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渡世人について
江戸時代に渡世人は金に困ると土地の親分に仁義をきると泊めて食事させてもらったり、また渡世のためのお金をもらったりしたのですか?まあ腕がよくて名うてじゃないといけないのかも知れませんが。
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たぶんですけど ○○一家というのも現代のように○○組系○○一家って系列は有ったと思いますよ 叔父貴とか呼び名があるんですから 当然組長同士の兄弟盃も合ったろうし 何の伝も無いところには中々泊めては貰えないのでは? 渡世の義務が有るとは書いて有りますけど↓ 昔も親分子分での上納金制度はあったでしょうから子分が世話になれば親分衆は同系列の組への世話代見たいな物も有ったと思いますよ 当然でかい組は其の系列に世話になるのはお構いなし逆に親筋に当たる組に世話になれば何でもするし其の親分への上納金も上がるのではないでしょうか。 現代でも○○組からの預かり客分だから気兼ねなく遊んで行ってくだせぃなんてことはあるみたいだし。 話は少し違うかもしれませんが 板前の世界では最近は少なくなりましたが 会という物があって店と喧嘩等をして飛び出した若い衆は会の二階でごろごろしてるなんてことも有りました。その間の食い物は会が面倒を見てくれて職も探してくれる 勿論働けば紹介料を払わ無ければいけませんが地方とかに行く時も 付き合いのある会への紹介状を書いてくれる その代わり干されれば其の回状も廻ります。 同じ助っ人に行っても自分の親方が力が有ると力の無い親方の弟子より仕事もしなくて良いし例え自分の方が若くても手間も多くもらえたりします。 ヤクザに限りなく近いシステムなのできっと昔からそうなっているんだと思います。 因みにヤクザも兄貴筋の預かり客分は出入りには参加しなくても良いそうです。(参加されて死んだりされたらそれこそ大事です。それでもどうしてもやるって人も多いみたいですけど)
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その辺の事情に興味がおありなのでしたら、 長谷川伸 「ある市井の徒ー越しかたは悲しくもの記録」(中公文庫) がおすすめです。 明治17年生まれの作者ですから、 語られている作者の体験は、江戸時代のものではありませんが、 明治の中頃までは江戸時代の風習も色濃くのこっていたので、およそ似たような事情だったのでは。 仁義を切られても、与える仕事がないようなときは、一宿一飯の便宜とつぎの飯場を訪ねていくための路銀を与えた、といったような話などが盛られています。
お礼
やはり路銀を与えたりするのはあったのですね、ありがとうございました。
- poponponpo
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タダで泊めてもらえるわけではないよ。 基本的には「一宿一飯」だけで、イヤ~なお仕事をすすんでしなければならず、果たし合いなどにも先頭で切り込んで行くことになります。 普通の人なら命がいくつあっても足りないような仕事を何回もこなさなければならないので、街道中に名前が知れ渡るようになるか命を落とすか二つにひとつです。
お礼
命がけの嫌な仕事がお礼ですね、ありがとうございました。
お礼
なかなか専門的な知識ありがとうございました。勉強になりました。