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社会の矛盾

矛盾とは「辻褄の合わない破綻した論理」といいますが、これが存在しているのが世の常で御座います。 私は以前、「この世の人間全てが幸せになれば平和になる」と信じ、身近で困ってる人を救う事がその第一歩と考えました。 しかし、現実はシビアな事に救ったはずの彼らに裏切られ、全てを失うという結果を招きました。 イエスの言葉に「金持ちが天に昇るのは、らくだを針に通すより難しい」という言葉がありますが、貧困出の政治家などが平気で汚職を繰り返す様を見ると、この逆もまた然りなのではないでしょうか。 苦労した人間は、人一倍「苦しみ」「辛らさ」を知っておりますが、その逆にそれらを避けようとする意思も強く、簡単に欲望や誘惑に屈してしまいます。 むろん、そうでない人々もいますが、全体的に見るとその数は実に少なく、また力も弱いのが現状で御座います。 私も含め、自らが救おうとしている人間は同時に何所までも愚かで、災いを生み出す原因でもあります。 そのうえ、最低なのはそれらが一部の者によって引き起こされ、他の者までもが台無しにされてしまう事です。 やはり人間は、遺伝子レベルにおいて種そのものが変わらない限り、永遠に腐敗は増殖し続け、欲望の連鎖を断ち切る事は不可能なのでしょうか。 この事について、皆さんの闊達な御意見を伺いたく存じます。

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  • hakobulu
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回答No.5

◇ 人にとって最も重要なのは「精神的自立」であろうと思います。 いや、確かに他にももっと大事なことはあるでしょうが、それらも恐らくは精神の自立があって初めて獲得できるものであろうという意味です。 ◇ この自立した精神が自己実現という実感を得た時、人は幸せを感じるのだろうと思います。 ただ、この精神の自立は自ら獲得してこそ身につくものでしょう。 「>身近で困ってる人を救う事がその第一歩と考えました。」 というのは崇高なお考えと思います。 しかし、救う目的は相手を幸せにすることですから、相手が自分の力で精神の自立を達成できるように他者が関わる、という非常に難しい構図にならざるを得ないように思います。 救われたということが負い目になるばかりでなく、自立の機会を奪われたと認識することも十分にありうるということです。 苦しいからこそ助けてもらったはずなのに、乗り越えようとすれば乗り越えられたと判断され、その達成感を奪われたばかりか、救われなければならなかったほど自分は劣った人間だという劣等感まで持たされたと逆恨みされることもあるかもしれません。 確かに身勝手なことかもしれませんが、この辺は無意識領域の作用になるように思います。 ◇ 私は、他者を救うということは、他者を対等の人間として認めるということではないかと考えています。 ですから、何かしてあげるという意識はあまり持ちません。 「救わなければならない」とも思いません。 しかし、「救いたい」と思うことはあります。 ただ、その場合は【~したい】という自らの欲望にすぎません。 自らの欲望に従って他者が喜んでくれるのであればそれに越したことはない、といった程度の認識です。 無理はしませんし、無理することは相手を束縛することになると考えています。 このようなことを言っていますが別に何か人を救うようなことをしたわけではありません。 あくまで机上の空論と言って差し支えない程度の話です。 重い経験をされたらしいご質問者の方には虚しく響くかもしれません。 それを思うと私も虚しくなります。 お許し下さい。

maddog
質問者

お礼

>「精神的自立」 仰るとおりで御座います。 ですが、この第一段階でさえ難しく、放棄している者が殆どで御座いましょう。 そもそも、人は本当に幸せを望んでいるのか?単に苦難を避けているだけではないのか?皆が望む幸せとは本当は何なのか?、と考えてしまいます。 >救われたということが負い目 そうなのかも知れません。 しかし、助けなければどの道恨まれた事でしょう。 しかも、極端な例になると人道的・道徳的に見過ごせない場合があります。 そうなると、人はどんどん「無関心」になっていくばかりです。 悲しき人間の性で御座います…。 >机上の空論 いえいえ、立派な哲学で御座います。 大変参考になりました。 >他者を救うということは、他者を対等の人間として認めるということ 私は「特別な事」をしていると思わず、「普通の事」と思っておりました。 しかし、それがある時「当たり前」ではなく「厄災の種」となりました。 一体、人間は何がしたいのか? それとも、何も考えていないのか? 平凡な私にはもう分かりません。何だか疲れてしまいました…。 ご回答有難う御座います。大変参考になりました。 稚拙な質問で申し訳ありません。

