まず清は、後に日清戦争で日本に敗れてしまうように、中身はもうボロボロでした。外国に攻める気力も実力もなかったのです。そもそも清の実力が最盛期だった頃日本は江戸時代真っ最中で、このときに日本の軍事力は実質的にゼロでした。でも、清は日本を攻めることはありませんでした。なぜか?「攻めるほどの価値もなかったから」です。外国を侵略するにはお金がかかります。戦争もある種の商売で、儲からないとやる意味がないのです。日本にはこれといった資源もなければ中国人から見ると「平らなところもほとんどない」ところだったので欲しくもなんともなかったのです。
一方、欧米は多少は興味があったものの、彼らから見ると日本は最果ての地です。日本では大西洋でぶった切る日本が中心の世界地図を使いますが、ヨーロッパでは今でも太平洋でぶった切る世界地図を使います。その地図で見ると日本は「いちばん東の端っこ」です。日本のことを別名極東と呼ぶのはそういう理由です。
軍事的にも、資源の面でも日本にこれといって魅力は何もありませんでした。けれども、欧米列強はどんどん植民地を求めていたので征服するにやぶさかではなかったのですが、ここで日本は幸運に恵まれます。
まず、世界で最も日本に関心を寄せていたアメリカが南北戦争で極東の地にかまけている余裕がまったくなくなります。ペリーで日本を開国させたアメリカがその後幕末史で顔を出さなくなるのはそういう理由です。
また、ヨーロッパでもクリミア戦争というのが起きて極東の小っちゃい国に興味を持つ人が誰もいなくなりました。
そして、アメリカの南北戦争が別の意味で日本に影響を与えます。南北戦争でミニエー銃ってのが一般的になり、小銃の性能が飛躍的に向上しました。そのため、ヨーロッパでは時代遅れとなったマスケット(ゲベール)銃が大量にダブつくことになったのです。
すると、その極東小国日本がその時代遅れのゲベール銃をボッタクリ価格で喜んで買い漁ったのです。何しろ日本の銃は火縄銃からまったく更新されていませんでしたからね。ヨーロッパでは時代遅れのゲベール銃も超高性能銃に見えたのです。
イギリス人やフランス人は、ここで無理にアジアの小国を征服するより、時代遅れの銃をボッタクリ価格で売って一儲けすることを選んだのです。よしんばその銃はヨーロッパ基準では古くて射程距離も命中精度も悪い銃なのでいざこっちと戦争になっても問題ないのです。
また日本がヨーロッパ人が考えているより文明国で、サーベルを腰からぶら下げてる連中がそこらじゅうにいるのも「そこまでして攻めるところじゃない」と思わせた一因にはなったかなとは思います。
戊辰戦争で徳川幕府が敗れたのは、端的にいえば使い物になる自前の近代的な軍隊を持てなかったことに尽きます。それはお金がなかったというのも理由のひとつですし、何より旧体制の牙城である徳川家にとって近代的な軍隊っつーのは「けがらわしい存在」なのですよ。だってさ、欧米文化とかくだらねえとか士農工商とかやってたわけですよ。徳川家にとって正しい軍隊とは「武士によって構成された、戦国時代のような武装の軍隊」ですよ。近代的装備に勝てるわけがないですよね。
江戸幕府でも近代軍を作ろうとはしたわけですが、小姑みたいな人たちが「なんで夷敵の軍隊の真似をすんだよ」って足を引っ張るわけです。
それは別名「時代の流れに取り残された」というわけで、そういうのは国家体制であれ企業であれ生き残れません。
>多くの藩が薩長についたのですか?
戊辰戦争が始まった頃は、ほとんどの藩が「日和見」になりました。「どっちにつく?」「んー、勝った方につこう」となったわけです。それで、鳥羽伏見の戦いで津藩が幕府を裏切ったことで薩長軍が勝ちますと「こりゃあ時代は新政府だね」というわけで雪崩をうって薩長側にみんなついたのです。中央(当時の中央は京都です)の政治事情に疎かった東北諸藩はその時代の流れに乗りそこなってしまいました。