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吉田兼好(兼好法師)について
兼好法師について知っていることがあったら教えてください。 生まれてから死ぬまでとか、そういう詳しい情報があると嬉しいです。 お願いします。
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とりとめがありませんが・・・ 1283年~1350年 本名卜部兼良 元寇の2年後に生まれた人です。 江戸時代の「園太暦」という書物の中に兼行伝記資料が流布していたそうです。 それによると 吉田社司卜部兼顕の四男である兼好は、盛者必衰の道理を感じ、東漂西泊すること15年を経た。ある時、伊賀権守橘成忠にまねかれ、伊賀国(三重県)に赴いた。そこにおること3年。兼好は成忠の娘のもとに通うようになり、 「しのぶ山またことかたの道もがなふるぬるあとは人もこそしれ」 という歌を贈った。 ところが、この情事が露見し、兼好は密かに伊賀国を出奔して旅に出た。その後、帰路して庵に住んでいたが、成忠は旧友の縁を慕って、前科を許して、再び兼好を招いた。そこに赴いた兼好は、やがて伊賀国国見山麓田井庄に庵を構え、そこで往生したという。 これは、伝承的な逸話だそうです。 卜部氏は、中臣鎌足の叔父国子の子孫であり、平安時代に平麿が卜部を名乗り始め、祖孫兼延が一条天皇から「兼」の字を賜って、以後代々名前に「兼」の字を使うようになったそうです。 http://www.ffortune.net/social/people/nihon-kama/kenko.htm に吉田神社との関わりなども載っています。 http://ksugiura2.hak.hokkyodai.ac.jp/myweb/kennori.htm に杉浦教授という人の吉田兼好と本居宣長についての論文が載っております。 ご参考まで。
お礼
親切なご説明、本当にありがとうございました。大変助かりました!! これで宿題が終わりそうです。