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人間の本当の価値・大切な事。心の豊かさって何?。

金・女(自分は男性なので)・容姿の満足・何にも束縛されない自由(結局金)・趣味趣向を追求できる環境(金・自由)・もちろん健康な体 くらいしか、人生を豊かにする要素が見つかりません。 しかし、古き人や親は「違う」と言ったりしちゃいます。じゃあ何?と聞くと「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」 という抽象的な表現で収めます。何が人間の心を豊かにするのでしょうか?。 結局、心理学からしても細かいフラストレーションの解消の積み重ねが人間の欲求原理として幸せをもたらすのではないでしょうか?。 古き人や言う台詞は自分が欲求を発散できなかったけど、自分を否定するにも辛い。だからその代用として、用いた心理ロジックのように思えてしょうがありません。

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  • kneissl
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回答No.16

道徳は、無言の抑圧だと思います。 これまでの日本は、それでじゅうぶん機能してきた。 でも、合理主義、物質主義の時代になって、やっぱり信仰や道徳のうそくささっていうのを、例えば我々若い世代は顕著に感じるようになったと思います。 現実の実力社会、競争社会を目の当たりにしていると、結局平等なんてどこにもないし、負けるヤツは負け続ける、道徳もへったくれもないと思うのが、本当のところじゃないでしょうか。 それはどこの先進国でも同じだと思います。欧米のキリスト教懐疑主義的な視点は、いま、欧米映画の根源的テーマのように感じます。 「心の豊かさ」ってなんでしょうね。 すごくうそくさい感じがしますよね。結局、「心の豊かさ」なんてのは、量れない。量れないからね、あんまり意味のある言葉ではないですよ。 これまた、幻想です。良心や道徳のように、我々合理主義や物質主義の人間に込めた、懐古主義的な言葉だと感じます。 でも、実際我々若い世代が本当に合理主義か、物質主義かっていうと、そうでもなくて、「愛」求めたり、「友情」求めたり、もっと形のない「思想」当てにしたりして、生きてます。 だから、俺は両方ウソやと思います。道徳が人を救うみたいな意見も、世の中は金が一番で物質的に満たされたら形のないものは無意味みたいな意見も、どっちも間違ってると思います。 物質も大切です。でも、形而上というか、形なきものも大切だと思います。どっちも満たされたら、それに越したことはない。でも、どっちか満たしたら、どっちか満たされへんみたいな、そういうことかも知れません。どちらにしろ、「心の豊かさ」って言葉はうそくさいけど、それに近いもん、俺らだって求めてるんやないやろかっていうのが、俺の率直な意見ですね。 あなたが挙げた人生を豊かにする要素、間違ってないと思うけど、俺、「愛」とかうそくさいな~って思うけど、結構好きよ。「愛」なんてないんだって思ってると、本当にないのかも知れないけど、でも、「愛」はあるゼ!って言い切るヤツには、恐らく「愛」は存在してね、もしかしたら、そいつの方が間違ってんのかもしれんけど、でも人生豊かにする要素としてはそいつの方が一個多いわけで、結局、アホなヤツほど幸せっていうか、別に形なくても信じたら面白いやんっていう、そういう考え、俺はわかりますね。

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  • tutinaga
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回答No.19

