- ベストアンサー
英語の仮定法って?
Gです。 久しぶりに質問させてください。 この糧には英語の教師の方々が多くいらっしゃることがわかりました。 特にそのかたがたに確認していただきたく思うことがありますのでご回答をいただければうれしいです。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?qid=1802048 において「仮定法はIfを使った文章だけではない」とおっしゃる方がおり、私もこちらで「英語」の授業で疑問を持ったことがあったのを思い出しました。 (決してこの情報を書いてくださった方に反論していると言うことはなく私の認識不足であれば直したいと思うので質問させてもらっています) つまり、仮定した状況では、と言う表現方法だけが仮定法ではなく、that節の中で動詞の原形を使われることも仮定法だと教えているのか、と言うことです。 つまり、こちらで教えているsubjunctive (mood)と同じか非常に似ている定義を持っているのか、と言うことです。 似ていれば仮定法はsubjunctiveである、と言えるでしょうが、仮定した状況であれば、と言う表現が仮定法だとするとsubjunctiveのひとつのHypothetical subjucntiveと言うことになるので、この違いは大きなものと思います。 (今の私の仮定法と言う用語の理解ではsubjunctiveとは言い切れない、と言うことです) 英語の授業で仮定法と言う単語は中学・高校でどういうことを意味するように教えることになっているのでしょうか。 できれば英語の教師としての経験を持った方にお願いしたいわけですが、そうでなくても、はっきりした情報をお持ちであれば(ネットからの情報は避けていただくようお願いいたします)教師である必要はまったくありません。 また、この質問は英語と言う言語においての「仮定法」の意味を知りたいので同じ用語でもほかの言語での意味は避けていただくようお願いいたします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは、Gさん。いつもお世話になっています。 自分は現役から離れて既に2年近くたっているのですが、できる範囲でお答えします。 まず、学校や教員によって、仮定法の取り上げ方は異なり、場合により含めたり含めなかったりしていると言うのが、多分、一番妥当な答えだと思います。 なぜなら、そもそも、指導要領がその辺をあいまいにしているからです。 以下に、ネット上にあった指導要領の該当部分をコピーします。 高等学校学習指導要領 イ 文法事項 (ア) 不定詞の用法 (イ) 関係代名詞の用法 (ウ) 関係副詞の用法 (エ) 代名詞のうち,itが名詞用法の句及び節を指すもの (オ) 動詞の時制のうち,現在完了進行形,過去完了形,過去完了進行形,未来進行形及び未来完了形 (カ) 受け身のうち,助動詞+受け身のもの (キ) 仮定法のうち基本的なもの (ク) 分詞構文のうち基本的なもの ということで、具体的にどこまでを含めるかについては、明示していません。 次に教科書を見ると、自分の手元には尚学図書のQuest2しかないのですが、それでは、that節の原形は取り上げていませんでした。 自分は進学校での経験がないので、あまり詳しく文法を解説した経験がありません。ただ、幾つかのサイトで指導計画などを見ると、 that節で用いられるshouldの用法 というものを、仮定法とは別に取り上げているところがありますから、あまり仮定法と結び付けてはいないように思います。 一番可能性が高いのが、 that節で用いられるshouldの用法をやるときに、これは、仮定法の一種と考えるのだと解説する形です。
その他の回答 (5)
- puchi555
- ベストアンサー率65% (59/90)
Gさんに温かいお言葉をいただけて、こちらこそ感激いたしました。 私のお友達のアメリカ人の方で、「僕は教えることが天職だと思っているよ。 たとえたった一つのことしか知らなくても、 そのたった一つのことを誰かに伝えたい、という情熱に駆られるんだ。」 と仰って、私もそのようにありたい、と感動しました。 実はGさんはその方に似ていらっしゃるなあ、と密かに思い申し上げていました。 私は、今まで、大人から子供まで教えた経験がありますが、 どれだけ生徒を夢中に出来るか、力のつく授業が出来るか、毎回真剣勝負ですね。精神的武道? 教えていて、生徒さんからも、今まで考えたことも無いような疑問、質問をして頂いて、 大変勉強させて頂きました。 生徒さんの真剣な気持ちにお応えして、疑問、質問、アドバイスの要求 には誠心誠意お答えしてきましたが、 担当を離れた後もアドバイス通り学習を続けてくれるかどうかは、 生徒さん本人次第ですので、 必ずしも講師の努力=生徒の実力向上でないところに教えることの難しさもありますね。 Gさんの、「100%できるわけではないですが、1%でもいい影響を与えることができたら」 というお言葉、私も全く同じ思いです。 このフォーラムも、私には大変刺激になります。 意見に対する真摯且つ理知的な反論は、より良い回答に至るために 必要だと思いますが、ほかの方の意見に対して正当な根拠も示さずに、 人格否定的な意見を書かれる方もおられて、残念ですね。 顔の見えないネットの落とし穴だな、と思います。 Gさんはそういった方と数多く対峙なさってきたとのこと、凄いな、と思います。 私は、「どうやったらあの文を、このように曲解出来るのか?」と悩んじゃいますが。 Gさんは落ち込まれることはありませんか? G さんのご質問に関連がないので、恐らく削除対象ですね! でも直接意見を交換できる機会をGさんが作ってくださり、 また、大変お心のこもったおやさしいお言葉を私に下さったので、 嬉しくて書かせて頂きました。 回答者の皆様、私のどうでも良い補足要求のお知らせメールが届くと存じます、削除してお許しください!