その他の回答 (7)

noname#31063
noname#31063
回答No.8

良い時だけの協力者を友人・仲間とはいいませんよね。 >救ったはずの彼らに裏切られ、全てを失う… これは「恩を仇で返す」ともいいますが 「必ず報われる前提にあるのが悪意」なので善意のない争いが連鎖するし、 それも良かれとしていても「報復を期待していた悪意」であるからですよ。 「give and take」もやられたらやり返すの報復思想ですね。 それが素晴らしいものだということなんでしょうか? フェアプレーで善意は報復を期待しないで行うこと。 やらせて貰って嬉しいとか、ありがたいの感謝がないなら最初から無理しないこと。 競うなら、負けたら勝者を称え喜んであげること、残念会でもして楽しく過ごすこと。 勝ったなら、なおのこと相手を思い遣って自粛する。 これこそ矛盾でしょ?「辻褄の合わない破綻した論理」を国家レベルですれば 戦争も特権階級者の悪意もなくせますよ。 辻褄を合わせようとしている悪意から悪意が増殖するのではないかと思う。 善意に因果応酬はありえません!だから善です。

maddog
質問者

お礼

まだまだ苦悩は尽きませぬが、皆様の闊達な御意見を頂き、感ずる事も御座いますので一旦締め切らせて頂きます。 システム上、2人にしかポイントを差しあげられないので、実に悩みましたが勝手に選ばせて頂きました。 他の方も聡明なご意見をお持ちだとお見受けしておりますので、ぜひ気にされる事がなきよう自信を持ってお望み下さいませ。 闊達な御意見、実に有難う御座いました。

maddog
質問者

補足

>それも良かれとしていても「報復を期待していた悪意」であるからですよ。 仰ってる意味が平凡な私にはよく理解できないので、詳しい解説をお願いしたく思います。 >「give and take」もやられたらやり返すの報復思想ですね。 全く違うと思いますが。 >競うなら 善意は競争と同じではありません。 どうも、miko-desiさんの仰りようは、論理が飛躍し過ぎていて、凡人の私にはここまででしか解読できません。 論理が破綻しているように思えます。

noname#117439
noname#117439
回答No.7

人に奉仕しても裏切られると言う点に関してはナイチンゲールの伝記か研究書でも読んで頭から追い出してください。 煩悩とは悪意に由来するもので非人間的感情です、 煩悩を振り払った真実の人間性とは別にこれ以上進化しなくても仏そのものです。 21世紀は調和と共存の時代になると確信しています。 20世紀のようなだましあい奪い合う歴史を繰り返してはこれ以上は立ち行かなくなりますから。 人類が人として生きている事実とその英知を私は信頼しています。

maddog
質問者

お礼

ナイチンゲールとはまた…。 確かに偉人ではありますが、世間一般で言われている人物像とは遥かにかけ離れた部分もあります故、詳細は控えさせて頂きます。 >21世紀は調和と共存の時代になると確信しています。 まったくもってそうなって欲しいと、痛く願うばかりです。 せめて確証たる現実を見たいものです…。 希望に満ちた御意見、有難う御座います。 そうなって欲しいと願っております。

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.6

恩を仇で返すような目にあわれて、強く落胆されている様子が感じられました。 ご質問の後半にある、「最低なのはそれらが一部の者によって引き起こされ、他の者までもが台無しにされてしまう事です」について、共感します。平和な町に、たったひとりの殺人鬼が紛れ込んだだけで、秩序は危うくなり簡単に恐慌が訪れます。平和はそれほど壊れやすいものなのだと思います。 しかし、中ほどで書かれている「簡単に欲望や誘惑に屈して」しまわない人々が、「全体的に見るとその数は実に少なく、また力も弱いのが現状」という部分には同意しかねます。“常に”欲望や誘惑に屈しない人というのは稀だと思いますが、人は“おおよそ”苦労の味を知っており、他人の苦しみや辛さを“おおよそ”想像する能力を持っています。それがまったくない人という方が稀でしょう。 ご質問を読んで、私の脳裏に浮かんだのは、エントロピーの法則と生物進化の法則です。熱力学的には、時間の流れとともに秩序が崩れる方向へ進むのが物質の理なのですが、生物はそれでも変化を続け、自ら秩序を作り上げてきています。何億年も続く歴史を経て現在に至る生命は、私の主観ではまだまだ捨てたもんではありません。二つの力は、妙な言い方ですが、伍しているようにも見えます。 ご質問者が何百回続けて手ひどい裏切りにあわれたのか分かりません。どれほどのものを失われたのかも知りません。私など、ただ一回の親友の裏切りでも、世の中を恨むような人間です。おそらくそのときは、自分の周囲数メートルしか視界に入っていないのでしょうね。数キロ先から励ましてくれている友人の言葉は聞こえていないのだと思います。そのときの私は、世の中の災いの部分だけを切り取って傷口にすり込んでいるのだと思います。 災いの連鎖は、種の問題ではなく、観察者である私の問題だと思うようにしています。今、私は比較的平穏なので、こんなことが書けます(^^;

