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私は心が狭い人間です。
今、はじまった事ではないですが私はとても心が狭い人間だと思います。 まず、自分は自分、他人は他人という固定概念があり その基礎の上に偽りの偽善者が作り上げられています。 自己防衛の為か、初対面の人当たりは柔らかく、優しい人や真面目な人、大切にしてくれそうと言われますが、実際、慣れてくると全く正反対で無関心になります。 時々、自己中心的な自分を見つけると(気付くと)自分は「いい人」で「優しい人」のはずだと一時的に偽善行為を繰り返します。 最近、こういう自分が疲れてきました。 偽善ですから、ストレスも溜まり、些細な事で怒ります。 怒りの矛先は全く関係のない第三者(生活に支障が出ない人物)、家族なのだと思います。 心から人を想い、偽善ではなく、本当の優しさを持ちたいと思います。 どうすれば、心の広い人間、器量のある人間になれるのでしょうか…。 まとまりのない文面で申し訳御座いません。
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- bukkosairline
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こんにちは。 私はほとんどの人は偽善者だと思いますよ。 だって真冬にホームレスに 暖かい缶コーヒー1本でもなかなかあげないですよね? 凍りそうに寒いのに。 やはり自分の利害のある事を優先にお金使いますよね? 電車で席をかわる位の簡単な事はしますけど。 ほんとみんな偽善者の自己満足だと思います。 だって自分のお金どんだけ分けてます? 寄付してる人もいるけど 残してるお金って自分が食べれるだけじゃあないですよね。 >実際、慣れてくると全く正反対で無関心になります。 私もここが問題かも。 優しいとかじゃないと思うんですけど。 なんだろ・・・他人に興味がないというか・・・ 人との関わり方がわからないんですよね。 (私の場合ですが・・・) >本当の優しさを持ちたい 自分が気に入って貰える様に 相手の気持ちを考えて 気の利いた人になりたい。 って事なんじゃあないのかな。 って私の事なんですが。 本当の優しさっていうのは マザーテレサみたいに 自分の欲を捨て 全力で人の為に尽くす事ですよね。 (滅多にいないと思います) みんな心が狭いです。うまく見せてるだけ。
- souziki
- ベストアンサー率24% (116/482)
こぉんな時期ですが、失礼します。 『例えば、込み合った電車でお年よりに席を譲るというお話がありましたが、普通はお年寄りが立ちっぱなしだと可哀想だからとか、辛いだろうとかそういう理由だと思うのです。 でも、私の場合は情的なものは微塵も無く、そこにお歳寄りがいるから譲るのが五体満足である人間の義務ではないのか、という思考のもとに席を譲る感じなのです』 それは十分優しさだと思いますよ。 あのね、優しさを心の底から行なえる人なんて多分いないです。 あなたの仰る優しさ、というのは、無償の優しさ、義務だの自己愛抜きの優しさのこと仰っているようですが、そういう優しさが一番ムカつきます、僕としては。 それこそ偽善だろ、とか僕は思いますよ。 無為の愛、自分を殺してまでの優しさ。 虫唾が走ります。 それを本気で信じて本気で行なっている人間がいたら、僕は少なくとも五歩分はなれます。失礼ですけど。 別にいいんですよ、それでも。 うん、そういう人たちは幸せだよ、きっと。 何も疑うこともなく自らの行いは優しさのもと立っていると信じて生きていけたらすごく幸せでしょう。 僕は嫌ですけど。 五体満足として席を譲る。 それが最も丁寧な礼儀だと思います。 優しさは礼儀の上に成り立ちます。 では、礼儀とは? 自分のできること、自分の義務を果たすこと。 あなたは何も間違っていません。 だって考えても見てくださいよ。 自らを犠牲にしてでも『与えてやった』優しさを、誰が喜んで受け取りますか? 