こういう問題は考え抜いて答えが出るようなものではなく、なにかのきっかけで気付くものだと考えます。 人生に満足するか否かは理屈ではなくて感情の問題なので、○○をやったら豊かなんてとても言えません。 あなたが挙げられた要素は豊かに暮らすための土台であって、目的ではありません。 ですが、安心して生活できない状態では「豊かな人生」を送るのは難しいため、とりあえず生活を豊かにするのために土台を作ります。 「衣食足りて礼節を知る」です。 結婚して子供をが生まれたりすれば、本能レベルで 「幸せだ!この生活を続けたい、家族で安心して暮らしたい」という感情が出てくるので、そうなった時の自分の感情は理屈抜きで満足と言えるものだと思います。 だから親や世間は「安定した暮らしをして、かわいい嫁さん見つけろ」と言います。 「男は妻子を持って一人前」という考えの根拠はこれです。 ですが、全ての人がそれで絶対に幸せになるとは限りません。妻子と一緒に楽しく生活していく以上に幸せな事があるかもしれません。それは本人の感情、価値観の問題なので他人が口出しすべき事ではありません。 親や古い人が明確な答えを残さないのはあなたの人生を限定してしまわないようにする配慮であり、一人の人間の生き方を尊重する礼儀です。 若い人は多くの可能性があります。 親や古い人が若い人間に口出ししたいのをじっと我慢し、自らの力で成長していくのを暖かく見守るのも豊かな人生と言えないでしょうか? あと、あくまで個人的にですが、 私がこれまでの人生で学んだ人間の心を豊かにする方法とは「役割を得る事」だと思います。 父親という役割、母親という役割 サークル活動でのリーダーという役割、 会社の社員としての役割、 近所のガミガミ親父という役割。 なんでも良いです。 自分がこういう人間であり、それで良しとする心を持つ事。必要とされていると信じ、十分に応える事です。 気楽で自由でいたいと思うかもしれませんが、 それだと心が安定しません。だから悩んでいるのだと思います。 気楽で軽い人生のままでは幸せを受け取るのは難しいです。 こんな事言うのもおかしいかも知れませんが、 もっと人生を真剣に考えてみてください。

noname#15782
noname#15782
回答No.18

心の中身を、目に見える健康とか物とかで計る事が出来ないのだと 思います。 欲求が満たされたら満足する、そこに見いだす幸せもあるだろうし、 自己を高める心の動きに幸せを見いだす事もある、というように思い ます。

  • MITAMAX
  • ベストアンサー率24% (28/115)
回答No.17

はじめまして。 私は大学1年の時にクリスチャンになった者です。 今は伝道師として主に大学生に聖書を教えています。 人間の価値、心の豊かさという興味深いトピックに 聖書の価値観を参考までにという意味で、参加させて頂きました。 旧約聖書にはこんな箇所があります。 わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 (イザヤ書43章4節) ※ここでいう「わたし」とは、神です。 たとえば千円札には、それが新札であっても古いお札であっても千円の価値があります。 それ以上でもそれ以下でもありません。 同様に人間にも、それ以上でもそれ以下でもない不変の価値があると私は信じています。 それはお札の価値が政府によって保証されているように、人間の価値もそれを創造した神に保証されているという考え方です。 また新約聖書ではイエスが、 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る 一つ一つのことばによる。」(マタイによる福音書4章4節)という有名な箇所もあります。 たとえ衣食住全てが生涯に渡って完全に保証されていても尚、満たされない空虚さが人にはあるのではないでしょうか? 私事ですが、自分の場合、人生にそれを感じ、それは神の愛によってしか満たせないという可能性に賭け、十年になりました。 1600年をかけて完成した聖書の言葉は、やはり特別な力があると私は感じています。 生きる力、希望が与えられる言葉の数々です。 金はいつかは無くなるもの。 女はいつかは変わるもの。 容姿は衰えるもの。 規則なき自由は自由というより放蕩。 趣味はいつかは飽きるもの。 健康は死の前には無力。 と私は考えます。 (でも以前はkurikannさんと同じ様な考え方をl私も  持っていたので理解はできます。) またストレスは一般的にネガティブに捉えられがちですが、自分の品性が練られる、成長させられるという面もあると思います。 ストレスがなくなる事が豊かさではなく、それを通して学ぶ事、人の痛みを理解できるようになる事、そういった事が本当に価値があり、 また意味のある人間関係を築く礎になると思います。 またkurikannさんの人生のなくならない財産になると思います。 最後にもう一つご紹介して終わります。 「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」 (ヨハネの福音書10章10節) これはイエスが自分が来たのは、人間がいのちを持ち、それを豊かに持つためと話した場面です。 「豊かさの源はイエス」これが私の結論です。彼は信じる人の人生を豊かにできると思います。 kurikannさんの求めておられる論点と、もしずれていましたらどうかお赦し下さい。 あるクリスチャンの世界観という目で見て下されば有り難いです。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.15

