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文章を理解しやすくする方法
私はかねてより自らの文章読解能力に疑問を感じています。 たとえば新聞や雑誌やネットの一つの記事を読むにあたり、一度もつまづかずに読み終わることはまずありません。理解できない箇所を何度も読み返すうちに袋小路に入ったような感じになりついには逃げ出します(読み飛ばして理解した気になります)。読み返すうちに理解したような気になっても、完璧に理解できたと確信に至れることもありません。読了後常に、「果たして自分はこの内容を理解したのだろうか?」という疑問符が張り付いてきます。 そのせいか最近では新しい記事を読むことに恐怖を覚えるようになってきました。「理解できない可能性」を感じ、それに立ち向かう気力が浮かびません。「遅読」である可能性も考えるほどです。なんとか現状を打破したいと考えております。そこでお聞きしたいのです。 どうすれば文章を理解しやすくなるのでしょうか? (ぱっと見)理解できない文章に出会ったときどうやって対応していますか? ひどく漠然としていますが、日ごろから理解することに慣れている人たちにはなにか「共通の手法」があるのではないかと考えております。 よろしくお願いします。
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なるほど、すこし見えてきたような気がします。 その説明の前に、次の文章を読んでみてください。 --- 実存主義とは、本来本質存在に対する現実存在の優位を説く形而上学説であったが,そこから唯一現実存在の自覚を持ちうる人間存在の特性にである自己意識との関係において,機械文明の発展によって信仰を失い、神の絶対的価値が失われたことに端を発する。 --- これは参考URLからの引用です。 これを書いた人には申し訳ありませんが、とてつもなく分かりにくいことを書いている、と思いませんか? この文章が頭にすっと入ってきて「よくわかる」と思う人は、日本で日本語で生活しているひとには、多くないと思います。 では、なぜそうなのか。 それは多分、日本人がこの思想のベースとなる、キリスト教的人間存在、というものを知識として持っていないからではないでしょうか。 人間は神に似せて作られた・・・このキリスト教文化における「いわなくてもいいこと」「常識」を日本でくらす私たちのうち、どの程度「常識」「いわなくてもいいこと」として自分のものにしているでしょうか? 上で引用した文章を理解するためには、以下のことを理解している必要があります。 --- 人間は神に似せて作られた。つまり、人間は本来、神の特性(神性)をもって生まれ付いている。 だから、その神性に基づく行動がとられる。 そもそも、キリスト教における「罪」とは「的外れ」すなわち、行いがどうであるというよりも、どのような姿勢で「存在しているか」が間違った状態=神に向いていない状態であることが「罪」なのである。 人間は神性を持っている。人間が神に向いていない状態は罪である。 だから、人間は神にむいて(=信仰をもって)神性の通りで「いる」ことが「人間性」というものなのだ。 そこからはずれた、すなわち、キリスト教規範の示す神の性質とはことなる存在(姿勢、思考、思想、思い、感情)は人間から外れたということなのだ。 --- さて、この文章が理解できたら、また上に引用した文章をもう一度読んでみてください。 多少は理解が違ってくるのではないでしょうか。 すなわちこの例では、 人間が本来神に似せて作られたと思っていたら「神などいない」ということになってしまったから、じゃあ、人間って一体何?ということになってしまって、困ったなぁ・・・悩むよね。 それを解決するには、「結局人って、自分で人間とは何かを決めていいんじゃないの・・・」という考え方だわ。 こんな風に悩むのは、文明が発達して「神などいない」ってわかっちゃったからだよね ということを言っているのが分かりますよね? --- あらゆる文章で少しでも抽象的な概念を含む場合は、自分の持っている知識ベースから、関連すると思う事柄を引き出してきて、それと照らして理解をしようとすると思うのです。 ところが、引き出しが少ない、引き出しにないか、あったとしても、正しいものが出せない、または、間違ったものを出してしまっているのに気づかない場合は、いつまでたっても、理解できない、・・・とこういうことなんじゃないでしょうか? まずは、書いてあることを「理解」しようとせず「受け入れ」、「これも一つの考え方である」と丸呑みしてはいかがでしょうか? たとえば、以下の文章、 『白いオペケペの性質は[高い高い]と[低い低い]である。 しかし、赤いオペケペにおける性質を検討すると、白いそれとの類推が得られるかもしれない』 だって、日本語としての文章構造は正確なはずですが、まったく理解できないでしょう。だって、まるで架空のないようですから。 でも、以下のことくらいは「受け入れる」ことは可能でしょう。 ・この文章で説明したい対象は「オペケペ」 ・「オペケペ」には白いのと赤いのがある(いる?) ・この文章で説明したいことは「性質」についてである ・「オペケペ」の性質を表す言葉に「高い高い」や「低い低い」がある ・赤い「オペケペ」の性質から、白い「オペケペ」の性質は類推できるかもしれない ここまで受け入れる、または理解しても、相変わらずこの文章の全体の意味は「理解」できないと思います。 しかしそもそも、この世の中の事象すべてを理解できるなんていう前提にあやまりがあると思います。 もちろん、そのうちの一部は「理解できる」こともありますよ。 しかし全部となると、所詮できることは「受け入れる」くらいでしょう。 とりあえず「部分的に理解し、全体は受け入れる」という姿勢で、知識ベースを広げていく、ということではだめでしょうか?
