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永井均のいう「独在性」について

永井均の<私>論は、哲学を勉強し始めた僕にとってとても 魅力的で、かつ実感的な説得力があるように感じていました。 でも理屈としては腑に落ちないところがあります。 永井は『<こども>のための哲学』の中で、 「(自我と他我の)問題を、最初から、認識論的にではなく、存在論的に考えようとした。」(96頁) と書いていますが、そんなことが可能なのでしょうか? 他人の世界の実在を認めたうえで、<この私>の世界の独自性を認めようとする思考を「独在性の思考」と永井は呼んでいますが、そもそもそんなことは不可能ではないかと僕は感じるのです。 だって、「実在が認められる」ということこそが、<私>の独自性じゃないんでしょうか? その特徴を他人にも認めてしまうのなら、その時点で<私>の独自性なんて無くなってしまうのではないでしょうか? 細かい質問で申し訳ありませんが、ここを解決しないと先へ進めません。 どうか御指導をお願いします。 また、独我論を論駁する試みにはどのようなものがあるのか、参考文献だけでも教えて頂ければとても嬉しいです。 謙遜ではなく本当に知識が無いので、ごく基本的なものでも構いません。 お願いします。

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noname#842
noname#842
回答No.4

すみません。参考文献だけになってしまいますが、柄谷行人(からたにこうじん)さんの「探求1」「探求2」はきっと参考になると思います。講談社の学術文庫から出ていて、とても刺激的な本です。永井均さんの本は「マンガは哲学する」とかもシンプルかつ深くて好きです。

shunchi
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 昨日「探求1」を読み終えました。 経済論っぽい分野はよく分かりませんでしたが、ウィトゲンシュタインには以前から関心があったのでとても興味深く読みました。 永井的な<私>との関わりという点で深く考えられるほどには、まだ消化できていませんが、とても勉強になりました。感謝します。

その他の回答 (4)

noname#1423
noname#1423
回答No.5

 僕は永井均氏の著書をほとんど読んでいます。ここでは、詳細に論じるわけにはいきませんが、氏は「独在性」と「独自性」を明確に区別しています。shunchiさんはその辺りがまだクリアになっていないのではないでしょうか。哲学を勉強なさっているのでしたら、『〈魂〉に対する態度』の第3部や『〈私〉の存在の比類のなさ』所収の「他者」等をお読みになった方が、『〈子ども〉のための哲学』よりも理解しやすいように思います。  独我論を論駁する試みは数限りなく行われています。むしろ、そちらの方が主流だといっていいほどだと思われますが、永井均を読んだあとはほとんど虚しい試みに思えてきたというのが正直な印象です。

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.3

>他人の世界の実在を認めたうえで、<この私>の世界の独自性を認めようとする思考を「独在性の思考」と永井は呼んでいますが、そもそもそんなことは不可能ではないかと僕は感じるのです。  そうだったんですか。僕が考えているのは、(独自や独在などを使い分ける事は僕にはできないので、言葉が足りない事をすみません) >その特徴を他人にも認めてしまうのなら、その時点で<私>の独自性なんて無くなってしまうのではないでしょうか?  認めても証明はできないはずです。重要なのは、他者に目が見えているか?と言う事で無く、私と他の様々の関係でなく。私と、それによって捉えられる世界(目の前の世界が)との関係が、絶対的第三者(私の息のかかったものではない存在) と私の関係に似たものがあるということだと思います。絶対的第三者を想定しないと、私がいることの証明をできません。世界があるのは私が世界を見ているからで、私がいるのは、それと同じような事が、私と何かの間で起こっていると考えます。その何かが世界であると言うのは無理な事です。何故ならその世界は私による世界だからです。私と世界は相互に関係しているのではないのです。私の独自性は、世界(他者)によるのでなく。絶対的第三者によっているのです。僕が考えているのはここまでです。絶対的第三者と世界の関係について、それを含めた三者の関係はまだよく整理ついてません。こんな駄文ですが、何か参考になればうれしいです。

  • chill
  • ベストアンサー率33% (34/102)
回答No.2

私は哲学にくわしいわけではないのですが、永井均さんの本が好きです。shunchiさんの質問の答えになるかわかりませんが、永井さんの「翔太と猫のインサイトの夏休み」を読まれたことはありますか?これは「こどものための~」よりもうちょっと理論的に彼の哲学を説明してあります。独我論についてもあったような記憶があります。すでに読まれていたらごめんなさい。

shunchi
質問者

お礼

「翔太と猫」は結構前に読みました。 少しだけ今読み直したのですが、独在性からのつながりで出てきたカントの話は もう一度詳しく読んでみる価値があると思いました。 御回答に感謝します。

noname#15238
noname#15238
回答No.1

永井均さんの本を読んだこともありませんので、見当違いかもしれませんか、 質問を読んでいると、 人の数だけ、実在や独自性があると、永井均という人は言っているのではないですか? 独我論など聞いたこともありませんのでお役に立てません。

shunchi
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。 でも、永井均がいっているのは、それぞれの独自性みたいなものじゃなく、・・・ <この>私の独自性・・・えーと、ごめんなさい、僕の力では詳しく説明できませんが、人はひとりひとり誰でもがかけがえの無い存在だとか、そういうことでは無いのです。 質問の中で説明が足りなかったかもしれません。 すみませんでした。

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