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韓国およびマルクス主義を信仰しない日本人の江戸時代の大名の評価は?
韓国およびマルクス主義を信仰しない日本人の江戸時代の大名の評価は? かつて私は、支配者というものを忌み嫌っていたので、江戸時代のように身分制度で武士が支配していた時代は武士を蔑み、明治時代は貴族院の人たちを蔑み、朝鮮支配では日本政府を蔑んでおりました。その結果、「日本は朝鮮統治でよいこともした」との発言には「妄言」だと判断しておりました。 しかし、その後自分で勉強した後、たとえ江戸時代には身分制度の下、武士が下の階級の者を支配するという構造ではあったが、伊達政宗が北上川を整備したことにより米の生産量が倍増し、江戸に廻米し藩財政の基盤をつくったということや、上杉鷹山による倹約や学問所の再興ということにより破綻寸前の藩財政が立て直されたというとはすばらしいことだと思いました。 伊達政宗にしても上杉鷹山にしても決して領民の生活を第一に考えた上での政策を行ったとは思えません、しかし、領民のためになることを行えば結果的に藩のためにもなるというように考えていたものと思います。 このことを考えると、日本の朝鮮支配も別に朝鮮人の生活を第一に考えていたわけではないと思いますが、朝鮮人のための政策を行うことが結果的に大日本帝国のためになると考えていたと思います。だから、わたしは今では日本が朝鮮に多額の税金を投入したり、米の生産量を倍増させるなどして、破綻寸前だった朝鮮の財政を立て直したことはすばらしいことだと思っております。 マルクス主義を国是とする中国では江戸時代に評価すべき日本人は大塩平八郎だけだと考えるのは当然だと思いますし、同じくマルクス主義を信仰する北朝鮮やマルクス主義を信仰する日本人も同じように考えるのは当然だと思いますが、韓国は自由主義陣営の国です。 しかし、韓国は「日本は朝鮮統治でよいこともした」との発言に対して「妄言」と主張します。マルクス主義を信仰する日本人以外の日本人の中にも同じようなことを言う人がおります。そのような人たちは、伊達政宗や上杉鷹山の政策に対しても、全て否定的にとらえているのでしょうか?
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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タイトルは「江戸期の大名の評価」となっていますが、主旨は朝鮮の植民地問題なのでしょうか^^; わが福島県は大名といえば会津藩が有名ですが、その隣に二本松藩というのもあります。織田信長の武将として有名な丹羽長秀の末裔である丹羽氏を主君とした藩で、そこに藩主が家臣に戒めとした「戒石銘」と呼ばれる大きな石があります。内容は「爾の俸、爾の禄は、民の膏、民の脂なり、下民は虐げ易きも、上天は欺き難し」というものです。簡単にいうと「おまえらの俸禄は、民が汗水ながしたものだ。民を慈しまないと天罰あたるよ」っていうことです。 まあ、実際にそれが行われていたかどうかは別にして、儒教の影響と思われますが、そうした意識があったということ自体は高く評価されるべきでしょう。また、全国的に概ねそういう意識が浸透していたであろうことは、幕末に日本に来た外国人達が異口同音にこの国の領主層が諸外国のそれに比べて質素であるという点に驚いている記録などで明らかです。まあ、民族性ですね(こう言ってしまうとみな問題は解決しますが^^;)。 ところで、私は韓国なぞ信仰はしていませんが、マルクス主義者ではないもののマルクス史観を学んだものです。マルクス主義者にも変なのがいっぱいいることは確かですが、そのくくりで論をすすめる、断ずるというのはあまり気分がよくありません。 マルクス史観が問題にしているのは、水戸黄門がいい奴で悪代官がダメな奴ということではなく、悪代官が発生する社会基盤と仕組みを問題にしているのです。参考になれば幸いです。