生命として次の世代に命を繋いでいくこと。 宇宙が拡大していく現状で、熱エントロピーも空間に拡大(拡散)していきます。 生命と言う現象も同様に拡散していきます。 より遠くへ、より広く、より遙かな未来まで。 どんなに金を集めて摩天楼や文化遺産を造っても、 数十億年後には地球は太陽に飲み込まれてその生涯を閉じます。 伝説のような偉業を成し遂げても、人類の歴史の一節にしかなりません。 人類も姿や機能を少しずつ変化させていくでしょうし、 絶滅して他の生物へ命の幹枝を受け渡しているかもしれません。 その遙かな時の流れのほんの一瞬にのみ存在できている自分。 本当の価値・大切な事とは今生きていると言う事実、 心の豊かさとは、それを自覚できて残りの人生を無駄に過ごさないこと。 真に自分が今やるべきことを見つけられれば幸いですが、 それを自問し続けるのが哲学ですし、それも心の豊かさだと私は思います。

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.14

質問者様は心を豊かに幸せにするものを求めていらっしゃいますね。 「心」とは一体何でしょうか。 何処にありますか? 目で見ることができますか? 触ることができますか? 何処から満足感やフラストレーションが湧いてくるのでしょうか?特定できますか? 答えはすべてNOです。 「心」は見ることも、触ることも、出所を特定することもできません。 なぜならば、「心」は物質ではないからです。 「心」は「魂」とも言い換えられます。 「心」が満足するも、不満に思うも、すべてそこから溢れる「感情」によって測られます。 「感情」も物質ではありません。 物質でないものを物質によって満足させることはできません。 おわかりと思いますが、質問者様の本体は「肉体」ではなく「心」です。 「心」によって喜び、悲しみ、憎しみ、嫉妬、愛情、憐憫、羞恥などの感情を作り出しています。 では、「心」が満足し、幸せを感じるにはどうすればいいのでしょうか? 「心」に幸せの感情;愛情、喜び、慈しみ、同情、感謝の感情をみたすにはどうすればいいのでしょうか? そのためには物質的なものを「心」に採りを添える薬味程度のようなものだと考えてはいかがですか? あまり物質的なものを最優先で考えすぎると「心」の状態が見えなくなってしまいます。 そして本当に自分を幸福にするための判断を誤ってしまいます。 「心」はそれ自体で「満足」も「不満足」も作り出すことができます。物質的状況とは関係がありません。 すべて「ものは取りよう」です。 受け取り方次第で「幸福」にも「不幸」にもなります。 自分次第ですよ。 大金持ちで、美女を妻に娶り、ハンサムで、健康な人で不幸な人はごまんといます。 美人妻と結婚できても妻の心までも束縛することはできません。 お金目当てで貴方と結婚し、別に愛人がいるかもしれませんよ。 でも仕方ありませんね。 あなたも妻の美貌(貴方の金に相対する)目当てで結婚したのかもしれませんから。 ですから、ハンサムでお金持ちでも最愛の人の心を掴めるとは限りません。 貴方の最愛の人は優しさと心の安定を求めているかもしれませんよ。 「何にも束縛されない自由」を持っているのは物質に執着が無く(物質的執着つまり束縛から自由になっているという事)、エゴ的欲求から開放された人(この世的な立身出世の欲求つまり束縛から開放された人)ですから今の質問者様とは違ったタイプですね。 健康な体は「霊」(貴方の本質)と「精神」(この世での心)と「肉体」のバランスがとれていることが条件です。 人は「霊的存在」でその「霊性」を「精神」を通して「肉体」に表現します。 言い換えれば、「肉体」とは「霊」が「精神体」という表現媒体を通じて自己表現をしているものです。 このバランスが崩れたときに病気になります。 ですから自分自身が霊的存在だという意識をいつも持っていなければ、完全な健康を得るのは難しくなります。 これが事実とすれば、質問者様はどうですか? >細かいフラストレーションの解消の積み重ねが人間の欲求原理として・・・・ ですが、何にフラストレーションを感じるのでしょうか? それは美人妻やお金によって解消できるものですか? それを得ることで心から満足し、悩みから全く開放されますか? 結局たどり着くところは昔から言い古された 「情けは人のためならず」ですね。 人に情けをかける事により、ああ良いことをしたと心より満足し、幸せになることができます。 その感情は決して減ったり、変化したりしません。 貴方の徳となり内側より光輝かせてくれます。 そして、同じような徳のある人々を引き付け、一種の言わば思いやりに満ち溢れた、えもいわれぬ幸せな空間を形つくります。 あなたは映画「マトリックス」のように本体は霊でありながら、リアルなこの世のゲームに参加しているのです。 どれだけ他者に情けを施し、心を豊かにするかによって貴方の本体である霊体にとっての富が(徳)がきずかれていくのです。 それこそがいつまでも失われず、永遠に輝き続ける財産です。 ですから>心理ロジック、などと言わずに古き人の台詞に耳を傾けてみて下さい。 決して、欲求を発散できなかった言い訳なんかではありません。 イエスも仏陀も全く同じことを言っています。