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- sirayukihime
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初めまして。 私は頭が単純にできてるせいか回りくどい文章がキライです。必要もないのに、やたら専門用語や横文字を、これでもかと使ってるの見るとウンザリします。特にカンタンなことを、わざわざ難解な言い回ししてるの見ると「こいつ、ホントは頭悪いんでねえ?」と思います。 カンタンなことをカンタンに→アタリマエ。 カンタンなことを難しく→頭悪い! 難しいことを難しく→フツー。 難しいことをカンタンに→アッタマイー!! だと思います。 細部の表現などは本当に人それぞれですから肝心のところが大づかみできれば上出来じゃないんですか?それもできない人だっているでしょうから。 >私の興味は猪突猛進にIT業界へ向いていますが(いるはずですが)そういった文章を読んでも無理解の死屍累々です。逆に料理とかファッションだとか芸能とか日曜大工とか興味のない(覚えたくない)そういった文章は一発で理解・記憶への定着が可能です。 ここを拝見する限り、どうやらリラックスしているかどうかがカギのようですね。IT業界のかたなのでしょうか?「是非とも理解せねば・・・」と肩に力が入っているために脳の巡りも硬直しがちになっているのではないでしょうか。 私の場合、頭が鈍いですから最初からいっぺんに理解できるということは諦めております。それでも何とか大まかにでも理解の必要があると思うときには一度ザッと流し読みした後、時間を置いて再度目を通します。大概これで大づかみくらいはできますが、これでもダメなときは、また時間を置きます。そうやって繰り返し読んでるうちに最初はチンプンカンプンだったものが「あ、そーゆーこと」とストンと入ってくることが、よくあります。これでも、どうにもならんときは「この、スットコドッコイの悪筆野郎!筆折ってまえ!」と悪態をついて放り投げます。 緊張してるときがサイアクですね。頭のなか真っ白状態で「あいうえお」の「あ」も分かんなくなっちゃう。人のことばをオウム返ししたり。 パソコンだとマーカー引いて行くわけにもいきませんし、リラックスするしかないですね。 あとは読みながらですと、書いてあることを視覚的にイメージしながら紙の上に落書きするみたいに図で表現してみるとかですね。 御参考になりますかどうか。
お礼
回答ありがとうございます。 リラックスがキーワードですか。ええ、おっしゃる通りだと思います。専門書を開くときは本を手に取った時点ですでに体は緊張に縛られています。私は劣等感の塊で、それが極度の理解することへの緊張へとつながっているのかもしれません。 最後の部分の「読みながら書いてあることをイメージで紙に書く」というのは妙案ですね。文字の羅列よりも図の方がよほど理解しやすいと思います。実は以前「マインドマッピング」というイメージ中心のノート法を勉強したことがあるのですが、一度やっただけで実践したことはありませんでした。なんとかとりいれたいと思います。 どうもありがとうございました。
大変興味深い質問ですね。 質問者さんが書かれた文章は、構造もしっかりしており、明確だと思います。こういった文章が書ける人の読解力が「弱い」と自覚されるというのはどういうことでしょうか。 おそらくそれは既に指摘のあるとおり、文章のほうに問題があるのでしょう。 また、読み取るほう(つまり質問者さん)に「完璧に理解しよう」という欲求が強いからとも思えます。 さて、これは一般論ですが、果たして人間とは、すべての事象を「理解」できうるものでしょうか? 私はこの問題のこたえは 「人は自分の知識、経験から理解しようと努めるが『理解した』というのは往々にして思い込みである場合もある」 と思っています。 つまり上記2点から、質問者さんは、「文章が理解できない」と思っているのでしょう。 ご質問は「どう対応しているか」ですね。 