maddog
質問者

お礼

>平和はそれほど壊れやすいもの 事実、1発の銃声で市街が戦場となり、市民が兵士となる事象が少なくありません。 平和が如何に大切で、貴重で、重大ありながらあまりに繊細で壊れやすいのです。ガラス細工のように。 >人は“おおよそ”苦労の味を知っており、他人の苦しみや辛さを“おおよそ”想像する能力を持っています それ故に、欲望や誘惑に屈してしまう人が多いと感じております。 “常に”とまでは、流石に私も申してはおりませんが、自らの過去を振り返り欲望や誘惑に屈しなかった事を、指で数えられる人間が多いのではありますまいか。 >(趣旨は違いますが)の法則 実は私も同じ事を考えておりました。正直、驚きで御座います。 ただ、以前似たような質問をさせて頂きました時(趣旨は違いますが)に、哲学カテに相応しくないとのご指摘を受けましたので、あえて今回は控えさせて頂きました。 ただ、私はエントロピー増大の法則が破られた事がないように、人間の歴史を振り返ると同じことの繰り返しであり、地球環境の悪化などを考えるとやはり、破る事はできないのではまいかと懸念しております。 しかし、理論上エントロピー増大の法則は秩序たる事もあるらしいので、baihu様の仰いますよう生物進化の法則が伍しているようにと私も願いたいです。 流石に私も何百回とまではいきませんが、ただ、何十年も続けていると、やはり疲れてしまいます。 しかも、文字通り財産や未来を含め、自分の全てを破壊されてしまいますと、もはや現実を受け入れざるをえないのです。 興味深い回答、実に有難う御座います。 baihu様の平穏が末永く続く事を、心より祈っております。

maddog
質問者

補足

すみません; 「>エントロピー増大の法則」が「>(趣旨は違いますが)の法則」と何故かなってしまい、申し訳ありません(汗) ご容赦下さいませ;

  • galluda
  • ベストアンサー率35% (440/1242)
回答No.4

がると申します。色々と思うところもありまして、少々視点を変えつついくつか。 > 「この世の人間全てが幸せになれば平和になる」と信じ、身近で困ってる人を救う事がその第一歩と考えました。 とありますが。まず幸せってなんでしょう? また、困っている人を「救う事」が本当にその人のためになるのでしょうか? またご自身が行った行為は本当に相手を「救う」行為だったのでしょうか? そも「救う」とはなにを指してそういうのでしょうか? ご自身がどうであるかは、詳細を知らないのでわかりませんが。 いくつかのケースで、 ・「自分にとっての幸せ感」を相手に押し付けるが故に相手にとってはむしろ迷惑となり ・或いは「全てに手助けすることで相手が学習するチャンスを失わせ」 ているような状況を見ています。 また幸せについてですが。#2さんもおっしゃっている内容にはなるのですが。多くの人は幸せを「比較」によって手に入れます。 他人よりも昔よりも今よりも。その「幸せという何かを勝ち取る闘争」に勝利し続ける限りにおいて、果たしてそれは幸せな状態なのでしょうか? あなたが与えたい「幸せ」ってなんですか? もう一つ気になるのが > もう、救おうとか考えなくなりました。 この一言。傲慢のにおいを感じるのは気のせいでしょうか? 救うとは、或いは救われるとは、どんな状態なのでしょうか? 救いとは「自ら見出すもの」であって、間違っても他者が「与えられる」ものだとは思えないのですが。 ただできるのは手助けであり、それすらも「もしかすると」有害である可能性を常に孕んでいるように、私には感じられます。 とある修行者がいまして。その修行者は一生ずっと、一人っきりで寂しく過ごしていたそうです。その修行者が息絶える直前、見かねた別の修行者が抱きしめたそうです。 「せめて最後は人のぬくもりの中で息絶えて欲しい」 修行者は答えたそうです。 「ああ、私の孤高の生涯を、その最後を、どうか貴方のぬくもりで汚さないでください」 さて。修行者にとっての「救い」はなんだったのでしょうか? ぬくもりを知らないことはさぞや不幸なことでしょう。 生涯を貫き通した孤高を最後まで貫けないのはとても無念なことでしょう。 あなたが与えたい「救い」ってなんですか? 私はいつでも人間の暗部を見ます。増殖し続ける腐敗と欲望の連鎖を大切にします。それは、腐敗と欲望の奥底に、多分一番ゆるぎない、人として素晴らしい「何か」があると信じているので。 パンドラの箱のそこにある、たった一つ残された神からの賜りもの。その名前をおぼえてらっしゃいますか?