お礼
puchi555さん、今日で締め切ることにしました。 またこのご回答を読ませてもらいました。 一人の人の命を救うことのできなかった自分の無力さを感じていた先週の私ですが温かい言葉でまた意味あるがんばることへ挑戦したくなりましたよ。 違う解釈、考え方はこのカテであってもいいと思います。 違う解釈を持っているということは決してその人が悪いとか言うことは絶対無いと思っています。 ただ、だからと言って人格を否定するようなことにエネルギーを使うことはもったいないことだと思っています。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
補足
こんにちは、puchi555さん、お礼が遅くなり申し訳ありませんです。 taroandjiroさんの「使える英語教育」というご質問でも書きましたが、「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日。」のフィーリングを身に着けることで、ものを見る目が変わります。 また、明日のための今日、悔いのない人生、すべて私を支えてきた言葉です。 これらを自分のものするにはやはりやるしかないのです。 自分を信じ毎日を大切にする(ちなみに私のはじめのこのサイトでのHNはMainichi-ganbaruでした)、そして、やれるようになる、ということは単なる今日を大事にすることの「副産物」なのです。 >Gさんは落ち込まれることはありませんか? 落ち込みは毎月一度は来ます。 来るのは当然なのです。 来ないのはがんばっていない証拠なんです。 筋肉痛と同じです。 筋肉痛はやったから来るのですね。 球根とか種の話はしましたね。 植えなくては芽はでないのです。 そして、その芽が目に見えるまでがスランプでもあるし落ち込みでもあるのです。 しかし、根っこはがんばって石も砕いて伸びていきます。 芽はがんばっているいる根からの有無を言わせぬ力を使って地上に向かっているのです。 がんばることの必要性、重要性はまた、いい意味での伝染病でもあります。 口先だけの説教、口先だけの「人格否定的な意見」ではただの狂犬病でしかありません。 落ち込むことの喜び、という表現を前にも何回かしました、これでなぜ私がこういうのかお分かりになったと思います。
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
こんばんは 英語における仮定法ですが、参考書や文法書を見ればsujunctiveに相当するもの(hypothetialなものもそうでないのも)を全て含んでいるようです。問題は今までの方の回答にあるように、教え方にばらつきがあることだと思います。私が受けた授業では、「仮定法は事実と反対、時制が一つずれる」と教えられました。Ifを使った仮定がこれですが、wishの文は「事実ではないことを望む」、It is timeは「本当ならもうしているはずの時間なのに、実際はしていないから過去形を使う」と言われました。また A wise man would not have done such a silly thing. は If he had been a wise man, he would not have done such a silly thing = As he was not a wise man, he did such a silly thing.と少々こじつけ気味の解釈をします。仮定法として教わったのはこのくらいで、仮定法現在(原形仮定法という言い方も見たことがあります)についてはあまり習った記憶がありません。大学に入ってから色々な言語と平行して英語の仮定法も分かってきました。教える立場になった時(塾や予備校ですが)何か割り切れない感じでしたが、結局自分が教わったように仮定法は仮定法過去と仮定法過去完了(IF構文、I wish、 It is time~)くらいで、insist that などは「shouldが省略できるので(これも変な話ですが)原形が残る。4択ではこれが狙われる」のように教えていました。受験英語丸出しです。やっていてあまりいい気分ではありせんでしたが。 結局、純粋に文法用語としては仮定法はsubjunctive全般を指すが、現実には事実に反することを時制を一つずらして表現する方法、構文ということになると思います。そういう意味ではこの仮定法という言葉、良くできていると言えなくもないですが。接続法だったら「何をつなぐんだ」と言われそうです。
お礼