借り作ったみたいで不愉快です。 でも、義務として。 そう行なうなら話は別ですよね。 本当に感情を込めて何かを行なう、というのはほんのわずかでいいんです。そんなの人生に何回もあったら人間の身が持ちませんよ。 だいたい、五体満足なものとして年寄りに席を譲る、というコト自体が優しさそのものだと思うのですよ。 あまりに小さすぎて気づかなかったんでしょうかね? それが義務感や責任感に変わっただけでしょうに。 優しさの反対は無関心です。 そこに年寄りがいることに気づきもしない。 そして、気づいても責任感も義務感も何も感じない。それが無情です。 けれど、あなたは違うでしょう。 お墓参りでもそうですよ。 死んだらそれで終わりでしょう。 親兄弟の中で貴女が一番良く通っていらっしゃる。 それが責任の元に成り立つもので、何が悪いのですか? それこそ優しさってものでしょう。 照れくさいんだか、本能的なんだか知りませんが、あなたの中では義務と責任に進化しちゃってるみたいですけど。 本当に無情ならば、墓になんて見向きもしません。 寧ろ墓立てません。墓にラクガキして叩き壊してこそ無情というものでしょう。 ある本にかかれているのですが、そのまんま丸ごとが貴方です。 貴方が裏の貴方を作れば、本当の貴方が出来る。 偽善者の貴方がいると思えば、本当の貴方が出来る。 でも、本当はそうじゃない。 まるごと、あなた。 何だか支離滅裂になってきましたね。 失礼します。
追伸 波紋使いです 僕もこの2重目の円の幅を本当に少しずつ広げて きました。広げてきた方法は、ずばり、勉強と 行動です。 勉強は、PHP文庫、知的生き方文庫 講談社現代 新書(だったかな?)で、自分に合いそうな人との コミュニケーションスキルが書いてある本を選んで みて下さい。(安いですし) あとは、納得できた部分を練習です。信頼できる 人との間で始めるなら、謝る勇気をもって実践です ね。 もしも、今たまたまいないなら、カウンセラー等の 援助を得ながら、些細なことだが、しかし本質が 必ず2重円を広げることにつながりそうなところから 始めると良いと思います。 「自己開示」これがキーワードなような気がします ちなみに、僕は25の時、友達の友達が合コンで 彼女ができた。それは僕がセッティングしたものだ ったので、勇気をだしてガツンと悪口を言ったら、 友人の九州男児が激怒しちゃいました。もちろん、 理由をいったら、そいつは笑って「相変わらず、 お兄ちゃんはぶきようやねー」っていってました。 それほど気絶するぐらい僕も失敗をしてますよ。 今日も明日も、あさっても(笑)
こんにちは 波紋使いです 僕が読んだとある本で、納得した部分があります。 人の心は三重円構造だそうです。 核の丸はエゴの自分。幼児の自分です。しかし、それ では大人になるに従って、生きていけなくなります。 そこで、3重目の○がモラル、礼儀、ルーティーン ワーク、ステレオタイプ、等々の建前の世界。何故 必要なのかは、あなたに敢えて言うのもくどいかも しれませんが、他人との関係をある程度円滑にする 為です。 そして、2重目の丸が、1つめの○と3重の○の あいだにある緩衝地帯。親友にはココロをひらいて エゴを比較的出すとか、嫌いな上司には3重○ばっか とか、そういう○です。そして、その2重目のばら んすのとり方が、大体悩みの種になるそうです。 あなたは偽善との切り口ですが、私は不要なトラブル を招かない大人の対人スキルという切り口を提示 します。あなたも私もどちらの切り口も一理あります よね? ただ、もうあなたは気付いていらっしゃいます。ご 自分が3重丸が強すぎて3重円のバランスを崩して いる事に。 具体的な方法を語るには、情報も少ないし今回は 特に何か申し上げられませんが、今回は、問題の 分析(わたしなりの)と、基本方針を提示させて 頂きました。 僕も正直、いつもバランスが悪くて、嫌になりますよ 「いやぁ、不器用ですから・・・(健さん風 笑)
- souziki