- w_Ishihara
- ベストアンサー率25% (40/159)
NO.8について、いろいろと紹介していただいたのでコメントさせていただきます。 私の前回の書き込みは、加害者はすぐ忘れるけれど、被害者は覚えている、ということです。中国人は昔のことを150年たたないと忘れない、ということではありません。 カンボジアとチベットの件は、加害者はすぐ忘れる、という例になると思います。 被害者の立場なのにすぐ忘れるという例でないと反証にはなりません。 江沢民の香港返還の式典での発言は、少なくとも香港の繁栄を肯定的に評価する立場ではありません。しかしながら年月の経過により、口汚く批判する程のことでもなくなっています。私の説の補強になっていると思います。 朝鮮戦争についての誤解についてはたかが5人に一人の誤解の例をとりあげて何かを言うことができるとは思いません。最近の日本の小学生は日本がアメリカと戦争をしてたことを知らないそうですが、それは単に歴史教育の不備であって、それ以上の政治的意味があるわけじゃありません。
お礼
政治的な歴史教育により、韓国人は「独立門の独立とは日本からの独立である。」と考えている人が多いですし、秀吉の朝鮮出兵の後の丙子胡乱の方がはるかに朝鮮にとって被害が大きかったにもかかわらず、教科書では朝鮮出兵の記述が多いです。要は外国からの被害について日本からの被害を大量に教科書に記述し、その他の国からの被害はできるだけ削除隠蔽しております。 w_Ishihara様の説が正しいのであれば、韓国では朝鮮出兵については生存者がいないので日本をののしるようなものではないということになりますが、新しい歴史教科書をつくる会の教科書にあった記述の「秀吉は明を征服・・・インドまで支配しようという広大な夢にはまって大軍を朝鮮に送った」に対して「壬辰倭乱の原因を明の征服、秀吉の個人的妄想とだけ記述」しているとのことで修正要求しております。現在の学説では朝鮮出兵の原因自体はこれといって断定できるものはないにもかかわらず、自国と異なる説ということで修正を要求しております。これが感情を抜きに判断しているのでしょうか。さらには「出兵の結果朝鮮の国土と人々の生活は著しく荒廃した」との記述に対し、「戦争期間中の日本軍によりほしいままにされた人的・物的被害の様子を縮小」ということで修正要求を突きつけてきました。すでに人的物的に甚大な被害を与えたことが書いてあるにもかかわらず、被害の様子を縮小しているなどと文句をつけてきてくるところも感情を抜きにして判断しているとは思えません。また、朝鮮出兵については、朝鮮通信使が将軍に謁見したときに朝鮮出兵の際の被害の甚大さを述べておりましたと思いますが。徳川家重の時にはちょうど150年ぐらいたったので、家重・家治のときの朝鮮通信使は朝鮮出兵のことを話さなかったのでしょうか?あるいは、韓国に旅行したことがある人たちから、旅行時に朝鮮出兵時の被害状況を言われた経験を聞いたことがあるのですが、ウソなのでしょうか? それにしても、時とともに歴史を感情抜きに判断できるようになるのであれば、当事者たちは突如として全員が他界するわけでなく、徐々に他界して行き、最終的に当事者たちは全員が他界することになることを考えると、韓国の日本に対する感情は年々よくなっているということなのでしょうか?そして、一時的なことですが、朝鮮統治を経験した人たちが全員他界し、朝鮮戦争を経験した人たちが存命している状態が発生したら、日本統治時代は感情抜きに語れるが、朝鮮戦争は感情抜きに語れないという状態になるのでしょうか? 要は時間経過によって被害国が感情抜きに対応できるようになるというものではなく、加害も被害も政治的な教育によって、伝えられるものなのでしょう。
