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与謝野晶子の歌ですか?
知り合いの外国人からこの歌の意味を知りたいと聞かれたのですが、どなたかご存知でしょうか?与謝野晶子さんの歌らしいのですが・・。 ゆく春の 祇園はかなし 舞姫が 稽古帰りの 後ろ姿も 「はかなし」なのか「祇園は、悲し」なのかあいまいです。「舞姫」は「まいこ」と読むようです。 どうぞよろしくお願いします。
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吉井勇は有名な歌人で「祇園双紙」には「舞姫と僧と」という歌を連ねて、お話もののようになっている章があります。 吉井勇は「祇園歌集」でも祇園の女性を表記するのに舞姫を使っています。音からしてそのまま「まいひめ」と読ませるのが自然です。「まいこ」では変です。 与謝野晶子も同じような趣旨で祇園の女性を舞姫(まいひめ)と歌で詠んでおり、これは吉井と与謝野の共通点「明星」同人に見られる独特の言い回しではないかと思います。 「はなかし」か「は、かなし」かですが、これは「は、かなし」と読ませるのが自然だと思います。逝く春の祇園への愛惜の念(かなし)、まあ情緒とでも置き換えるとわかりやすいと思います。そういうのを舞姫と洒落てますが、舞姫は、まあ祇園の舞妓か芸妓か、わざわざ「舞姫」と言ってるのだから芸妓ではなくて舞妓をイメージしてると思いますが、その踊りかなにかの稽古の後ろ姿に情趣を感じてる訳です。 歌は見たとおりで、そんなに深い意味のある歌ではないかと思います。 蛇足ですが吉井勇は黒沢明「生きる」の中で主人公がブランコで歌う「いのち短し恋せよ乙女」の歌を作詞した人です。その外人さんが映画通?ならこうした話も喜ぶのではないでしょうか。 吉井勇は華族出身の歌人ですが、歌をみてもわかるごとく祇園に入り浸り、晩年は住まいも京都に移した人です。古書店などで短冊は与謝野晶子と並ぶほどよく見かけますが、いまでは戦前ほど知名度は高くありません。
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- 安房 与太郎(@bilda)
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urlaub さんの知り合いの外国人に、ぜひ伝えてください。 いまもむかしも、祇園のような花街(かがい)で遊ぶ人々は少数で、 通人や粋人を自称しながら、目だたないように通っているのです。 きれいなべべ(着物)で、唄や踊りに明けくれる生活にあこがれて、 田舎から出てきた娘たちが、きびしい修業や、ひややかな遊客の本心を 知るほどに、それぞれ大人の女に成長するのです。 井上流京舞の「都をどり」が終わると、祇園の春も終ります。 すなおに「悲しい、愛しい」と云わず「はかない=あっけないさま」 にかけているのは、遊客の視点なのです(以下、翻訳ソフトで反転訳)。 >> 春の演奏会が終ると、祇園は寂しい町になる。 舞姫たちが、稽古から戻る姿も、悲しげだ。 ↓ When a concert of spring is over, Gion becomes a desolate town. The figure which dancing girls return to from a lesson seems to be sad. ↓ 春のコンサートが終わっているとき、祇園は荒涼とした町になります。 ダンサーがレッスンから戻る数字(!?)は、悲しいようです。 http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext << わたしは、祇園について、少しだけ知っています。京都人が、舞妓を 舞子と書くことはありますが、「舞姫」と書いて「まいこ」と読むこと はありません(字数も足らず、彼女らは「姫」ではないのです)。 むかし、お茶屋の老女将が、こう語っていたのを思いだします。 「若いうちから、こんなとこで遊ぶ人は、アホかワルかどっちかやで」 ↓《ごまめの歯軋り 20040410 都をどり》
お礼
祇園についてもご説明いただき、どうも ありがとうございました!参考にさせていただきます。
- teachmeplease
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吉井勇という人の歌のようです。 本題の歌の解釈はわかりません。私は歌心はないので。 ただ、「祇園は かなし(愛し)」のほうがしっくりくるような気がします。 「春の祇園はいい感じ、素の舞妓さんを見かけたりもして♪」 という程度の意味じゃないかとも思いますが。(てきとうな事いってスミマセン)
お礼
参考URLを見る限り、吉井勇さんの歌のようですね。 早いご回答ありがとうございました。
お礼
詳しい解説に感謝いたします。今までにいただいた ご回答も含めて、解決できそうです。 どうもありがとうございました!