trgovecさん、私の質問のきっかけになった回答をなされた本人から回答を頂きこの上なくうれしいです。 やはり、多くの学生たちは日本語の仮定法と呼ばれるものがSubjunctiveと言われる英語の専門用語とは違うもののように教わっているみたいですね。 しかし、「仮定法はsubjunctive全般を指すが、現実には事実に反することを時制を一つずらして表現する方法、構文ということになると思います。」と言うイメージは避けられないものなんですね。 私自身、JunctiveのSubと言う内容で教わり(「接続法」的意味合いがありますね)、その後でHypothetical Subjunctiveの章に入ったときは何だよこれって仮定法じゃんか(もっともその頃は「じゃんか」と言う表現は無かったですが)、と驚きました。 この「接続法」なるものはまったく私は今まで知りませんでしたので、ラテン語から来るとしたら、英語でも日本語と同じようなことをした、と言うことになりますね。 私の第3師範代がラテン語をやっていますので、聞いてみますね。 わざわざお時間を割いて回答していただきありがとうございました。 これからもよろしく!!
補足
まず、trgovecさんの補足内容欄を使わせて一言書かせてください。 はっきり言わせてください。 感激しています。 私が向こうの質問で自分勝手なことを書いている間にすばらしい回答を3つもいただきました。 今まですばらしいお礼もいただいていますが、その10倍も多くの批判・反論的反応を受けてきた私です。 こんなにも親身になって私の愚質問に書いていただき、5人の方々にお礼を申し上げます。
- puchi555
- ベストアンサー率65% (59/90)
Gさん、こんにちは。 いつも熱のこもったご回答、拝読しております。 お求めになっている回答とは程遠いかもしれませんが、お許しください。 私も、Gさんと同じ意見で、hypothetical situations とsubjucntive formsは歴史的背景を見ると、 本来は完全には同じ扱いをして良いと言い切れない気がいたします。 下のURLはラテン語の文法についてですが、英語との比較があり興味深いものがありますので、 宜しかったらご覧ください。 教わった側としての体験、ということでお読みください。 taked4700さんのご回答の一部と関連します。 >次に教科書を見ると、自分の手元には尚学図書のQuest2しかないのですが、 >それでは、that節の原形は取り上げていませんでした。 >自分は進学校での経験がないので、あまり詳しく文法を解説した経験がありません。 >ただ、幾つかのサイトで指導計画などを見ると、 that節で用いられるshouldの用法 というものを、 >仮定法とは別に取り上げているところがありますから、 >あまり仮定法と結び付けてはいないように思います。 >一番可能性が高いのが、 that節で用いられるshouldの用法をやるときに、 >これは、仮定法の一種と考えるのだと解説する形です。 かつて進学校に通っていた側の方ですが、文法の時間に、that節の原形を学んだのは、 recommend, suggest, ask, insist, advice,など、一部の動詞は、三人称単数現在の場合でも、 動詞の原型を用いる、というように、subjunctive clauseを伴う動詞、という枠組みで教わりました。 そして、この場合、shouldを入れてもよい、とも教わりました。 また、これに関連するのですが、最近調べ物をしていた際に、アメリカの教育機関の文法のウェブサイトで 「アメリカではrecommend のthat節のshould を省略して、 全く不細工な文章スタイルに変えてしまった。けしからん。」 とGeorge Orwellが不快感を表した、というエピソードを、 読んだのですが、サイトの名前を忘れてしまいました。 ごめんなさい。 しかし、このsubjunctiveですが、Micheal Swan著 Practical English Usage, page 559によると、 Older English had subjunctives, but in modern English they have mostly been replaced by uses of should, would and other modal verbs, by special uses of past tenses (see 426), and by ordinary verb forms. English only has a few subjunctive forms left: third-person singular present verves without -(e)s, (e.g. she see, he have) and special forms of be (e.g.I be, he were). Except for I / he / she / it were after if, they are not very common.と解説されています。