maddog
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 お気持ちは分かりますが、もう少し大人になり様々な体験をし経験を積めば、いずれ私の言いたかった「現実」が見えてくる事でしょう。 「理想」は大切でありますが、重要なのは「苦難」を目の当たりにしても、それでもゆるぎない「信念」をお持ちであるかどうかです。 お先にお待ちしております。

maddog
質問者

補足

>困っている人を「救う事」が本当にその人のためになるのでしょうか? 明らかに不当な災難に、本人が対処できない場合は必要なのでは? >幸せってなんでしょう? 少なくとも、本人が何らかの理由で不幸のどん底にあるよりは、困難が解決し苦しみから開放される状態は、幸せを感じているのであれば幸福と言えるのではないでしょうか?(「幸福」についての議論は、カテ違いなので詳細は省きます。) >本当に相手を「救う」行為だったのでしょうか? 自他共に認めている以外に、他にも「条件」が必要なので? >「救う」とはなにを指してそういうのでしょうか? 上記以上の事は凡人である私には分かりませんし、議論はカテ違いなので省かせて頂きます。 >あなたが与えたい「幸せ」ってなんですか? 「幸せ」は他人から与えられるのもではなく、自らが己の力で得るものと個人的に判断しております。 私は窮地に立たされていた人間の手助けをしたつもりです。 >傲慢のにおいを感じるのは気のせいでしょうか? 平民である私には、他に良い例えを知りえません。 あなたの言う手助けに近い意味合いで、使用したつもりですが。 galludaさんの判断でいくと、私も貴方の意見には傲慢を感じます。 >救うとは、或いは救われるとは、どんな状態なのでしょうか? 上記の理由により議論は避けさせて頂きますが、galludaさんの解釈でいきますと、個人的判断によるものではないでしょうか。 >「ああ、私の孤高の生涯を、その最後を、どうか貴方のぬくもりで汚さないでください」 有名なマザー・テレサの体験談ですね。 情報には正確性を。 >あなたが与えたい「救い」ってなんですか? 繰り返しの質問である上に、質問に対し多数の質問で返すと言う、かなり最低ランクに属する返答と判断致しました。 議論や誹謗・中傷をしたいのであれば、他でどうぞ。 よく注意事項をお読みになり、冷静に相手の言葉を判断する事をお勧めします。 特に貴方の意見は、論理性と客観性に欠けており、「言葉狩り」に近いものがあります。 >パンドラの箱のそこにある、たった一つ残された神からの賜りもの。その名前をおぼえてらっしゃいますか? 「未来」と言う「厄災」の事を指しているのですか?

  • angormore
  • ベストアンサー率16% (44/262)
回答No.3

あなたが何を信じているのかいまいちよくわからないので、どういう観点で言って良いかわからんけど、とりあえず一般論で。 周囲の困っている人を救済しようとなさったのは、何か見返りが欲しかったからなんですか? 救おうとする人が愚かだったら、救う必要性がないとお思いなのですか? それとも、愚民は裏切るものだという予測すら出来ないままに、何か名誉を求めて全てを捧げたマヌケなのですか? だったら、偽善はやめときなよ。 個人的には、吉田兼好が言うように、「いつはりても賢を学ばむを賢といふべし」(例え偽善であっても、それを行おうとする姿勢こそが正しいことジャン?)だと思うんだけどね。 (だから、あなたのことを「笑ってしまうんですが」なんて言っといて、自分は何もしないようなやつが最悪なのさ。その点は気にしなさんな。) ただ、自分に余裕が無くなって世を恨むようになってまでやるこたねぇよ。 だって、そうなったら、あなた自身が悪しき存在になるでしょうが。 歴史上の偉大な宗教家、哲学者、啓蒙家は、例え自分が報いられることが無いことがわかっていても、必死だったよ。 自分の死後に自分が評価されるかどうかなんて、どうでも良かった。 キリストは磔で殺されたし、ニーチェは気が狂って死んだし、ユートピアを自費で造ろうとした中世西欧の啓蒙家達は夢破れて失意の中で死んでいった。 でも、その思想は、今に生きていて、それが歴史を作っているのは確かなこと。 彼らがいなかったら、現代は存在しない。 そもそも、自分が生きている時代に理想を成し遂げようなんて発想自体が、不遜なのよ。(オウムの麻原じゃあるまいし。) 今の「比較的自由で生存可能な状況」というのは、報われなかった数え切れない善人の屍の上に成り立っている。 その屍の山の一員に加わるもよし、自分を大切にして生きるもよし。 どっちを選ぼうと、誰も責めはしないよ。 ちなみに、わたしがやってるのは、自分の出来る範囲内でだ。 小市民には、これが限界なのでね。