その答えは「分からないものは分からないと判断して、自分で調べる」「調べるのが面倒なら読み流す」です。 私の場合。 はあ、私のこの文章も「わかりにくい」ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 私もどうしてもわからないものは調べることにしますが、文章の意味を調べるというのはなかなか難しいものがあります。わからないものが慣用句や難しい語句だった場合は辞書を引くなり検索するなりでどうとでもなるのですが、文章の構造が理解できないとなると検索の手段がないのです。その結果ここでお世話になってしまうわけでございます。しかし、そういった質問というのは公共性に乏しいものがあり、質問がためらわれます。さらに私の場合このわからない文章というものに、日に何十箇所もぶつかります。それらをいちいち質問していたら私はただの荒らしとなってしまいます。なので大半は放置され、ノートにストックされ、それを小出しにしていく形でここで質問させてもらっています。しかし最近ではこの「分からない」ということが本当に恐怖になってしまいました。分からないものに衝突すると、私の好奇心はそれを迂回して伸びようとはできなくなってきました。「見なかったことにしよう」という解釈ばかりがかさんでいき、精神的に限界なのです。本当に困りました。 回答ありがとうございました。
文章が分かりにくいのは書いた人の責任です。あなたのせいじゃありません。 日本は、中学高校になるとほとんど作文の授業ってないですよね。 だから、ちゃんとした内容の文章を分かりやすく書く訓練ができないわけです。 記事などを読んでいて「意味が分からないな」と思ったときは、赤ペンを取り出して、書いた人の上司になったつもりで添削すると良いです。 添削の観点はこうです。 ・一文はできるだけ短くする。 ・主語と述語はできるだけ近くにする。 ・複文や重文は、単文に書き換える。 ・漢語は簡単な語に書き換える。 (例)齟齬感→違和感 蓋然性がある→できるかもしれない 書く側はついつい難しい漢語を使ったり、複雑な構造の文を書きたがりがちですが、本当は簡単な文を書くほうが「えらい」のです。 「添削するには内容が分かってないとできないじゃない」と思うかもしれませんが、どういうわけか上司のつもりで上から見下ろして文を読むと、分かりやすくなるという場合があります。
お礼
なるほど、上から見下ろして添削ですか。それはとてもよい方法かもしれません。 これまではそこに書かれている文章を、斜めから見たり逆さにして読んだりして無理やりにでも理解してやろうという姿勢でしたが、何も書いてあることを無理に理解するよりも、自分に分かりやすい形に自らの手で手を加えるという選択肢はまるで頭にありませんでした。さっそく実践してみたいと思います。 書いた文章を100%理解できるのは書いた当人のみだというのはよくいいますものね。理解できないと頭を抱えるのではなく「これは書いたやつがタコなんだ」とばっさり切って事にとりかかると、ずいぶん心に余裕ができると思います。 どうもありがとうございました。
- NAIROBI
- ベストアンサー率20% (236/1168)
上手に分かりやすい文章を書いておられますね。 意外と能力より性格に問題があったりするのではないでしょうか。 ニュース原稿や資料だけでなく、小説などでもそうですか? 少し極端な例ですが、私自身はその記事(作品)への興味の有無で 極端に読解力(と言うよりは集中力)が落ちる傾向があります。 「読みたい」と思うときにはそれこそナナメにすっ飛ばして読んでも 内容がザバザバと頭の中に流れ込んできますが、「読まなきゃいけな い」時には一言一句必死で読まないと入ってきません。まずは他人と の議論やラジオ、テレビなどでその問題自体に基本的な興味を持って から試してご覧になってはいかがでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 分かりやすい文章でしたか、ありがとうございます。 おっしゃる通り、小説でも事情は変わりません。 興味の有無によって読解力に差が出てくるとのことですが、どうやら私の場合は当てはまらないようなのです。私の興味は猪突猛進にIT業界へ向いていますが(いるはずですが)そういった文章を読んでも無理解の死屍累々です。逆に料理とかファッションだとか芸能とか日曜大工とか興味のない(覚えたくない)そういった文章は一発で理解・記憶への定着が可能です。とても歯がゆい思いをしております。 しかしこうやって整理してみると精神障害の色合いが強くなってきたような気がします。以前から言われているのですがやはり一度通院するべきでしょうか・・・