補足
>中国でアヘン戦争を政治問題ではなく歴史としてとらえることができるまでに130~150年くらいかかったそうです。 >加害者はすぐ忘れるけれど、被害者は覚えている 私は個人的には生まれた前のことであっても、朝鮮統治時代における政策で罪となることは謝罪すべきだと思っております。ただ、功は功として認めるべきだと考えております。菅首相にしても今年韓国に謝罪しました。 「加害者はすぐ忘れるけど、被害者は覚えている。」というのであれば、私も菅首相も韓国への加害などは忘れているはずですが、きちんと覚えております。 覚えているかどうかというのは加害者・被害者の差だというのは一部の人間には当てはまるのかもしれませんが、世界共通の事象ではないと思います。 あと、中国の日本に対する言動ですが、 『98年に日本を公式訪問、江沢民国家主席はこの時、宮中晩餐会で天皇に歴史への反省を説いたり、 首脳会談で小渕首相に歴史の反省を迫り、罵倒した。小渕さんはその場で頭を下げ、見ていたい幹部が悔し泣きをしたという話もある。 私が知っている範囲では、江沢民主席は訪中した後藤田元総理を45分間立たせて、やはり歴史問題について説教した。02年の日中首脳会談でも、やはり靖国問題などで小泉首相にしつこく説教し、それで小泉さんが切れてしまったという話もある。(サンデー毎日8.20-27 p46「上村幸治 インサイド中国」より抜粋)』 『深刻な罪責を負う国家に対して、徹底的に処罰し、正義の要求をつきつけなければ、その国家はたちまちふたたび驕りたかぶりだす、ということだ。だいたいにおいて、中国人はいつも一方的に「前向き」である。 私は、北京師範大学で中国許を学んでいるOさんという日本人留学生と知りあった。あるダンスパーティーで、私は彼女に遠慮なくこう聞いた。 「日本が中国を侵略したとき、南京ではどれくらいの中国人が殺されたか知っていますか」 確かに耳障りな質問だし、場所の雰囲気にこの質問がそぐわなかったかもしれない。なんといっても、私たちは心地よい音楽にのって踊っていたのだ。はたして、彼女の手は私の肩から滑り落ち、ちょっといらだってこう返してきた。 「どういう意味ですか」 私は静かに笑い、続けて「三0万だよ、南京が空っぽになるくらい」と言った。ダンスのステップがいい加減になってきたので、彼女が不愉快なのがわかった。 しかし、話はまだ終わらない。私たちは、別の場所でまた会うことになった。彼女は私に対してやはり礼儀正しかった。師範大学の逸夫楼の一階のダンスホールで、彼女の方から私を踊りに誘ってきた。 私は、また魔がさしたように質問した。 「五0年前、日本軍が南京でなにをしたか、あなたは知っていますか」 彼女はいきなり踊りをやめ、立ち止まり、ひとことずつ間をおきながら、 「忘れたのですか、張さん。もう私に言いましたよ」 と言うと、きっぱりと身を翻して席に戻っていった。 わたしはかなり失礼だったかもしれない。過ぎたことを、持ち出すのは意味がない。とくにダンスパーティーでは、話題にすべきではなかった。 私は、確かにOさんと最初に会ったときはなしたことを忘れていた。しかし、私は彼女が私に言い返したときの表情を一生忘れないだろう。 さまざまな事情から見て明らかなのは、日本を叩け、必要とあらば力をこめて叩くことが大切だ、ということである。(ノーと言える中国〔引用箇所は 張蔵蔵 氏により書かれた文〕)』 上記のような態度を中国は日本にとっておりますが、英国に対する態度とはずいぶん異なりますね。英国の香港返還は日本の敗戦のはるか後に起こったことなのに、英国には何も非難しないとは、w_Ishihara様の説の補強にはまったくなっていないのではないでしょうか。 あと、 >それは単に歴史教育の不備であって これこそが真実であって、年月の経過によって歴史を感情抜きに語れるようになるということではないでしょう。 >それ以上の政治的意味があるわけじゃありません。 極めて政治的な意味を持っているでしょう。 韓国の小学生の約2割が朝鮮戦争を日本が攻めてきたと考えたりするということは歴史教育によるものですし、韓国の大統領だった盧武鉉氏は「歴史教育は学問の自由の領域ではなく、政府の責任の領域だ」と言っております。また中国の教科書の編集方針は「祖国を熱愛し、中国共産党を熱愛し、社会主義の思想熱愛する学生を要請するためのもの。」とあります。中国も韓国も歴史とはプロパガンダだと認めているようなものです。 (文字数制限により分割して記述、続きはお礼欄に入力)
- takkuni
- ベストアンサー率24% (166/676)
貴方の言うことはやっぱりおかしい。 日本が支配した朝鮮と伊達政宗及び上杉鷹山のケースは全く違います。 仙台藩が米沢藩を、あるいはその逆でも構いませんが、それぞれがお互いにその藩に 侵略して、強制してやらせた事なら共通点は見いだせます。 独立した地方が行う政策と、外国に自分の国の価値観を押しつける政策を同じ土俵に 上げることが出来るとお思いですか。 「英国との比較については賛同しているという点ではご意見にズレがあるように思えます。」 既に補足済みだと思うのですが、意味が分かりません。
お礼
私も韓国は併合条約により >天皇の名の下に、文字通り一つの国になったと解釈しています。 との認識を持っております。 そして、日本の歴史というものを考えたときに、例えば仙台藩は江戸時代における一地方と考え、日本の一部となった朝鮮もまた日本の中の一地方と同じように考え、それぞれ地方の住民にとって、為政者から被害を与えられたこともあったと思うが、米の生産量の増加といった点に着目したらその是非はどんなものかと考えました。 >独立した地方が行う政策と、外国に自分の国の価値観を押しつける政策を同じ土俵に上げることが >出来るとお思いですか。 すべてが同じ土俵にあげることができるかといわれると即答できかねますが、例えば米の生産量の増加、教育施設の整備、財政の建て直し、といったことは同じ土俵に上げることができると思いました。 takkuni様は、外国政府に支配された状態なら、米の生産量の増加、教育施設の整備、財政の建て直しも全否定するものだとお考えなのでしょうか?
- takkuni
- ベストアンサー率24% (166/676)
元江藤隆美総務庁長官の発言は、悪い事をしたとか、悪い事もしたという前提に 立った言い方に聞こえてしまいます。(本音では、日韓併合を認めているくせに) そこが問題ではなかったかと思います。 日韓併合条約には次のようにあります。 第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス 天皇の名の下に、文字通り一つの国になったと解釈しています。 朝鮮総督府の存在は実際にあったわけですから、否定はしません。 しかし、現実的には、日本政府の主導の下に各政策が行われたのは間違いありません。 そういう意味で勘違いをしているのではないかと思ったのです。 日清戦争で敗れた清国は、韓国の独立を認めました。 逆に日本は、併合してしまいました。 歴史にIFはないと言われますが、併合せずに、韓国の独立を認めていれば、どうなっていたかは分からないという考え方も出来ます。 ですから、もっと良くなっていたという考え方も出来ます。 現在の韓国は、すべての面に於いて日本をしのいでいます。 それだけ国力があると言うことですから、米だけの論議や江戸時代との比較がそもそも強引だという考え方には変わりはありません。
お礼
私が質問で示した比較が強引であるとのtakkuni様のご意見は分かりました。 しかし、英国との比較については賛同しているという点ではご意見にズレがあるように思えます。 比較が妥当か否かの基準は何でしょうか?