(したがって、George Orwellは古英語に疎かった、ということでしょうか?) そして、同ページに、 It is sometimes used in that-clauses in a formal style, especially in American English, after words which express the idea that something is important or desirable (e.g. suggest, recommend, ask, insist, vital, essential, important, advice).と書かれています。 次の560ページには、 Most subjunctive structures are formal and unusual in British English. In that -clauses, British people usually prefer should + infinitive (see 521), or ordinary present and past tenses.とあり、 It is essential that every child should have the same education opportunities. (Or...that every child has...)と例を添えています。 ですから、ほぼ私が高校で学んだ通りではないかと思います。 もともと、英文法の研究は、まだ学術言語がラテン語であったその昔、 ラテン語の文法に無理やりなぞらえることから始まったそうで、 ラテン語の文法のウェブサイトを見ると、その痕跡が今の英文法に残っているのかな、という気がいたします。 また、日本人を含め、外国人が英語を学ぶ際、どのような英語を学ぶべきか、 どの程度まで掘り下げて学ぶべきかということは盛んに論議されていますが、 おおむね、どのような地域でも通じる、コミュニケーションを念頭に置いた International Englishがふさわしい、という見解に一致しているようです。 イギリス英語を勉強したから、アメリカ英語は分からない、や、 アメリカ英語さえ出来れば良く、アイルランド人に通じなくても良い、では、 人間的に如何なものかと思いますし、この、多様性に富んだ、豊かな言語である英語の中の、 偏った知識しか持たないのは勿体無いですものね。 どの程度までのレベル、というのは大学以降のその本人の意思と努力に任されざるを得ないと思います。 その礎となるのは、やはり中学、高校の英語の授業ですよね。 私の場合、公立ではありましたが中学、高校と、本当に人間性、英語力、教授力に優れた恩師に恵まれて、 厳しい中にも、大変分かりやすく素晴らしい授業をして頂けて、英語が大好きでした。 特に、高校3年間はアメリカと日本の両方の大学を卒業された先生が素晴らしく、 大変美しいアメリカ英語を話される方でした。武道家でもあったその先生は、 (今は体罰、ということで出来ないかもしれませんが、) 毎回授業の頭に行われる先回の授業に関する小テストで80%の正解が出来ない者、 また、指名されて答えられないのは予習不足、として、「出て行けとは言わないが、正座して授業を受けるように。」 という厳しさと同時に、ご自身のアメリカでの体験談を饒舌に交え、自然と 「もっと勉強したい、」と思わせる素晴らしい方でした。生徒にも絶大な人気がありました。 「英語は道具です、しっかり正しく覚えて使いこなせるよう努力しなさい。」と仰っていたことも忘れられません。 文法の授業も、文法用語の羅列ではなく、具体的な例文をなるべく沢山しっかり覚えてなさい、 というスタイルでしたし、リダーの授業はしばしば英語のみで行われていました。 私も他の英語にかかわる仕事と平行して10年以上英語(主に会話)を教えていますが、目標の方です。 文法用語に固執しすぎると、間違えることを恐れて、英語そのものを道具として使う、 ということが出来なくなってしまう気がいたします。 私も、文法用語には必要最小限軽く触れるのみで、文法用語で用法を説明するのではなく、 シチュエーションを交えて具体的な使い方を、例文を沢山出して教えることにしています。 横道にそれた上、長文で、まとまりにも欠けて、失礼いたしました。
お礼