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優しくない、っていいますけど、それに気づいて改善しようとしている貴方は十分優しい人ですよ。 大体、偽善なんて言い出したらみんな偽善になっちゃいますよ。ロシア人形みたいな感じです。人形をカパリと割ると中にはもう少し小さい人形があって、ソレを割ると又人形が……って。どれが偽善でどれが真の優しさか、なんていう区別は無いんです、きっと。ロシア人形はロシア人形。小さくなって、カパカパ割れて、中身ががらんどうでもロシア人形。よくわかんない例えだと思うけど。 貴方は優しすぎるほど優しすぎるから自分を傷つけているんじゃないかなぁ。もっと図太く生きたってバチ当たりゃしませんよ。 それから、まとまりの無い文面というのは貴方のような文章には合いませんよー。とてもすっきりまとまってます。
お礼
お礼のお返事が遅れまして、申し訳御座いません。 ロシア人形というのはそういう意味合いがあったのですね。そう言われると納得できます。 私は自分に対して優しいだけです。 とてもズルい人間です。とは言っても、悲観的にマイナス思考で考え込んでいる訳ではありません。 こういう自分を見つめなおす時間はとことん考えますが やはり現実に戻れば、無情な自分が居ます。 私は親兄弟の中で一番、お墓参りとか祖父母のお見舞いに行きます。 敬老の日にはお菓子など買って持っていきます。 でも、それは優しさというより、むしろ義務的なもので、相手が「寂しいだろうか?喜ぶだろう」とか考えて行くのではなく、ただ、行かなければ行けないという責任感のようなものなのです。 例えば、込み合った電車でお年よりに席を譲るというお話がありましたが、普通はお年寄りが立ちっぱなしだと可哀想だからとか、辛いだろうとかそういう理由だと思うのです。 でも、私の場合は情的なものは微塵も無く、そこにお歳寄りがいるから譲るのが五体満足である人間の義務ではないのか、という思考のもとに席を譲る感じなのです。 それは優しさではないと思います。 義務的なものを遂行したという達成感、優しい行動を取ったという自己満足の世界でしかありません。
こんにちは 誰もが偽善者な所はあるのではないでしょうか? でも、本当に優しい気持ちになる時もある。それも 確かな事実です。 僕の例で恐縮ですが、僕は介護の仕事を1年で 辞めざるを得なくなりました。なぜなら、他人に 優しくできないように、仕事の疲労と人間関係の不和 で追い込まれたからです。 去年の初め、バイク事故を起こして、松葉杖をつい て友達の所に遊びにいきました(電車で)そうした ら、優先席に座っている僕の前にお年寄りが・・・ 僕はいつもは席を譲ってますが、その時はゆずれま せんでした。脚のサポーターを見せて、怪我をしてい る事をさりげなくアピールしちゃう小市民ですから ね(笑) でも、言いたいこと。それは、自分に余裕がある人 程、周りの人に優しくできやすくなる、という事です 。似た言葉に「自分を愛せないと、本当に他人を愛せ ない」という言葉もあります。そして、確かに今、 僕はうつで辛いところもあり、実際恋もしていません 。いや、出来ないのです。自分に手一杯だから。 ご自分に優しくして、ご自分が幸せになると、そこか ら何かが生まれると僕は考えます。
お礼
お返事が遅れまして申し訳御座いません。 >自分に余裕がある人程、周りの人に優しくできやすくなる... 確かにそうですね。 私は余裕がない時こそ、冷静でありたいと思います。 どんな時でも、余裕が作れる人でありたいです。 そこまで自分を強くする必要はないのかもしれない、完璧な人間なんて居ないと思います。 やっぱり私はズルい人間です。 上っ面だけの人間です。 支離滅裂な文章ですみません…。
- timeup