  • geihoku
  • ベストアンサー率20% (20/98)
回答No.13

人生を生まれてから死ぬまでに限定して考えると質問者のように考えるのが自然でしょう。唯物論的な考えですね。 でも古の人やご両親はきっと、「死ねばなにもなくなってすべて終わりなんだ」とは考えていらっしゃらないと思います。 そう考えると当然死んだ後のことを考えると思います。じゃあ死んだ後のことを知っている人がいるかといえばほとんどいないでしょう。 だけど死んだあとのことを考えてみると、質問者が列挙された人生を豊かにする要素は死後も持っていけないものばかりです。 結局最後に残るのは心だけですから、どのような環境におかれても通用するような心を人生を通じて作り上げるのが豊かな人生と考えるのではないでしょうか。 それを確証のない世迷言だと切って捨てることも可能でしょうが、現在の人生を心を作り上げる学校の教育期間のようなものであるという考え方は多くの宗教に見られるものです。 私の見るところ中途半端な唯物論は、ニヒリズムに通じることが多いように思います。 ちなみに私が知っている本物の唯物論者は、「ゲーデル・エッシャー・バッハ」を著述したコンピュータ学者のダグラス・R・ホフスタッターです。興味があれば読まれて見ればよいと思います。

noname#185865
noname#185865
回答No.12

お金持ちで容姿が良くて異性にもてる、勿論地位も名誉もある、 だけど精神的に満たされていない人は御存知のようにたくさんいます。 人生を豊かにするものはこの精神的な充足感だと思います。 それを豊かな心と人は言うのでしょう。 >何が人間の心を豊かにするのでしょうか? 私は「豊かな感受性」、「足るを知る心」だと思います。 >心理学からしても細かいフラストレーションの解消の積み重ねが人間の欲求原理として幸せをもたらすのではないでしょうか?。 おっしゃるとおり、人間の基本的心理として「欲求の充足行為」があります。 不充足感が充足行為のエネルギーになるわけで、それが向上心につながります。 欲があるから一所懸命勉強したり、仕事をしたり、心を磨くのです。 しかしこの不充足感があまりに強いといつまでたっても満足できず、 幸福感も得られず、最悪の場合、精神的破滅につながったりします。 ですから「足るを知る心」は大切です。 「豊かな感受性」とはあるひとつの物、事柄からどれだけ自分の心を満足させるものを感じ取り、受け止めることが出来るかということです。 財布の中は空っぽでも、空や花を見て(これはタダ!)希望や幸せを感じることが出来る人は心の豊かな人であり、幸せな人ですよね。 そうは言っても精神的充足感からは程遠いトホホな私です(^^;