- w_Ishihara
- ベストアンサー率25% (40/159)
江戸時代のことと植民地朝鮮のことで決定的に違うことがあります。時代の新しさです。中国でアヘン戦争を政治問題ではなく歴史としてとらえることができるまでに130~150年くらいかかったそうです。祖父が被害を受けた、という記憶を持つ人が死に絶えるのにそのくらいの時間がかかります。そのくらい時間が経たないと感情を抜きに冷静に事実として分析できないのだと思います。理屈じゃありません。
お礼
果たして中国や韓国の人たちは時間が原因で感情を抜きに分析ができていないのでしょうか? 以下の戦後(朝鮮統治が終った後)に起こった出来事についての韓国や中国の言動です。 【中国】『カンボジアの首脳が訪中し、中国と裏でつながっていたポルポト派の話をすると、江沢民さんは必ず 「指導者は過去のことより、未来の話をするべきだ」と説教したという。 懲罰戦争をしかけられたベトナムの首脳もやはり、同じようなことを言われたそうだ。(サンデー毎日8.20-27 p46「上村幸治 インサイド中国」より抜粋)』 『2006年6月10日NHKの「日本のこれから」の番組内で、チベット侵略を指摘された中国人は「それは50年前の話でしょ」と発言』 『アヘン戦争をしかけたイギリスはその後155年香港を植民地化し、統治いたしました。香港返還の式典でチャールズ皇太子は英国的価値観と制度は香港に自由と繁栄をもたらしたと、こういうことを言い、香港の市民も一部貢献したと、こういう言い方をされております。また、パットン総督も(中略)こんなことも言っておられます。「英国の統治は終わったが、われわれは、また、私は、我が国が香港に貢献したことは、香港の住民を泥沼からはい上がらせる足場を築いたことだとはっきり申し上げることができる。法による統治、明朗な政府、自由な社会の進化、住民が代表する政府と民主的な政府責任の開始、香港は英国の特徴を持つ、中国の一都市である。これ以上に繁栄した独立した領土はなかった。」こんな調子で自画自賛しております。これに対して、当時の江沢民主席は、その式典の中で、ただ、祖国復帰ができたと言ったのみで、全く日本とは違った、ダブルスタンダードであります。(http://www.pref.saitama.lg.jp/s-gikai/gaiyou/h1906/1906d020.html)』 【韓国】『韓国現代史の最大の悲劇といわれる朝鮮戦争(1950~53年)について、韓国の小学生の5人に1人が「日本が韓国を侵略した戦争」と考えていることが明らかになった。18日発売の韓国の有力月刊誌「月刊中央」7月号が朝鮮戦争57周年を機に実施したアンケート調査の結果として伝えたもので、同誌はその原因として最近の親北朝鮮的な学校教育と日本に対する相変わらずの敵対心を挙げている。(2007年6月19日産経新聞)』
- 畑山 隆志(@deltalon)
- ベストアンサー率39% (733/1864)
「江戸時代の大名の評価」など、いいも悪いもありません。なぜなら過去にあった歴史的事実だからです。過去にあったことは、過去のその時代の人達が評価するもので、われわれが成すべきは、評価ではなく、リアルな事実を正確に捉えることです。しっかりとした事実に沿ってのみ(評価ではない)共通の理解ができるものと信じます。 質問者の、しいてはマルキストの評価というのは、「マルクスはかく語りき。ゆえにあなたはこの言葉・評価に賛成か、反対か?」といった、マルクスの体系から導きだされたすでに決まったことを、まるで踏み絵のように返事させる。つまり、中間のあいまいな部分、理解できるところと、そうでないところへの討論が全くされず、いきなり結論へ向かう。 質問にしてからが例えば、「支配者」という言葉に内容がない。支配、統治、管理、制御etcといった似たような言葉とはどこが違うのか、またどこが同じなのか?あるいは伊達さんや上杉さんの政策は、どんな政策決定プロセスを経たのか。その政策が他藩に広がらなかったのはなぜか、またどうしてその政策はその藩で実行されることが可能だったのか?その時どんなリーダーシップが発揮され、さらに計画通りの結果が出たのかどうか?まったく検証された様子もない。 われわれは神様ではありません。人の行いを評価する以前に、現実に何が起こったかを、その時現場にいた人達の気持ちとともに理解できるかどうかが問われている。マルクスの言葉をただ写すのではなく、なぜその言葉が出たかを体系の入り口に立って考えてもらいたい。さらに学び、考えて、再度質問を立てられることをお願いいたします。
