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種田山頭火の俳句解釈
種田山頭火の俳句解釈 「越えてゆく 山また山は 冬の山」 この俳句について、その解釈と作詩時の作者の状況・出典などについて、教えてください。
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昭和6年12月31日、筑豊本線長尾駅(現在の桂川駅)前の後藤屋から歩いて飯塚まで托鉢した際に詠まれたもので、「行乞記」におさめられた作品。 12月31日の日記には「昨日は寒かつたが今日は温かい、一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ」「『年暮れぬ笠きて草鞋はきながら』まつたくその通りだ、おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年からは新らしい人間として新らしい生活を初めるのである」とあります。 明けて正月の日記には「私が欣求してやまないのは、悠々として迫らない心である、渾然として自他を絶した境である、その根源は信念であり、その表現が句である、歩いて、歩いて、そこまで歩かなければならないのである」とあります。 自分が求めている境地にはまだまだ遠いというのを、自身の托鉢生活とひっかけて、どこまでもモノクロームの同じ景色が続く「山また山は 冬の山」としたのではないでしょうか。そして「冬の山」のしんしんと冷えた静謐な感じに、自分の置かれた環境をあるがままに受け入れる謙虚で静かな心境を託しているのかもしれません。
お礼
nekoirazu 様 早速詳しいご回答いただき ありがとうございました。 「行乞記」に収められた作品ですか、出典が判らず困っていましたので、助かりました。 厚くお礼申しあげます、ありがとうございました。