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尾崎放哉のような俳句を作りたい
表題の通り、尾崎放哉や種田山頭火のような自由律俳句を作りたいです。 僕は不思議にそんな俳句に心打たれます。 作る時のポイントを教えてください。 「なんにもない机の引き出しをあけて見る」 因みに僕の好きな俳句はこれです。でも、これに季語が含まれてるんでしょうか? これもあわせて教えてください。 よろしくお願いします。
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- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
季節は季語だけがあらわすものではないと思います。 >「なんにもない机の引き出しをあけて見る」 いい感じですね。微妙なリズムがありますし、。僕もいいと思います。季節は春かなぁ。なんか卒業したって感じがします。それとも、「思い出も開けてみれば空っぽ」ってことかな?ないものを見るのに、なんかあるって感じに「意志」を感じます。 >作る時のポイントを教えてください。 あなたが自由でいることです。 自由でいるとは、惑わない、迷わない、囚われないです。 心が打たれるなら、素晴らしいですね。大丈夫だと思いますよ。人にこのように質問しなくても、あなたは十分にかけると思います。なぜなら、心打たれるあなたは自由でしょう?
- chihoko
- ベストアンサー率13% (14/106)
●伝統俳句は季語を必要として定型(575)で詠まれます。 現代俳句は自由律で 季語もあえて問いません。 最短詩形と呼ばれ これ以上短くできない詩を俳句としています。 なんにもない机の引き出しをあけて見る いい俳句ですよねえ。 その行為に含まれる ぽつんとしたしょんぼり感がいいなあ・・・。 ●創る時のポイントですか? いままでみたことも聞いたこともない あたらしい視点の発見 だと思いますよ。既にあるものを繰り返されるのは時間の無駄っぽいでしょ。 あと 叙情を感じる心をもつことですね。 叙情とは 自然にあなたのこころが寄り添う情景のことです。 上の俳句は その行為に叙情を感じたのでしょう。
でたらめに作った自由律俳句と、ちゃんと普通の俳句も作れる人が「どうしてもこれは5・7・5では表せない!」ということで結果的に定型を外れてしまって出来た自由律俳句とでは、読む人が読めば全然違うと思います。 ですからまず普通の俳句が作れるようにならなければなりません。急がば回れで、普通の俳句サークルに入って、初めは周りのみんなと同じように定型の俳句を作っているうち、だんだん自由律も作れるようになると思います。 ピカソだって、抽象画ばかり書いているのではなく、写実的なとってもきれいな女性の絵もちゃんと描けるんですよね。 ちなみにその句は、私は、季語は無いと思いますが...?