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しっかりと御自分を見つめめ、判断を下していますね。 人間とは多かれ少なかれ、仰るような動物の一種だと考えています。 結論としては、「自分は何のために此の世に生まれ出てきたか」という事を突き詰めて考えることです。 これは哲学的・宗教的な漠然としたものではなく、あるのです。 >些細なことで怒る ⇒これは上記を探している潜在意識と表在意識の葛藤です。 >心から人を想い、偽善ではなく、本当の優しさを持ちたいと ⇒無条件の愛・・・・うーん、人間でいる間は無理だと思います。 聖人君子は無理だし、神も無理・・・で、私は仙人を目指すことにしました。 仙人なら其の最下層まで死ぬまでに指がかかる可能性も無きにしも非ずですから、聖人君子や神の様な到底到達不可能なレベルを目指すより現実的です。 仙人・・・・架空の想像の過去の人物では有りません。この世に居るのです。 聖人君子では無いですよ。あくまで人間ですから、貴君の状態を全て解決できるわけではありませんが、多分・・・・此の状態になると解決する手段・方向が分かってくると思われます。 私は貴君と同じ状態が20代にあり、大学に何回も行き、普通の運動による肉体改造から、ヨーガや仙道での精神改造?などなど色々やっての結論ですから、普通の人には受け入れられないものですが、貴君は真面目に本当に悩んでいるようなので、方向の一つとして書いてみました。 方向の一つとは、目指す頂上が同じでも、登る方法、道はみな違うからです。
お礼
貴重な時間を割いて頂き、感謝いたします。 文面を拝見する限り、経験を経て何かを悟られたようですね。ただの活字ですがその言葉一つ一つが雄勁で非常に重みを感じます。 仙人というと中国の絵巻や、亀の甲羅を背負ったエロ爺さん(アニメ)しか思い浮かばないのですが、実際に仙道が開けるとは驚愕です。 貴重な体験、有り難うございました。
- sirayukihime
- ベストアンサー率30% (63/207)
初めまして。 御質問者様の仰ることは至極本音であり殆んどの人は、こうしたものだろうと思われます。 哲学のカテゴリ等でも、このような題材で質問が立てられているのを、よく目にします。 >怒りの矛先は全く関係のない第三者(生活に支障が出ない人物)、 その通りでしょうね。 >まず、自分は自分、他人は他人という固定概念がありその基礎の上に偽りの偽善者が作り上げられています。 ここを認めるだけでも抵抗が強い人も多いようですから御質問者様は怜悧なかただと思います。 >でも、一人で大丈夫、そんな寂しい自分が居るのです。 一人で大丈夫、そう思えるのは実はなかなか希少なことではないでしょうか。そのうえで「真に優しく」ありたいと願えることが、すばらしいことなのではありませんか? 一人で大丈夫と思える自分が寂しい・・・そういう感性は、すでに「優しい」世界に足を踏み入れておられると思います。 「偽善の優しさ」は決して真に人を救わないと思います。逆に >偽善ですから、ストレスも溜まり、些細な事で怒ります。 こうした形で自分自身をも傷つけます。 >心から人を想い、偽善ではなく、本当の優しさを持ちたいと思います。 どうすれば、心の広い人間、器量のある人間になれるのでしょうか…。 心から人を想い偽善ではなく・・・御質問者様は、もうこのステップまで進まれたということでしょう。ここまでも進めないで開き直っている人が、いかに多いことか。 他の御回答者も仰るように、御無理なさることはないと思います。その前に自分の本当の姿を正面から見据えられることが先決だと思います。 そこから出発した人だけが「偽善」の衣を脱ぎ捨てることができるのだと思います。
お礼
貴重な時間を割いて頂き、感謝いたします。 活字だけで構成された文面では相手の真意が見極め難いと感じていましたが、ものの見事に心の内を透かされたような気持ちです。 今日からですが少し力を抜いて、深く考える事(作ろうとする行為)を止めてみました。 そしたら、違和感なく相手を想う気持ちが芽生えました。突発的に感情だけで相手(家族、第三者)に罵声を浴びせることもなくなりそうです。 今まで築き上げた「偽善」の衣を脱ぎ捨てる事が出来たら、本当の優しさに気づける気がします。 不思議ですが、穏やかな気持ちです。
