります。日本語、英語、フランス語を比べた場合、英語とフランス語は似ていて日本語だけかけ離れていると誰でも思うでしょう。確かにそうです。でも、日本語と英語に共通していて、フランス語だけ違うということもあります。 また、私の場合は、フランス語から英語を見ることで 日本人には気付きにくい英語の特徴も感じることができました。 ・・・もう少し趣旨をはっきりさせてから再度質問を出されたらどうでしょう。
感覚は違うと私も感じます。 私が曲がりなりにも知っているのは英語とスペイン語ですが(どちらもまだまだかなり曲がってます)。 同じことを言うにも表現の仕方が違います。 日本語だと人を中心に言うところを、英語だと物を主語にするときとか… 単純に、単語だけ見ても、日本語だと虹は「にじ」で、私は何でニジと言うのか知らないんですけれども。 これを「空の弓」空の弧?というように言う言語がありますね。英語、スペイン語、多分フランス語も… 私は英語をうまく喋れませんけれども聴く&読むのはある程度できるので、頭の中でおもいっきり日本語思考しながら英語で一生懸命喋っている日本人を見ると、「日本語で考えてそのまま直訳してるな」と分かります。私の頭の中も日本語ネイティブだから共感&理解できるんだと思いますが(笑) なんと言うのか、まわりくどく長い話の進め方というのか…… 逆に英語のほうが細かく面倒という部分もあるみたいですが。 スペイン語版の『星の王子様』を読んで「へえ、こうやって言うんだ、日本語と違うなあ」と思ったことがあります。 素敵な表現でした。 感覚は大事だと思います。
- adaypajimy
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誰にとっても身近な英語を取り上げてみますが…学校教育の英語ほど、間違った学習の仕方はない、というようなことは囁かれます。根本的に違う言語であるのにもかかわらず、日本語と英語を見比べて勉強していることに、無理が生じている、ということです。 日本語と英語は一対一で接続できるわけではないので、日本語と比較して英語を覚えることは、無理にできているのです。(英語教育批判の本が世間に出回りまくっているのを見れば一目瞭然です) 例えば英語の授業で「make」という単語を"作る"と覚えさせられますが、makeには"作る"という意味意外にも、多様な意味があり、"作る"という意味はmakeのある1部の意味にすぎません。ここに執着していると英語は上達しません。 英語脳とか英語耳とか、いろいろな書籍がありますが…根本的に違う言語であるので、英語は自国語に還元しないで、英語として把握するような学習法が進められています。違和感を感じたら、英語対日本語に拘らないで、英語を英語として勉強することを考えるという事が大切なのだと思います。 「単語帳はつくるな」とか「文法にこだわるな」という文句もよく効きますが、あなたの言う事の、別表現と言えるでしょう。日本語とリンクさせすぎる徒労に終わるので、まずはそこから抜け出さなければならないのかもしれません(英語を勉強しはじめた、自分への宣言です)。
お礼
回答ありがとうございました。 向け出せるかな・・私
お礼
回答ありがとうございました。 参考になりました!