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山頭火のあるけばかつこうの「かつこう」は季語?
種田山頭火の「あるけばかつこういそげばかつこう」という俳句ですが、国語の資料集では無季俳句となっていますが、それ以外のネットの俳句データベースや、別の参考書では「季語かつこう、季節夏」とあります。自由律俳句は、無季がメインと聞いたのですが…どちらの方が正しいか教えていただきたいです。解釈の違いでしょうか?
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俳句に季語が必要とされるようになったのは、その成立と関係があります。中世の頃から「連歌」というものが出てきました。それは、五七五・七七・五七五……と続けて七七で終わります。 これが「有心(うしん)連歌」「無心連歌」「俳諧の連歌」等の変遷を経て(このあたり、かなり強引に並べています)江戸時代初期に「俳諧」が成立しました。形式的には連歌の規則を受け継いでいます。 その特徴の一つに、最初の「五七五」(発句という)の中に、必ず季節を表す語句を読み込まなければなりません。その発句がだんだん独立して作られるようになりました。『初しぐれ猿も小蓑をほしげ也』は芭蕉が「奥の細道」の旅の直後に故郷の伊賀に赴く途中作ったものですが、後にこれを発句とした「猿蓑」という俳諧が作られました。(別掲のサイト参照) その後この伝統を踏まえて、長い期間にわたり、「定形・有季」の発句がつくられました。明治になり正岡子規(多分)が、発句に変えて「俳句」という名称を与えました。子規以後も「ホトトギス派」を中心として「定形・有季」の俳句は現在に至っています。 しかし、その伝統の中で「非定型俳句」の運動が行われました。その一人で優れた俳人が「種田山頭火」です。非定型を目指した人には「季語」をも無視した人が多く、ほとんど問題にしなかったでしょう。 定形有季の俳句の中にも、むりやり季語だとしている例も多く(たとえば一茶)、山頭火の句も「季語」だと言えば言えるでしょうね。
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