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与謝野晶子の歌について
「君死にたまふことなかれ」の与謝野晶子が次の歌を詠んでいるとのことです。戦争を肯定しているのでしょうか、否定しているのでしょうか、あるいは皮肉や揶揄を言っているのでしょうか? 強きかな 天を恐れず 地に恥じぬ 戦をすなる ますらたけをは(『大東亜戦争歌集 愛国篇』所収)
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- TANUHACHI
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再度の折り返しありがとうございます。 >(1)確かに、「天を恐れず」は「ますらたけを」を修飾するとも読めますが、 >(2)それでも「天(神)をも恐れぬ勇猛な男」とは何でしょうか? >(3)何者をも恐れず何でもかんでもやってしまう男は、褒め言葉とは思えません。 >(4)反戦歌人の先入観だけでなく、言葉遣い自体もちょっと変です。」 上記の件に関して。 >>(2)(3)少なくとも「天(神)をも恐れぬ勇猛な男」とは申しておりませんよ。もう一度お読みいただければ「死生を賭して」つまり戦場に散ることを覚悟してとの意味です。そうした覚悟で戦地に赴く兵士と戦場で散りゆく命を讃えることで戦争を肯定するとの解釈です。 『君 死にたまふことなかれ』に表された純粋でストレートな表現はこの作品では全く影すらも見られません。「イロニーを込めて」などの解釈が成り立つならば、それは他の作品にも反映しているはずではありませんか?。 >>(4)与謝野晶子が日露戦争の時点で反戦を表明した歌人として知られていることは高校生の日本史レベルでも常識です。それを「先入観」だの「ちょっと変です」と仰るなら、その根拠をお示しになるべきでしょう。それをなさらずに一方的にこの様なレッテル貼りをされたのでは堪りません。少なくとも「ちょっと変」だけはルール違反に相当しますので該当部分の削除を要請しました。 質問者様が「強きかな」を「戦」に掛かるものとして解釈なさるのもご自由で、その上で「イロニーを込めた作品」ではなかろうかとされるのもご自由です。文学には「これが正しい」などとの枠ははめられませんから。 問題になるのはこの作品の所収元です。『大東亜戦争歌集 愛国篇』となっています。この発行元が「日本報国文学会」であり「国民歌人会」であることを勘案してみるとどのような事象が浮かび上がってくるでしょうか?。 この二つの組織の性格がどの様なものであるのかなどご存知ですよね?。1940年に成立した大政翼賛会とそれ以前の言論統制の問題があります。この組織の目的は「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力すること」であり、社団法人として発足し運営費も情報局が支出しています。つまり文学活動を国家の紐付きサークル的な組織であると同時に国民に対する戦意高揚を目的としていたことも明らかです。 質問者様の様に与謝野晶子は非戦の立場を終生貫いたと好意的に受け止める見解もある意味では成り立つでしょう。しかしながらこうした時代背景に目を向ける僕の与謝野晶子に対する印象は途中で節を曲げた人物としか思えません。 最後にこの作品に示された「死をも恐れぬ勇者」を英語に置き換えるならばどのような表現になるだろうかと思い考えてみたところ、この様な訳語を思いつきました。 “The brave who is To be willing to march into hell,For a heavenly cause"「それが天命であるならば、地獄の底まで行くことすら辞さぬ者」、この様な人間を生み出す手段として文学や芸術が利用されることだけは僕は許すことができません。
- TANUHACHI
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早々の折り返しありがとうございます。修飾語・被修飾語の問題ですが、僕は以下の解釈をしました。 「強きかな 天を恐れず 地に恥じぬ 戦をすなる ますらたけをは」の主語は「ますらたけを」であることに疑いの余地はないところでしょう。この「ますらたけを(=益荒猛々しい男子)」を評して与謝野晶子は「強き哉」そして具体的内容ととして「天を恐れず 地に恥じぬ」と表している、と解釈しました。 全体の歌意として「(死生を賭して戦場に向かう、戦の場にある)その若者の姿が何と勇猛果敢なことか!。まさに大和の男の子として誉れ高く天地の神々の意を受け継ぐ者と呼ぶに相応しい姿である」として「戦地に赴く若者を讃える」歌と理解しました。 「天を恐れず」が掛かる先が「戦」であるとは僕には感じられません。この場合の「戦」は「戦をすなる」と表現されているのであって戦争そのものを指していると解釈するには不自然な感じがします。逆に「戦」に掛かるのであれば、それはどのような根拠に基づくご理解でしょうか?。 天=神ととらえれば、「神をも恐れぬ、無知無謀で罪深い戦争だ」との含意・裏の意味を感じませんか?との背景には「与謝野晶子→『君死にたまふなかれ』→反戦歌人」の暗黙の前提が作用しているのではありませんか?。もしそうであるならば、一度その前提を外し真っ新な状態からこの作品を見直してみることも必要と感じられます。 確かに「天=神」この解釈には僕も同意できます。そのうえで「(神仏の加護を受けて)戦地にある若者の逞しさ」を歌っている、ならばそこからは「神国日本への礼賛」こそ感じられるものの非戦や反戦の匂いが伝わってくるとの理解がなぜできるのかとの疑問が生ずるのです。 実際の与謝野晶子は『君死にたまふなかれ』の発表以後、第一次大戦の際には『戦争』との作品で「いまは戦ふ時である 戦嫌ひのわたしさへ 今日此頃は気が昂る」と自らのスタンスを変更しその後の日中戦争においても満州国の成立を容認し、自らの四男が出征するに際し「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」として、お国のために………と戦争を擁護する姿勢を強めています。 こうした作家としての歩みを通してこの作品の意味を問うなら、僕は「皮肉や揶揄」などの評価は成り立たないと存じます。近代文学にはこうした人物は他にもいます。永井荷風です。作家としてデビューした当初は『あめりか物語』『ふらんす物語』などの西欧志向をうかがわせる作品を発表しますが大逆事件を契機としてデカダンに身を委ねると共に『断腸亭日乗』には軍国主義を擁護する記述も見え始めます。
お礼