ご回答ありがとうございます!! >お求めになっている回答とは程遠いかもしれませんが、お許しください。 いいえ、私は知りたいから質問したのでどんな回答でも自分には役に立つものであるし自分の一部にしたいと思っていますので、うれしいです。 と言いつつ読んでみると、私の求めている回答に十分なっているではありませんか。 書いてくださり本当によかったです。 生徒のことを思えばこその教授方法ですね。 私はこの方法はTough Loveと呼ばれる方法として私自身使っています。 上達して欲しいと心から生徒・弟子を思っての行動は決してマイナスには受け取ってないと信じています。 Aをとるのは当然のこと、と私は教えています。 Bを2個とったら最高9週間道場にこさせません。 Aは教えられたことを知る・できるようになっただけのこと。 つまり、AはAverageなんだ、BはBadなのです。 それが2つもとるなんて習う資格は無い、出直せ、と言うことですね。 そうすると、学校ではExtraの宿題をもらって2週間くらいで、Aになったと言う証明を先生からもらってきます。 これは高校生まですべての弟子に例外なくさせます。 Aをとることの有意義さ、簡単さ、を知らなくては一生使う「モチベーション空手Motivational Karate」・護身術などを習えないほど価値のあるものだとしたいからです。 My life is too short for that!と言っています。 習うことの意義、喜び、はpuchi555さんも同じように生徒に与えているんですね。 100%できるわけではないですが、1%でもいい影響を与えることができたら、日本中の学生たちの数を考えたら革命の走りとなると信じている私ですので、共感を覚えました。 詳しい情報本当にありがとうございました。
>「理想の英語教育とは」今迄で一番の長文愚痴になってしまいご迷惑をおかけしてしまいました。 気にしないでください。私も熱が入った回答だと長くなりますが、短い回答が多いので むしろGさんのようにほとんどの質問に丁寧に回答されてるのを賞賛しております。しかも、理屈ではなく フィーリングと言うものを熟知されておられるので こちらこそお世話になっております。あの質問ではポイントこそ差し上げられませんでしたが、非常に参考になる回答でした。 >これを仮定法過去、仮定法過去完了の次に習うということで用語としてあるのでしょうか。・・・ trgovecさんのご回答ではもっと深く授業で教えてもらっているというイメージがありました。 仮定法現在という用語ですが、#1の回答でも書いたように習わない生徒も多いんですよ。多分 半数以上の高校生は習わないんじゃないかと思います。ここでそれを習った理論好きな生徒は特に仮定法現在に違和感を感じるのではないかと思います。また、trgovecさんの回答で「それでは、that節の原形は取り上げていませんでした。」とあるように、仮定法現在は 「仮定法のうち基本的なもの」には含まれないようですね。 >今の子供たちには元の単語の意味が変わってしまっているカタカナ語(俗に言う和製英語)の氾濫などでより多くの英語習得への壁が立ちふさがっていますね。 これはちょっと疑問です。日本には和製漢語が和製英語の何百倍も氾濫しています。これは日本人が中国語を習う上で障害にもなるんですが、でもそれだけ漢字に親しんでいることにもなるんです。ですから、この障害を考慮しても、日本人が中国語の文章を読むのは欧米人よりも習得が速いのも事実なんです。 それから 少し視点を変えて言えば 日本人にとっては 夥しい英語が流入しているので、中国語を除けば 最も日本人に親しみやすい外国語でもあるのです。ですから ロシア語とかだったら カタカナ語に迷わされる心配はグーッと減りますが、単語を覚えるのが英語より大変です。
お礼
再度私に回答を下さりありがとうございます。 >あの質問ではポイントこそ差し上げられませんでしたが、非常に参考になる回答でした。 いいえ、ポイントは確かにもらって悪い気分はしないですが、もらうために書いているつもりは無いので大丈夫です。 (「参考になった」ボタンは欲しいと感じます。<g> 私も人間です。 <g>) 私が専門的に携わっていることでも同じのですが、専門用語の中には結構元の意味から外れてしまっていると思われるものがあります。 和訳した単語と言うことでなく、英語そのものでもです。 また一般用語でも、時代とともに意味がまったく変わってしまったのもありますね。 dialなんかは回すものはもうテレビにも電話にも無いですがこの単語は生き残りましたね。 この仮定法も、あの頃はsubjuctiveを教えるのに「事実に反して仮定する)と言う部分が一番日本語からはなれた観念だと考えたのではないのかなと「良心的に<g>」考えるようにこの一日でなりました。 他の部分は英語ではこういう動詞の使い方をするで問題なし、としたのだと思うようになりつつ私の頭で感じています。 和製漢語は昨日も私の近くに座っている北京から来て日本に13年いた人と話したのですが、日本語の気と言う漢字は使わないから分からない、氣か汽からさんずいを取った省略形しか使わない、といわれへぇとおもいました。 恋人は愛人と言うし、愛人は「忘れました」<g> ただ、英語と違い今のところ中国語を使おうとしないので和製漢語はあまり影響していないと思いますが、中国語はこれからもどんどん日本人も勉強していく傾向がありますので壁となるかもしれませんね。 またワンステップ賢くなったような気分です。 ありがとうございました!!
