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我が国の質素倹約の歴史、特に江戸時代

江戸時代に行われた倹約令の目的は、 財政緊縮と封建的身分制の弛緩を抑えることにあるそうですが、 拡販の財政が悪化した理由というのは何でしょうか? また、倹約をさせないことがどうして封建的身分制の弛緩につながるのでしょうか? さらに、我が国の質素倹約の歴史 を詳しく説明していただけないでしょうか? 経済的に裕福な場合も敢えて倹約すると行った実例はあるのでしょうか? 詳しく説明していただけるとありがたいです。

みんなの回答

  • nonkun
  • ベストアンサー率27% (98/357)
回答No.2

基本的に裕福な状態での倹約は封建社会では意味をなしませんからね。俺達はこんなに偉いんだ!ってことを財力で示す必要がありますから。 これは単なる自己顕示欲以外にも他国からの侵略への対策という意味も含みます。誰だって強い国には攻め込みませんからね。(財力=武器購入、兵士雇用資金というわけです)

noname#2813
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • nonkun
  • ベストアンサー率27% (98/357)
回答No.1

まず財政が悪化する原因ですが、収入が農民からの年貢みになので財源が飛躍的に増えることはまず無理。そして武士は生産性はゼロのくせに平和時は家臣の息子は基本的に全て雇わなければいけない。(たとえ部屋住みであろうと給料は払う)これでは悪化するのは当然。 武士と言うものは収入を増やす手段は領土の拡大。だから平和なときが長く続くとどうしても無理が出てきます。 一方、町人は税金無しで儲けた分は全て自分の取り分になり、しかもモラルも今ほど厳しくないのである程度はアクドイ商売も可能。となると商人はお金を持っていることになる。 そこで武士は足りないお金を商人に借りるわけだが、そのうち借金が膨らむと商人と武士の力関係が逆転することになる。頭を下げてお金を無心することになるのです。 そこで最初に取られた政策が鎌倉時代の「徳政令」です。 借金をゼロにするという理不尽な法律です。しかし、その後は商人が貸し渋りをするようになってしまった。お金を貸しても徳政令を出されたら丸損ですからね。 そこで倹約をしてお金を使わないようにということになったのです。 あまりに簡単に説明したので少々おかしなところもあると思いますが・・・。

noname#2813
質問者

お礼

ありがとうございました。 つまり倹約の精神を持たせることを政治的理由で行ったという子でしょうか?

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