丁寧な説明をありがとうございます。 確かに、「天を恐れず」は「ますらたけを」を修飾するとも読めますが、それでも「天(神)をも恐れぬ勇猛な男」とは何でしょうか? 何者をも恐れず何でもかんでもやってしまう男は、褒め言葉とは思えません。反戦歌人の先入観だけでなく、言葉遣い自体もちょっと変です。彼女自身が揺れていた可能性もありますし、時局におもねらなくては生きていけない時勢の閉塞状況もあったかも知れません。日露戦争の頃の言論統制とはレベルが違いますから。表向きは賛美で、裏地に批判を縫いつけている歌ではとも思うのです。この前後の彼女の言動を詳しく調べてみる必要がありそうです。 そう思うのは、永井荷風も、ご指摘とは正反対の記述もしているからです。 昭和16年6月15日の条「聖戦と称する無意味の語を用ひ出したり。」「無知の軍人等及猛悪なる壮士等の企てるところにして一般人の喜ぶところにあらず」と批判。 昭和18年12月31日の条「軍人専制政治の害毒いよいよ社会の各方面に波及」「今は勝敗を問はず唯一日も早く戦争の終了を待つのみなり。」「今日の軍人政府の為すところは秦の始皇帝の政治に似たり。」「斯くして日本の国家は滅亡するなりべし。」とボロクソです。事実、大日本帝国は滅亡したのですが。 彼もゆれていたか、裏表の使い分けをしていたのかも知れませんね。
- TANUHACHI
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追記です。1942年に没した与謝野晶子は最後まで反戦の立場を貫いた作家でもなく、日露戦争にともなう「君死にたまふことなかれ」以後わずか6年の後にはその立場をがらりと変え、好戦的な作品を綴るに至ります。引用されている「強きかな 天を恐れず 地に恥じぬ 戦をすなる ますらたけをは」の短歌はその一例として知られる作品です。 その後、与謝野晶子は女性の地位向上運動に取り組むなどの側面とこの様に戦争を礼賛する姿勢の両方が複雑に交差することで一貫性の見られない作家などの評価もあります(簡単にいえば、自分勝手でエキセントリック)。 したがって、御質問に対する答えとしては「戦争を肯定する作品」との評価がなりたちます。
お礼
「天を恐れず」をどうお読みですか? 「戦」に掛かる修飾語ですよ。 天=神ととらえれば、 「神をも恐れぬ、無知無謀で罪深い戦争だ」との含意・裏の意味を感じませんか?
- TANUHACHI
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与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』は1904年(明治37年)雑誌「明星」に発表された作品で「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」の書き出しで始まります。全文は下記のとおりで 君死にたまふことなかれ 旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて 與 謝 野 晶 子 あゝをとうとよ、君を泣く、 君死にたまふことなかれ、 末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも、 親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや、 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。 堺(さかひ)の街のあきびとの 舊家(きうか)をほこるあるじにて 親の名を繼ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ、 旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ、 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。 君死にたまふことなかれ、 すめらみことは、戰ひに おほみづからは出でまさね、 かたみに人の血を流し、 獸(けもの)の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、 大みこゝろの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。 あゝをとうとよ、戰ひに 君死にたまふことなかれ、 すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、 なげきの中に、いたましく わが子を召され、家を守(も)り、 安(やす)しと聞ける大御代も 母のしら髮はまさりぬる。 暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻(にひづま)を、 君わするるや、思へるや、 十月(とつき)も添はでわかれたる 少女ごころを思ひみよ、 この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのむべき、 君死にたまふことなかれ。 読んでお判りのとおり、愛しい人を失いたくないとの思いが切々と綴られています。また一連めの「親のなさけはまさりしも、親は刃(やいば)をにぎらせて、人を殺せとをしへしや、人を殺して死ねよとて二十四までをそだてしや」と人間の生命を奪う戦争などに加担して欲しくないとの思いも込められていることから「反戦歌」とされています。実際にこの作品をご自身の声に出してお読みになることをお奨めします。
お礼
回答ありがとうございます。 しかし「君死にたまふことなかれ」の意味は誰も知るところです。 その彼女が詠んだ短歌とのズレを問うていているのです。
お礼
末尾の英訳を見て、ようやく貴方のおっしゃる解釈が分かってきました。 つまり、「天を恐れない男」とは、あの世に行くことも恐れないと解するわけですね。そうすると確かに行け行けドンドンの歌意になります。今まで何人もの人に聞いても聞けなかった新解釈で、一つの収穫となりました。ありがとうございました。 なお、誤解がいくつかあるので解いておきます。 (1)「先入観」は回答者様が私に言われた言葉で、私が回答者様に対して言ったのではありません。 (2)「ちょっと変です」は、与謝野晶子の言葉遣いがほめ言葉としては変だと感じたと申したのです。回答者様のことを言っているはずはありません。もう一度お読みいただければ。 (3)作品の所収元はおっしゃるとおりですが、そこに迎合して世過ぎをしつつ、裏に反戦の意味をにじませたという解釈を妨げるものではありません。(反戦歌人として一貫してみる場合の解釈ですが) (4)「天を恐れず」を受ける被修飾語は、「戦」「ますらたけを」のどちらともいえるという理解に私は既に発展しています。「戦」に掛かると固執はしていないのですが。