maddog
質問者

お礼

説明不足でありますところ、どだい抽象的分野でありますゆえ、私の力不足が否めない事は平にご容赦頂きたく存じます。 現世が諸行無常でありますところは、自らが良かれと思ってした事が、かえって仇となります所以です。 己が間違いと確信できるならいざ知らず、倫理的・道徳的に従ったにも拘らず、それが厄災の火種となります事多かりしです。 私は見返りなど求めず、ただただ皆の平等と平和を望んでおりましたが、私のした事がかえって事態の悪化と厄災を招きました。 人は独裁や暴力からの自由よりも、支配される事による困難の回避と、目先の利益を取ります。 しかしながら、個人の利益と幸福のみを追求していきましても、残りまするは社会・構造そのものの崩壊による全体の消失(日本は今まさにこれです)が待っております。 (ニーチェは私もよく読みますが、皮肉なのは彼が書物を残せたのは、まさに苦難の連続だった事そのものでしょう。しかも、殆どの者は書物さえ残せず、屍となるのが現実で御座いましょう。悲しきは暴利を貪るのが本人ではなく、利用した者達という点で御座います) ニヒルでは御座いますが、繊細なお心遣い誠に有難う御座います。 参考にさせて頂きますゆえ、angormore様共々皆が報われる日が来る事を、ただただ願うばかりです。 いつもご回答頂き、有難う御座居ます。

  • KNIGHT11
  • ベストアンサー率21% (82/376)
回答No.2

>やはり人間は、遺伝子レベルにおいて種そのものが変わらない限り、永遠に腐敗は増殖し続け、欲望の連鎖を断ち切る事は不可能なのでしょうか。 仰る通り、人間に「欲」がある限り、不可能でしょうね。 不思議なもので、誰しもが「他の人よりいい暮らしがしたい」「他の人よりいいものが欲しい」といった欲求を持っています。 これは今までの経験云々を越えた、それこそ遺伝子レベルでの何かでしょう。 ポイントなのは「他の人よりも」なんです。 要は「自分が他の人よりも上位である」という優越感もそうですし、人間に欲がある以上、誰かが上に上がればその隣で誰かが下に落ちるわけで、仕方の無いことです。 人間の社会では「お金」というわかりやすい物がありますが、動物の社会では「生きるか死ぬか/食うか食われるか」です。 人間の場合わかりやすいというだけで、この世の生きとし生ける者全てに当てはまると私は思います。

maddog
質問者

お礼

>他の人よりも 人間には他人との協調・集群といった、集団の性質以外に闘争本能・自己保存といった、相反する心理を持ち合わせております。 「進化」というファクターを、個人レベルにおいても要求されている為ではないかと個人的に考えておりますが、この調整いかんによっては矛盾が生じており、種族全体が危機に陥るという一種の「暴走」ととも取れる現象が起きております。 一体何故このような事象が生ずるのかと、その原因が究明できれば、問題の解決に至れるのではないかと見ているのですが、なかなか難しいものです…。 どうも、人間だけが特に突出しているようで…。 実に興味深い御意見、有難う御座います。

noname#113634
noname#113634
回答No.1

あなたみたいな”生きる意味”もわからない人が、人を救おうとか考えることが、笑ってしまうのですが、、、 事実1 困っている人を見たらば、救ってあげたくなる。 そして、救ってあげると、自分はそのことに対し幸せを感じる。 事実2 一般的にだめな人の割合というのは、少なからず存在する。(100匹中サボる蟻が30匹いたとして、その30匹を取り除くと、20匹がサボりだす。こんな実験結果があります。) それだけじゃん。哲学じゃないよ。

maddog
質問者

補足

そうですね、生きる意味が分からなくなりました。 もう、救おうとか考えなくなりました。 では、逆に貴方に質問させて頂きます。 ・救った相手に裏切られたら ・救った相手に冤罪をかけられたら ・救った相手に愛するものを殺されたら それでも貴方は幸せを感じますか? もう一つ、9対1の法則と言うのをお教えしましょう。 社会や機構において、実際に肝心な部分を動かしているのは、1割程度の者という法則です。 この割合が1割を下回ると、全体の数が増えてもそのシステムは崩壊を招くというものです。 哲学とは生きる為の知恵です。 単純な博愛主義支持者とお見受けしました。 貴方の論理・理性が壊れない事を祈るばかりです。

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