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お金と戦争の関係
歴史的に見て、貨幣経済ガ始まる以前に戦争が起きたという記録はあるのでしょうか。
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ANo.1さんと似たようなものですが、「戦争」の定義によると思います。 専業の兵士の発生は、明らかに貨幣経済が発達してからですし、また、貨幣経済による商工業の発達及びそれらによる経済規模の拡大が、「傭兵」や「職業としての兵士」を養うために必要不可欠であったと言えます。 つまり、貨幣経済発達前では小規模な争いだったのが、貨幣経済発達に伴い、より大規模になっていったのです。 閑話休題 貨幣経済発達前でも、インカ帝国など、「金」等を利用した物々交換の時代でも、争いの歴史は残っています。 また、「貝」等で貨幣の代用とした史実もあります。 小さな「ムラ」同士の争いを戦争と言うなら、「史記」「十八史略」等の史書、また、考古学の本でも、そういう記述はあります。 「貨幣経済」を「製造した貨幣」を使用したもののみを言うのか、代用品や付加価値、高価値を持つものを仲介とした物々交換まで含めるのか、そして、戦いの規模や対象によっても「貨幣経済ガ始まる以前に戦争が起きた」という前提条件が変化すると思います。
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- eqw-102
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日本では、 魏志倭人伝で、日本アルプス以北は毛人の土地で、 邪馬台国の支配力が無いとされています。 その時代から、大和朝廷の記録や遺跡の調査から、 2~300年ぐらいで「征夷」で東北の一部まで蝦夷は追いやられています。 (これは案外計画的に一方的にやっちゃってます。 ^_^;) 国家ではなく、 文化、宗教、言語などの違いや、従わない。支配地の増加の目的、危険の排除など、 理由はさまざまです。 シルクロードで中央アジアで繁栄していた国家は、 殆どが他国からその利益を狙われ、滅んでいます。 これは、貨幣経済ではなく、物々交換、金銀財宝などの物の価値の時代ですが、 戦争の理由は、経済的な理由ですね。 日本では、織田信長が選銭令を出します。 この頃、日本では、宋銭を輸入していました。 割れた宋銭はこれだけの価値。 ヒビの入った宋銭はこれだけの価値。 この時代までは、ニセ金が相次ぎ、純粋な金や銀かどうかなどアテにならなかったようです。 (殆ど相手にされません) 宋銭や金銀より、物々交換が主流でした。 この時点で、ようやく物価と言う物が決まったようです。(安定した貨幣の供給) 古代ギリシアが発展したのは、敵対する国家から防衛するために、 同盟した小国家群から防衛費を徴収した為です。 その一部(半分以上??)を大神殿などの建築に流用した為、あれだけの栄華を誇った訳です。 縄文時代は殺人自体が殆ど行われなかった。 弥生時代以降、国家が形成され、青銅器の盾、矛が製造された頃ではないでしょうか? 世界的にみても、国家が形成され、青銅器の盾、矛が製造された頃、他国の侵略や、奴隷化などが始まったようです。
お礼
ためになる知識をありがとうございました。
- jamiru
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えっと・・・。 ローマ帝国と皇帝が存在していたとき。 兵役は土民がほとんどでした。 しかし、中世ヨーロッパにおいて富豪は 貴族、寺院、王族が不動の物でした。 しかも固有の土地も持っていました。 ここに中世騎士の封建制が混じっていました。 つまるとこ、余程の事でない限り戦争はしません。 国家の荒廃による戦争が基本でしたね。 しかし13世紀の大航海時代になると一変します。 この封建制度が崩壊し始めたのです。 商売でたくさんの個人が金持ちになり始めたのです。 この頃から貨幣経済が形成されてきますね。 世界初の銀行も出来始めた頃ですし。 そしてこの成り上がりの人間は固有の領土を持たないために、封建制の騎士は持ち合わせていません。 そうなると固有の武力を求め始めます。 ここから「傭兵」が表に出てくるようになりました。 傭兵を持ってしまったら最後。 人間は闘いを求めるようになりました。 商人が王族、貴族、寺院、地主よりも力をつけ、武力まで持つようになった。 固有の領土を持たない以上、商人は商売が繁盛しなければなりません。 ここで死の商人が出てき始めます。 死の商人にとっては「戦争」こそ最高のビジネス。 戦争の無い平和な世界は許される物ではありません。 しかも、真っ当な商売よりも儲かる。 この大航海時代以降、ヨーロッパは長い紛争の歴史を刻みます。 そして今も紛争だらけ・・・。 大航海以前の戦争は平和と安定を目的としましたが、 大航海時代以降は戦争を自発的に求めるようになったのです。 「傭兵」は今でも世界各地で活躍?中ですね。
お礼
戦争の自己目的化の原点が経済体制にあるのかな、という疑問に対して洞察を加えていただきありがとうございました。
- m41
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私も戦争の定義によるとは思いますが。 動物は大古の昔から戦争をしているのではないですか? 良い餌場をめぐって群れ同士でけんかをすればそれは戦争と呼べるのではないかと・・・ それが全面戦争でなくともボス同士の戦いは良くあるのではないでしょうか? それによって縄張りが決まるのですから現代と余り変わりないかと思うのですが。
お礼
人間の愚行を超えた視点をお示しいただき、ありがとうございました。
- koon1600
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貨幣経済が・・・となると、リディア(前7世紀、トルコ)が貨幣を鋳造して以降の話となるのでしょうかね・・・? もっとも、経済的に貨幣経済と呼べるものは中世まで存在しないのですが・・・実際に江戸までは代替貨幣がほとんどです。 実際に貨幣というと、貝や石、物々交換に近いものも貨幣として考えられているので、そうなるといつから始まった代物かが難しくなります。発掘を基礎とする学問の論議対象ですから。 いわゆる経済における貨幣経済は、日本では中世末なので、それ以前の戦争はすべて貨幣経済より前の戦となります。 貨幣が鋳造される以前の戦争なのか、いわゆる物に価値を付加した貝殻とかの原始貨幣時代以前の戦争なのか、それともいわゆる貨幣経済浸透前の戦争なのか、それによって線引きが大きく変わってしまいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 貨幣経済という用語の定義を深く考えておりませんでした。 物々交換の時代に比べ、貨幣の出現で人間の物欲の上限が取り払われたことが、他民族への侵略行為を加速させることになったのかどうか、というのが質問の動機です。
- mogurayama
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こんばんは♪ 面白い質問ですねえ 戦争の定義にもよりますが 日本においては食料の備蓄が可能になる頃から 複数人対複数人の争いがあったようです。 239年 邪馬台国が魏へ使いをおくる。 683年 最古の銭貨使用 ってことは、 岩井の乱あたりも貨幣経済が発達したとは 言いがたい時期だったかもしれません。 あまり詳しくなくてすみませぬ。 世界も調べてみたくなりました。^^
お礼
ご回答ありがとうございました。 貨幣にしろ戦争にしろ、形態が進化してきているので、用語の定義次第で時代がいくらでも変わってしまうのですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。とても参考になりました。