仮定法は高校でないと教わりません。それで最初に教わるのが仮定法過去で、if節が過去形になる構文です。次に教わるのが仮定法過去完了で if節が過去完了形になる構文です。この二つがHypothetical subjucntiveになるわけですよね。そして 最後に教わるのが(選択の英語を取った人でないと教わらない場合が多いですが)仮定法現在で これは仮定ではなく、 ”It is necessary that he be prepared for the worst”というような文で動詞が3人称単数現在でも原形のままのケースを指します。 私が疑問に思うのは subjunctiveに「仮定法」という訳語を当てられたことです。「仮定法」という用語は英語でしか使われず、他の言語では「接続法」と呼ばれています。「仮定法」という訳語は「接続法」という用語より具体的なようですが、これが誤解のもとだと思います。更に、「仮定法」という用語もsubjunctive本来の意味とはズレてしまったことです。仮定法過去と仮定法過去完了においては、動詞のmode自体ではなく、ifを使った構文を指すようになりました。ですから、奇妙なことに丁寧な要求を表す ”I would like to・・・ ”のような文は中学で習い、これも subjunctiveになると思うんですが、中学では wouldという助動詞の用法として扱うだけで、「仮定法」という用語には言及しません。また、”I wish you were here.”のような文も仮定法過去の用法の文のはずなんですが、これも学校では「仮定法」という用語は使わず、従属節内の動詞が過去形になるとしか 教えません。
お礼
cartamo88さん、今日で締め切ることにしました。 私の分からないことをわざわざ書いていただき大変うれしいです。 >。「仮定法」という用語は英語でしか使われず、他の言語では「接続法」と呼ばれています。「仮定法」という訳語は「接続法」という用語より具体的なようですが、これが誤解のもとだと思います。更に、「仮定法」という用語もsubjunctive本来の意味とはズレてしまったことです。 ここが一番の問題点だったのですね。 違う解釈、考え方はこのカテであってもいいと思います。 違う解釈を持っているということは決してその人が悪いとか言うことは絶対無いと思っています。 ただ、だからと言って人格を否定するようなことにエネルギーを使うことはもったいないことだと思っています。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
補足
cartamo88さん、ご回答ありがとうございます。 (補足の機能のほうが必ず届くしほかの回答者にも届く確立が多いのでこの機能を使わせていただきますね。) 「理想の英語教育とは」今迄で一番の長文愚痴になってしまいご迷惑をおかけしてしまいました。 >最後に教わるのが(選択の英語を取った人でないと教わらない場合が多いですが)仮定法現在で これは仮定ではなく、”It is necessary that he be prepared for the worst”というような文で動詞が3人称単数現在でも原形のままのケースを指します。 これなんですね。 ちゃんと仮定法だと教えるのは。 私も教わっているはずなんですね。 質問してもいいですか。 これを仮定法過去、仮定法過去完了の次に習うということで用語としてあるのでしょうか。 (仮定法現在と呼ばれていると理解していいのでしょうか)高校生としてこの用語は知られているのでしょうか、と言う意味です。 それともtaked4700さんがおっしゃるように「仮定法の一種」として流してしまうのでしょうか。 trgovecさんのご回答ではもっと深く授業で教えてもらっているというイメージがありました。 >動詞のmode自体ではなく、ifを使った構文を指すようになりました。 この点も大きな食い違いの要素であったと思います。 taked4700さんもおっしゃっていましたが、学校・教師によって教えるべきことが明示していないと言うことがこれからの英語教育で行く学校、教えてもらう先生によって、生徒の英語力にかなりの差がでくるだろうと思います。 TOEIC的な試験を使うかどうかは別として、教師としての資格を、教育能力も交えての採用資格を、もっとはっきりさせる必要が出てくるのではないかと思いました。 今の子供たちには元の単語の意味が変わってしまっているカタカナ語(俗に言う和製英語)の氾濫などでより多くの英語習得への壁が立ちふさがっていますね。 かわいそう、と感じています。 私の持っていない知識を分け与えていただき本当にありがとうございました。 これからもよろしくお願いいたします。 (11/27 3:50AM)
