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土葬について
江戸時代の土葬のお墓って累代をやると骨で一杯になりませんか?いちいち墓石を取り除いてまたセットですか?
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由緒のある家柄のところは知りませんが、ごく庶民の、田舎の私の親戚の話。現在は火葬になってますが、半世紀ほど前までは土葬の習慣が残っていたそうです。 そこでは、土葬にして土に埋めた遺体を1年だか2年だか後に掘り出してきれいに洗い、先祖代々の墓の、墓石をずらして(正面の線香や花を立てるところのすぐ後ろに入れ口があって、中は大きな穴が開いている)中にお骨を放り込むという話でした。 中ではどれが誰のだかわからない状態でお骨が散乱? のようでした。古いお骨は自然に分解して土に還ると祖父が言ってました。(これが本当なら、すぐ満杯になる心配はないような、、、) お骨は骨壺に納めて、年代順に棚にきちんとならべられるものだと思っていた私は、その話を聞いてとても驚きました。(私の家の墓のことは知りません) 江戸時代は、墓のあるような家は少なかったんではないでしょうか。土葬して骨にしたら、共同墓地みたいなところに集めたんじゃないでしょうか? 自信なし。
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- been
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既に回答されているように、土葬された骨はやがて土に還るのでいっぱいにはなりません。 しかし、今日のように極めて高温で焼く火葬の骨はガラス状に変化しているので、粉々になることはあっても土に還ることはありません。墓はやがて満杯になってしまいます。
お礼
高温で焼くと土に還らなくなるのですね、勉強になりました。ありがとうございます。
- ipa222
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土葬をすると骨は土に還ります。 無縁仏を入れるところも、底は土にしています。バクテリアが分解してくれますから永遠に一杯にならないのです。
お礼
骨は土にですね、ありがとうございます。
- 6dou_rinne
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江戸では市街地の拡張にともなって何度も寺が移転させられています。その場合、寺の建物は解体して移転することはありますが、墓地のほうは墓石も含めて埋め立てられてしまいました。 また移転しないような場合でも、大名や由緒ある武士の家柄ならばともかく、そうでなければたいした墓石もないのが普通でしたから、一定の区画の橋のほうから埋葬してゆき、ひとまわりするとまた最初の場所に埋葬するような形をとることもありました。 そのため墓地が足りなくなるようなことはなかったようです。
お礼
墓石がないのも結構あったのですか、ありがとうございます。
- kageroho
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私の両親の故郷は、今でも土葬です。長い習慣になっているため、許されているそうです。但し、伝染病など特定の死因の場合は、火葬しなければならないとか。 棺桶は、本当に「桶」です。寝棺ではなく、大きな味噌樽のような桶に膝を曲げて座らせます。葬儀が終ると、桶の下に神輿のように二本の棒をかませ、近親の男性8名で担いで、丘の上の墓所まで親戚近隣一同で葬列を組んで運びます。墓地では既に穴が掘られており、そこに棺桶を収めます。喪主が、もう一度蓋を開けて故人の顔を上に向かせ、みんなで最後のお別れをしてから、土で埋めます。 墓地は、墓石を中心にして広く取ってあり、墓石の四方に、計4つまで棺桶を埋められるようになっています。通常、長男の家系で順番に天寿を全うすれば、一番古い棺桶の場所を掘れば、既に前の棺桶と遺体は土に返っていて、そこにまた普通に埋めるそうです。 但し、江戸時代など疫病で家族が同時に複数亡くなったりすると、野焼きのようにして遺体を焼いてから埋めたそうです。 両親の田舎は、大地主というほどではありませんが、小作農ではなく、土地持ちの農家でしたから、江戸時代でも貧しくは無かったと思われます。貧しい農家などで、同様の墓地を持っていたかどうか…。また、そうでなくても、次男以下の、家を出た人たちの墓所がどうなっていたかは、聞きそびれました。 日本の一般的な土葬と同じかどうかは分かりませんが、一つの事実としてお知らせしました。
お礼
墓石の四方に4つですか、わざわざ実話ありがとうございます。参考になりました。
お礼
やっぱ仮埋めみたいなことするところもありますよね、ありがとうございました。