noname#17334
noname#17334
回答No.11

詭弁だ。偽善者だという非難をうけそうなので・・・ もっと端的に書けばわかりやすいでしょうかね 要するに、金も女も容姿も自由も趣味趣向の実現も健康な身体もみんな一生のうちに 一度は容易に手に入れているのです。不十分ですけど。そのときは、自分ではすげぇなぁと思っていたりします。 ただ、維持したり増やしていくのが困難な人が多いのです。 人に優しく心を磨くことで、金も女も容姿も趣味趣向も健康も増進できるのですね。 とにかく、よくいうたとえですが、コップ半分の水を見て「これだけしかないと嘆くか」 「まだこれだけある」と喜ぶかの違いです。 神様がくれたサンプルを、「なんだこりゃ・・」と怒鳴って投げ捨てるか 「ありがとうございます。勝手言ってすみませんができたら、こいつの大きいのを ください」と願うかの違いです。 金もモテも、最初は当人の身のほどにあった幸福しかきません。だっていきなり 大金与えてしまえば、グレるだろうし、いきなりすごい美女と恋仲になったりしたら 会社に行かずにアパートでやりまくっているにきまっています。 破綻が目にみえているような幸福は、本人に受け入れるキャパがないことを神さまも自分自身もよく知っているのです。 幸福は、本人が受け取る体勢ができて受け取ることを自分に許した段階で 自然にやってくるものです。 モテなかった男がいきなり超美人と恋仲になったりすると、すごいプレッシャーに なってちとも楽しくなかったりします。レストランやホテルやプレゼントに金使っても 結局自分の何が相手を満たすのかわからないで自分で慌てふためき疲れ果てる。 それから、嫉妬。とにかく相手の女性が他の男に取られないかとキバをむく。 ですから、人格が磨かれて、それなりの器になって優しさも身に付けてはじめて 美人ちゃんとの出会いを楽しんで長続きさせられるのです。 お金もそう。1億円の大金が遺産か宝くじかギャンブルでたまたま入っても、 せいぜい高級マンション買って、家具かって 10年もしないうちに価値は半分。そういう使い方するんじゃ増えません。 宝の持ち腐れってよく言ったもので、多くの人の心のなかには幸福を求める心より 多く「幸福の持ち腐れ恐怖心」というものがあるような気がします。 そんなことねぇよ。使えないくらい金持ってみてぇよ。 そういうだろうけど、金をうまく使うというのはまさに「他人への優しさ」「心を磨く」 ことの差異が現れるのは否めない事実。 自分の器をひろげて収入も応分に増やす。かなり難しいことだというのは IT長者の皆様みてもよくわかりますね。 孫さんや成毛さんのような大物はなかなか出てこないですね。