お礼
>過去にあったことは、過去のその時代の人達が評価するもので、われわれが成すべきは、評価ではなく、 >リアルな事実を正確に捉えることです。しっかりとした事実に沿ってのみ(評価ではない)共通の理解が >できるものと信じます。 deltalon様のご意見理解しました。 > われわれは神様ではありません。人の行いを評価する以前に、現実に何が起こったかを、 >その時現場にいた人達の気持ちとともに理解できるかどうかが問われている。マルクスの言葉を >ただ写すのではなく、なぜその言葉が出たかを体系の入り口に立って考えてもらいたい。さらに学び、 >考えて、再度質問を立てられることをお願いいたします。 deltalon様と同じ考えの人が世の中の大多数を占めているのであれば、今回のような質問をする気はありませんでした。現実は、平成7年に江藤隆美総務庁長官がオフレコ懇談で「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」と発言したことが、韓国の東亜日報に報道され、辞任に追い込まれるという状態です。このような状態ですので、圧倒的多数が「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」の発言に問題があると考えていたと推定できます。私が主に聞きたいのはdeltalon様のように考えている人以外の意見です。 もちろん、deltalon様のご意見はご意見として心に留めておきたいと思います。
- takkuni
- ベストアンサー率24% (166/676)
勘違いしてませんか。 朝鮮総督府のではなくて、大日本帝国の政策ですよ。 敢えて言葉を換えれば、朝鮮出張所です。 あくまでも、当時は一つの国という考えなんです。 朝鮮半島支配は、国のあり方が問われているんです。 結局は、今まで私が言ってきた意見に戻ってしまう事になります。
お礼
>朝鮮総督府のではなくて、大日本帝国の政策ですよ。 >敢えて言葉を換えれば、朝鮮出張所です。 上記のことを承知した上で私は朝鮮総督府の政策と言いました。 正直、間違った言い方をしたとは思わないのですが、 この点で争いたいわけではないので、 ご指摘の通り質問文を変更します。 下記の(1)から(3)の質問に答えてください。 (1)日本政府の政策により朝鮮の米の生産量は倍増しましたが、このことはよかった事か悪かったことか、どちらでしょうか。 (2)伊達政宗の政策により仙台藩の米の生産量は倍増しましたが、このことはよかった事か悪かったことか、どちらでしょうか。 (3)上記(1)と(2)において両者ともよかったことあるいは悪かったことと答えなかった人のみに聞きますが、よかったことと悪かったことと判断が分かれた理由は何でしょうか。
補足
因みに下記のように「日本政府」ではなく「朝鮮総督府」と書いているものは間違いだと仰るのでしょうか? 関西大学教授や京都大学名誉教授や同志社大学准教授が間違ったことを書いているというのですか? ・朝鮮総督府の「国語」政策資料 熊谷明泰(関西大学教授) 関西大学出版部 http://books.rakuten.co.jp/rb/朝鮮総督府の「国語」政策資料-熊谷明泰-9784873543963/item/1672972/ ・朝鮮総督府の米穀検査制度 (朝鮮近代史研究双書) 飯沼 二郎 (京都大学名誉教授) 未来社 (https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/1014) ・6.朝鮮総督府の朝鮮語政策 (半月城通信:www.han.org/a/half-moon/hm078.html ) ・自力更生彙報―朝鮮総督府農業政策史料― 全6巻 [監修・解説] 板垣竜太(同志社大学社会学部准教授) ゆまに書房
- takkuni
- ベストアンサー率24% (166/676)
現在でも遠い過去でも、あるいは将来においても国際間のあり方は 「自国のやり方を強要しない。」 これが外交の基本ではないかと言っているんです。 これが矛盾というなら、貴方の言い分は屁理屈です。 これでは、当初の質問とはどんどん趣旨が離れるばかりです。
お礼