お礼
taked4700さん、今日で締め切ることにしました。 私の分からないことを詳しく書いていただき大変うれしいです。 >学校や教員によって、仮定法の取り上げ方は異なり、場合により含めたり含めなかったりしていると言うのが、多分、一番妥当な答えだと思います。なぜなら、そもそも、指導要領がその辺をあいまいにしているからです。 ここが一番の問題点だったのですね。 これでは生徒がかわいそうだと思います。 もともと、集団を教えると言うことは、生徒の個人能力差を無視しているのです。 そうであれば、最大公約数を基づいた一貫性を持たせた教育方法を持つ必要性があると感じました。 違う解釈、考え方はこのカテであってもいいと思います。 違う解釈を持っているということは決してその人が悪いとか言うことは絶対無いと思っています。 ただ、だからと言って人格を否定するようなことにエネルギーを使うことはもったいないことだと思っています。 先日は私の間違いを「きれいに」指摘していただき本当にうれしく思っています。 私にとってある事件が起こり頭がおかしくなっていたのです、と言ういいわけはGも人間なんだと解釈してください。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。 (taked4700さんは私とよく似た考えをお持ちになっていると思います。)
補足
taked4700さん、ご回答ありがとうございます。 (補足の機能のほうが必ず届くしほかの回答者にも届く確率が高いのでこの機能を使わせていただきますね。) こちらこそいつも参考にさせていただいています。 私は自分で知っていることは知っていると自信を持って書いているつもりですが、知らないことがたくさんありtaked4700さんのご回答の中で「私もまだまだだな」と感じることがたくさん今までありました。(現在完了形で表現しているのですが日本語にするとおかしいですね<g>) >学校や教員によって、仮定法の取り上げ方は異なり、場合により含めたり含めなかったりしていると言うのが、多分、一番妥当な答えだと思います。なぜなら、そもそも、指導要領がその辺をあいまいにしているからです。 >that節で用いられるshouldの用法 というものを、仮定法とは別に取り上げているところがありますから、あまり仮定法と結び付けてはいないように思います。一番可能性が高いのが、 that節で用いられるshouldの用法をやるときに、これは、仮定法の一種と考えるのだと解説する形です。 やはりそうでしたか。 これではあの質問で外人教師がわからなかったのは理解できそうです。 ご存知のように、私は文法に疎い(疎すぎ)ので、日本で習った「仮定法」と言う用語しかわからなく、事実ではないことをあたかも事実として仮定した表現方法が仮定法、と教わった記憶があるだけなので、こちらでの授業でこの英語用語(Hypothetical Subjuntictive)が出てきたときにこれが日本で言う「仮定法」だなと感じ、では、Subjunctiveは日本ではなんていうんだろう、とそのころ持っていた、出版社に勤めていた叔父からもらったB4というのでか日本で一番大きいと思われる英和辞書で調べたらSubjunctiveは仮定法と呼ばれているのを知りました。 その頃は(その頃も、ですね)時間がなくそれ以上追求しないでそのままになっていたわけです。 >that節で用いられるshouldの用法をやるときに、これは、仮定法の一種と考えるのだと解説する形です。 これは明らかにSubjunctiveを「仮定法」と言う名前で訳していると言う証拠ですね。「that節で用いられるshouldの用法」はSubjuctiveの一種ですね。 この辺が今回の質問(http://okwave.jp/kotaeru.php3?qid=1802048) の中心部だったとご回答で感じました。 つまり、hikojuroさんは仮定法とは私が思っていた用法のことであるとしていたわけですね。 だからその外人教師の方が日本の辞書が間違っていると言ったのは理解できるわけです。 しかし、trgovecさんはもっと深く授業で教えてもらったと言うことなのでしょうね。 この質問では、この「深く授業で教える」ようになってきているのかな、と言う疑問が元になりました。 taked4700さんから回答をもらえてうれしかったです。 ありがとうございました。 これからもよろしく!!! (11/27 3:54 AM)