noname#17334
noname#17334
回答No.10

そうではありません。 「金・女(自分は男性なので)・容姿の満足・何にも束縛されない自由(結局金)・趣味趣向を追求できる環境(金・自由)・もちろん健康な体」 を得る手段として、実は 「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」があるのです。 金を稼ぐには、人に優しく心を磨くことで、あなたは会社のなかで地位を得て最後は経営者になります。 顧客や従業員の満足を高めるには「人に優しく」「社会に対するミッションを実現すべく心を磨く」ことが 不可欠というより最も早い有効な手段だということです。 女にモテるには、「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」が一番有効です。何より 深く愛されます。だってそんな人貴重だし尊敬できるし手放したくない。って女性なら思う。 容姿の満足も 「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」が一番手っ取り早いです。 チビで卑屈な表情をしてすごすか、容姿を気似せず堂々と人に優しくふるまうか、内面を磨いて オーラを出すと表情まで変わってきます。 何にも束縛されない自由(結局金)を得るには「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」 が最短の近道です。 人に優しくすることで、人の喜びを分かち合え、人が自分を助けてくれます。自分だけではできないこと が出来たりします。人間は社会の中でいきているから実際金があっても有効に役立てるには人の力 が必要です。レストランでウエイターに優しく振舞うことであなたは同じ8000円のコース料理を食っても 2倍の楽しい時がすごせます。 一緒にいった彼女に優しくすることで、彼女は8000円のコースを16000円以上に感謝してくれます。 バーキンを手にしても心が磨かれていないと、単にミーハーな成金にしか見えません。 心が磨かれていたら、持つ人の内面を輝かせる効果があるのです。 自由であればあるほど他者への思いやりや感謝を持たないといけません。逆に他者に思いやりや感謝の 気持ちを示していればさまざまなチャンスが与えられるのです。 趣味趣向を追求できる環境(金・自由)を得たいときは、まず「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」 です。 ウソ言うなと怒らないで下さい。 人に優しくしていたら、必ず相手はあなたに何かお礼がしたくなります。なぜならその人は自分の趣味趣向を 堪能していてあなたにも共感して欲しいと思うから。 同時に、心を磨くことで、あなたは趣味趣向の世界で必ずひとかどの人物と目されます。逆に金がいくら あってゴルフがシングルでも、人徳がない人とはプレーしたくないです。 自由な時間というのは、自分がつくればいいです。それは心を磨くことでいくらでも生み出せます。 いつも自信がなくて不安でせわしなく動いていたり、どうでもいい娯楽や雑用で時間を浪費するのをやめて 高邁な意思を持ったら自由な時間などいくらでも沸いてでます。 また、人に優しくすることで人が自分のために何かしてくれる機会が増えます。そうすれば、自由な時間が 生まれるのです。 働くということはせんじつめたら、人に優しくしてお金をもらい人にやさしくすることで心を磨くことなのです。 「もちろん健康な体」も「人に優しくすること」とか「心を磨くこと(漠然としすぎ)」が一番有効な手段です。 人に優しくすることで、心がおおらかになって呼吸や血行が正常化します。血圧も下がるし、肥満も防げます。 中性脂肪も減るしにこやかな表情になります。 こころに余裕が生まれます。 原因と結果は実は同時に起こるということです。お金があるから豊かだから人に優しくなれるのでなく 人に優しくすることで社会から財や富が還元されてくると考えましょう。これはやってみたらすぐにわかります。 心を磨けば、身体も健康になります。でも身体を一生懸命健康に保とうとしても、心が歪んでいたり病んでいたら いくらやっても無駄ということになります。 >何が人間の心を豊かにするのでしょうか? 人に優しくすることと、人格の陶冶が結果として富や欲望の充足をもたらして、こころが豊かになります。 人は、ビジョンを持ちそれが達成されたとき満たされます。 ですから、心を磨いて、やさしさを持って人に尽くすことで、そのビジョンを実現したらいいのです。

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.9

金、女などは手に入る人はいいのです。 しかし、全ての人がそれを手に入れられるというわけではありません。 そのような手に入らない愚民は「人に優しく」などと言うのです。 なぜなら、これは全ての人がそれを手に入れることができるようなものだからです。 そして、それが虚偽であったとしてもそれで心が満たされる人もいるのです。 しかし、「この私は愚民にはなりたくない」と思うでしょう。それは少し苦しいことでもあります。愚民に甘んじていれば楽なのですから。それゆえに愚民なのです。 一般に、大人になるということはあきらめの一途をたどっていくことだと思います。全能であった赤ん坊がその能力を次々に奪い去られてしまうのです。 古き人や親もはじめから古き人、親であったわけではないのです。しかし、社会生活の中で、培ったものがあるのです。 私は社会というものが大嫌いです。しかし、その社会がなくてはやっていけないというのも事実なのです。

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