>これでは、当初の質問とはどんどん趣旨が離れるばかりです。 どうも私が考えている趣旨からどんどん離れていってますね。 次のようにまとめたらいいんですかね。 下記の(1)から(3)の質問に答えてください。 (1)朝鮮総督府の政策により朝鮮の米の生産量は倍増しましたが、このことはよかった事か悪かったことか、どちらでしょうか。 (2)伊達政宗の政策により仙台藩の米の生産量は倍増しましたが、このことはよかった事か悪かったことか、どちらでしょうか。 (3)上記(1)と(2)において両者ともよかったことあるいは悪かったことと答えなかった人のみに聞きますが、よかったことと悪かったことと判断が分かれた理由は何でしょうか。
- takkuni
- ベストアンサー率24% (166/676)
時代背景が違いすぎて比較のしようがありませんよ。 江戸時代の各藩はそれぞれ経済的に独立しており、食い扶持はそれぞれが 創意工夫して賄う必要がありました。 今、盛んに言われている一種の地方分権の様なものでした。 幕府は、謀反を起こさない様に参勤交代や隠密などの手段を使って統治して いただけだと思います。 日清、日露の時代は大日本帝国として国民を鼓舞し、満州や朝鮮半島に進出しました。 国の行為として行った政策と言えるでしょう。 国のあり方が違うそれぞれの時代ですから、それらを結びつけるのはやや強引な気が しています。 歴史に学ぶという観点からの考えは、共感できますが、 「日本の韓国支配を全否定する人 = 江戸時代の大名の政策も全否定」 この図式は飛躍しすぎではないでしょうか。
お礼
takkuni様の見解は >時代背景が違いすぎて比較のしようがありませんよ。 とのことですが、それを言い出したらきりがないんじゃないでしょうか? takkuni様は、no.1様の英国による支配と日本による支配との比較に賛同しておりますが、支配にいたった時代背景、支配にいたる動機、支配した期間、全てが同じ条件のものなどありえない中での比較をしているじゃないですか。 今回の回答とズレがあるように思いました。
- takkuni
- ベストアンサー率24% (166/676)
大塩平八郎は、体制側にいたにも拘わらず反旗を翻したということでの評価ですか。 確かに支配・被支配という言葉にも制度にも私にも納得がいきません。 政を司る側がいて、その恩恵に浴する国民がいる。 適当な言葉が見つかりませんが、社会の仕組みはそのようになっているんではないでしょうか。 マルクス主義では支配・被支配という構造はどのように表現されているんでしょうか。 やり過ぎたから、そうでないからどうだとか否定も肯定もするつもりはありません。 日清、日露戦争の時代には朝鮮半島は重要なポジションを占めていました。 清国の支配から解放させる。朝鮮半島からのロシアの侵攻を防ぐ。 この二つの主な大義名分がありました。 この大義を果たすために、創氏改名なり日本語教育などは手段を選ばない行為ではなかったのかという疑問です。 戦勝の後に、朝鮮半島を本当に解放するのか、支配してしまうのかの議論が交わされた事実もあるようですが、前者を選ぶべきだったという考えです。 マルクス主義を信仰する、しないは別問題だと考えます。
お礼
私が質問文にマルクス主義の話を持ち出したからいけなかったんですかね。 私がマルクス主義を持ち出したのは、マルクス主義者であれば江戸時代の大名の政策も朝鮮総督府の政策も全否定するでしょうし、そのことについては論理的に矛盾があるとは思えないので、わざわざ聞くまでもないと思ったからです。 しかし、今の時点より、質問文からマルクス主義の文言を削除し、質問を下記のように訂正します。 「日本の韓国支配を全否定する人は江戸時代の大名の政策も全否定するのでしょうか?」
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補足
>簡単にいうと「おまえらの俸禄は、民が汗水ながしたものだ。民を慈しまないと天罰あたるよ」 >っていうことです。 >まあ、実際にそれが行われていたかどうかは別にして、儒教の影響と思われますが、 >そうした意識があったということ自体は高く評価されるべきでしょう 私もそう思います、そして、自分なりに勉強した結果、教育勅語にしても儒教の影響もありますし、江戸時代が終わってから朝鮮統治まで約50年ぐらいしか経過していないので、為政者の民に対する姿勢も大きくは変わっていないのではないかと思い、また、為政者は朝鮮統治時代においても、朝鮮の発展は朝鮮人のためになり、結果的に大日本帝国のためになると考えていたと思います。 しかし、朝鮮統治時代の政策はいいことなど何一つないという主張が幅を利かせているので、だったら、江戸時代の大名の政策も全否定するのかと思って質問しました。