- shi_yu
- ベストアンサー率0% (0/2)
hanako1793さんは決して人より優しくないことはないと思います。優しい人だと思われたいという思いが人より少し強いだけではないですか。 でもやっぱり無理するとストレスがたまってしまいますね。私もそうゆう時期がありました。 周りに本当に頼れる人がいたり、心をひらいて話せる人がいると、その人たちには優しくできるのでは。 決してみんなに優しくある必要はないと思います。 好きな人が増えていくとそれだけ沢山の人に優しくなれると思います。 無理はいけませんよ。やっぱり自分が一番大切なので。 あまり参考にはならないかもしれませんが・・・
お礼
貴重な時間を割いて頂き、感謝いたします。 優しい人だと思われたいというのは、カッコ付けたいとか、自分をよく見せたいとは違うのでしょうか…? 本当に頼れる人、心を開いて話せる人…悲しい事にいません。今まで自分だけを信じ、自分を正当化させる事で納得していたのでしょうね。 友達はいます。妻も親も兄弟も。 でも、一人で大丈夫、そんな寂しい自分が居るのです。 自分の為だけにしか行動できない。 悲しい人間です。 shi_yuさんはどうですか、何か行動する時、何を重視しますか?
- pkiaejrkrtot
- ベストアンサー率42% (27/64)
まず、hanako1793さんは現段階で、100%優しい人である必要はありません。無理やり自分を「優しい人・イイ人」と決め付けるから苦しいんです。最初から自分の希望に近づけすぎです。そうではなくて、今は自分はまだ人間として成長段階で、これから少しずつ優しい人になりたいと思い、少しずつ頑張っていくという風に考え方のスタンスを変える必要があると思います。 他人に対して無理をしてまで、イイ人や優しい人間である必要はないと思います。お話を伺うと、ちょっと無理しすぎてる感じがあります。イイ人になろうと意識しすぎなのではないでしょうか。 人間いい所も悪い所もあるから、どちらも認めてその上でどちらも良い方向に伸ばせていけたらいいなくらいに少し軽く考えた方がいいと思います。 自己防衛のために人に優しくするのではなくて、他人の喜ぶ顔が見たいと思って優しくすれば本当にイイ人になるし、疲れるどころか他人の笑顔が見られて嬉しいのではないかなと思います。 hanako1793さんの核の部分に「心から人を想い、偽善ではなく、本当の優しさを持ちたいと思います。」という優しい気持ちがあるなら、絶対大丈夫ですよ^^ もっと気持ちを楽にした方がいいかも。言い方悪いかもですが、もう少し楽天的になったらいかがでしょうか。駄目だ駄目だって考えすぎちゃってる気がします。人間完璧な人なんてそういませんから、死ぬまでに完璧な人間になろうくらいのつもりでいいなじゃないでしょうか。みんなどこかしら悪い部分てあると思いますよ。 まとまりませんが最後にえらそうな事いってすみませんでした。
お礼
貴重なお時間を割いて頂き、感謝致します。 >自己防衛のために人に優しくするのではなくて、他人の喜 >ぶ顔が見たいと思って優しくすれば本当にイイ人になる >し、疲れるどころか他人の笑顔が見られて嬉しいのではな >いかなと思います。 この文面を拝見した時、なぜ人は優しくするのか?という意味が分かった気がしました。 私は今まで自分のカッコ付けの為に優しくしてきました。自分をよく見せたかったのです。 誰にでも自然と優しくなれる人間になりたいと思います。 pkiaejrkrtotさんはきっと、その優しさを持った人なのだと思いました。
お礼
お返事有難う御座います。 3重輪のお話、私もとても共感できました。 私の場合、波紋使いさんがおっしゃる通り、3重円が重すぎるのは勿論ですが、付け加えると2重円目が鉄壁で外部からの侵入者を遮断している状態。 しかしながら、1重円のエゴから一方通行で3重円目の偽善を容易に操作している。という感じでしょうか…? バランス…難しいですね…