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戊辰戦争のとき慶喜が大阪城から抜け出したのは何故ですか?

戊辰戦争のとき徳川慶喜が大阪城から抜け出してしまいました。 敵前逃亡とも見えるこの行為で、薩長側を勢いづかせてしまったようです。 慶喜の意図はどこにあったのでしょうか? 4つ考えてみました。 1.あくまで和平にこだわった。 2.体制を整えるため。 3.朝敵となるのを恐れたため。 4.パニックに陥って。 よろしくお願いします。

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  • ewor-03
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回答No.6

源頼朝は、天皇より討伐の院宣を受けますが、 軍隊を率いて京に上り、 院宣を取り消させ、逆に源義経討伐の院宣を出させます。 この事から、慶喜は既にやる気が無かったのだと思います。 大阪城に残っていれば、慶喜を守る為に幕府軍は奮戦し、官軍は相当な被害が予想されます。 官軍が箱根に近づいた時、 小栗が、箱根で挟み撃ちにし、全艦隊を突入させて砲撃を加えれば勝てると進言します。(海から3キロ程度なので砲撃が届く) この時、皆が勝てると賛成しますが、 翌日、勝海舟より、徳川慶喜公の命令、 勘定奉行よりの暇を言い渡され、 1日で自分の国へ帰ります。 ※(赤城山のふもと^^) その後無血開城しますが、金庫には一銭もありませんでした。 官軍は、 現勘定奉行を飛び越えて※元勘定奉行の小栗の元へ向かい、尋問。一言も語らぬ小栗を斬首します。 小栗は、苦しい予算で反対された為、 勝の作る海軍費を調達する為にフランスと生糸の独占販売の契約を結び、 ※600万両を獲得します。 (無から600万両を作る) だから、徳川埋蔵金は、赤城山にあるのだそうです。 ^○^

その他の回答 (6)

回答No.7

徳川家茂が第2次長州征伐のときに大阪城で急死してますよね。毒殺じゃないかと思うんですけど。 このまま大阪城に留まると毒殺される確信を得たからだと思います。 慶喜は隠居後も自宅に毒殺をおそれて、清流にしかすめない「かじか蛙」を飼っていましたよね。オームのサリンガスのカナリアと同じ役割です。

  • aburakuni
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回答No.5

史実と言うより当事者の内面については推測でしかない訳ですが、個人的には2・4は無いと思います。 当時の国際状況から観れば日本にとって最善の結果であった、無血革命ともいえる大政奉還の決定者が何の考えも無く行動をとったとは考え難いからです。 戦争に突入した事自体も、自分のコントロール外の江戸から始まってしまった事態であり、その後の行動は「想定内」の行動であったと思います。

  • ipa222
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回答No.4

3です。 慶喜は、カルト的な天皇崇拝思想の総本山である水戸出身ですから。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.3

当事者でありませんから推測になりますが、 1はあり得ません。 既に軍隊を京都に送りだしたのですから戦いになる事は予想された筈です。 当時幕府陸軍はフランスの援助により近代訓練を受けて強力と考えられていました。 ただ実戦の経験はありませんでしたが・・・ それが意外にも緒戦で散々な敗戦で瓦解したのです。 従って2も期待できなかったのです。 淀藩などの裏切りという事態も起こっていました。 確かに水戸学の洗礼を受けた身として3はかんがえられます。 江戸に帰って謹慎に勤めた事を見れば理解できます。 4が実態だったのだと思われるのは、既に味方も疑わしいと、完全に秘密の内に大阪城を脱出した位です。 敵前脱走が判明すれば味方に殺される危険もあったでしょう。 従って3と4の混在だと思います。

  • mii-japan
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回答No.2

水戸学の刷り込みによる 3 と言うのが大勢と聞いています 徳川光圀以来の尊王思想のため、効果的な対策が打てず、敵前逃亡で自滅(本人は家族として遇されますが)

  • 6dou_rinne
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回答No.1

2と3と4が混合したような状態でしょう。 慶喜は水戸の出身ですから朝敵になるのはできるだけ避けたかったでしょうが、徳川家の当主としてはあの場面では断固として戦うべきでした。 体制を整えるにしてもあの場面では(それ以前の鳥羽伏見でも戦うのか、戦わないのか中途半端な状態で進軍して戦闘に負けましたが。)断固として戦うべきところを、こっそりと逃亡してしまったために徳川が他の士気はがた落ちになってしまい、もうまきかえしの可能性もなくなってしまいました。 これに対して、最悪の場合は天皇を釣れて逃げる準備までしていた新政府側の断固とした意志の前には敗れざるをえなかったといえます。

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