- nikumaru1208
- ベストアンサー率35% (78/218)
私は文章を読んで理解するのが苦手です. 質問者さんは深い読みをなさるあまりに,著者の言いたいことが見えなくなるようですが,私は流し読みをしてしまう癖があり,理解するのに時間がかかります. どうしても大事な文書を読むときは可能な限り,ラインマーカなどで重要だと思うところに線をひきながら読んでいます. 世間では3色ペンを使って本を読む方法が取り上げられていますが,私は蛍光ペンか赤のボールペンだけ使っています. 線を引く場所を探さなくてはならないので,注意深く読むようになりました. 質問者さんも大事だと思うところに線を引き,後で線を引いた場所だけ読み返すことで,大事なところが浮き上がってくるのではないかと思います.
お礼
回答ありがとうございます。 マーキングは文章の「主題」を読み取ることには有効だと思います。 すみません、質問では説明不足でしたが私のいう理解できないというのは「主題」ではなく「細部」であることが大半です。 うまく文章にできないのですが私の場合、文章を読んで、確かに読んで理解しているはずなのに頭の中で承認が下りないのです(これではまるっきり強迫性の精神疾患ですが・・・)。 理解しやすくする方法について自分なりに考えてみました。 .改行を無くす 文章を読むのは音楽のリズムのようなもので、淀みなくステップしていかないとどうしてもすらすらとは読めません。その点改行は「思考の空白」を作る決定的な要因だと思います。それまで刻んできたリズムが確実に崩されてしまいます。これを無くすか減らせば効果はあるかなと思います。 しかし、縦読みにしろ横読みにしろ書籍やモニタという物理的な制限がある以上実現は不可能です。 .徹底的なマーキング 品詞を徹底的に色分けすると効果がありそうです。あんまりやりすぎると可読性が著しく低下しますが「てにをは」や「固有名詞」だけでも色をつけて色分けすれば読みやすくなる気がします。 ネット上の文章だと「Kakashi」などのわかち書きソフトを使っていくらでも色分けできそうですが、物理メディアでは現実的ではありません。 .好意を寄せる異性による朗読 以前、美人がニュースを読み上げても男性はそのニュースの内容にほとんど注意を払えないという記事を読んだことがありますが、それは視覚による情報が強すぎるためで、視覚を取り払い聴覚のみによる情報伝達ならば反対に劇的に効果があると思います。 しかし、そもそもそんなことをしてくれる異性がいるなら文章を理解することの人生における意味など相対的に無力化します。 .丸暗記して長時間放置しておく 人間は意識的に思考するとき以外でもバックグラウンドで常に思考していて、いくら考えても分からなかったことがなんの前触れもなくひらめくということが往々にしてあるそうです。 しかし、丸暗記できるほどの脳があるならはじめから理解できているはずです。 やはり魔法の杖なんて存在しないのでしょうか・・・
お礼
仕事が忙しくなかなかネットにつなげずにおりました。お礼が遅れ申し訳ありませんでした。 とても参考になる回答でした。「受け入れる」という発想はいままでありませんでした。私はもともと抽象的なことを理解するのが苦手なきらいがありますので、どうしても自分の体験に基づいた、実体のある理解を求めてしまいます。しかし回答者様のおっしゃるように、全部理解するのなんて不可能なんだから、部分的な理解の段階で溜飲を下げようと思います。 どうもありがとうございました。