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独我論が正しいのでは?世界は自分が創っている?

>vitaさん >我々人間は、光や音、匂いや触感などの外部刺激を受容することで、自我、心を形成しています。その受容には僅かとはいえ、有限の時間がかかります。つまり我々は過去しか受容できないのです。そして我々はその外部刺激に反応し世界に働きかけるのです。その方向性は一方通行で過去から未来への方向なのです。ところが独我論は、そもそも受容する外部刺激そのものを自分自らが作り出し、それを可逆的に自ら受容し反応していくということなのです。つまり未来から過去を形成するという全く非常識な方向性を持っているのです。自ら外部刺激を作ることなど本来できないのですから、独我論など全くの妄想であり、議題にすること自体無意味なのです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1389656183 ↑ これの意味がよくわかりませんが・・・。。。確かに過去を受信?して、現実を自分の脳で理解している。 >独我論とは、客観的世界など存在しない、すべては自分の意識のみ存在している。 他人や椅子や机などのものは脳が見せている幻影であり、そのものの存在はあり得ない。 >つまり、世界の中に自分がいる のではなく、 自分がいて、世界は自分が創っている。という考えです。 ~~~~~~~  そんなわけで、独我論が正しいのではないかな~?っと、思ったわけです。 しかし、どうも、仮に、「世界は自分が創っている」としても、そのヒントは世界にほとんど存在しません。 誰1人、「あなたが創造している」とはしません。(しかしネット上にはいくつかそういう説も出される) 1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え 2,独我論のように、1人1人が独立した世界を持っている?というオカルト説。1人1宇宙。 の2種類がほとんどです。 しかし、私は、 3,実は、世界、宇宙には、「私という自分しか存在しない」という独自に近い考え。。を持ったりもします。 しかし、これは、まさに、「有り得ない話」でもある。 というのも、1人1宇宙で、60億人分の自分だけの現実(アニメとある魔術の禁書目録・超電磁砲)を持つ、という、2番目の説ならまだしも、 3、の、私しかこの世に存在しない、というのは、無茶苦茶でしょう。やはり・・・。 それはつまり、「一切の他人に、意識が存在しない人形のようなモノ」だと、してしまうからです。 これは、怖い話。。。 また、これを他人に聞いたら、どう答えられるでしょう? 他人は、「いや、それは違う。私には意識がちゃんとある。だから、貴方は間違っている。考えすぎだ。頭冷やせ。病院行ったら?」と、なります。 2,3番目の考えは、神=自分=私、わたし、だという考えにも、近く、「私が神だ!」と主張する =馬鹿で頭イカれた精神異常者、だと、他人からは映ります。。。 ・・・さて、何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが・・・思うことが、多々あるってことです。 とあるサイトで、2番目?の「1人1宇宙説」を唱えている人がいました。 観測についての記述ありました。 「あなたの真後ろ、遠い駅、地球の裏側」は、見えていないから、観測されず、存在しない、真っ暗な何か、というような説明がありました。 なるほど、と思います。 というのも、それならば、「エネルギーの節約になる」からです。 最近はよく、「この世はスーパーコンピューターの世界だ。」という話を見かけます。 それならば、この世界を描写するのならば、「私だけ」描写すれば良いわけです。 私のパソコン画面、と、その周辺だけ、描写すると。それも、完全にリアルに。。。 (また、私の幻覚体験で、建物幻覚=中に入れた、熱いシャワーが出た、という謎や、廊下に過去の記憶のミルクティーこぼれていた事件や、携帯電話が11日間だけ最新ニュースが流れていた、や、Gigazineに明らかに私と関係ある記事が載っていた(←これは完全に幻覚でしょう。)といったことなどなどが、ありました。) これは、私の脳が壊れかかっている?wのか、それとも・・・・・? 世界が壊れかかっているwのか、、、・・・・?・・・・・。 個人的には、「世界が壊れかかっていた」という方が、2010年3月の色々な幻覚体験は、説明が付きます。その直前は、一週間家から出なかった?忘れた、とかあったので、明らかに、私の脳が異常を出して、幻覚になってしまった、とも、言えるのですが。 何れにしても、世界=宇宙=自分の脳みそ、というのは、正そうです。。。。 Aという世界、Aという宇宙は、Aという私の脳が創りだす、Aという、Aだけの現実・・・だとも言えそうです。 そしてまた、B,CDEFG・・・・という世界が、他人にもあると。まぁ、5感で生まれてからの経験の積み重ね=現実世界のようなので・・・・。(これはまさに2番目の話) さて・・・そう考えていくと・・・・・・・・・・・・? 結局、最低でも、「1人1宇宙」であり、それとも、 「私の宇宙だけしか、この世に存在しない。宇宙は1つしか存在しない。唯一。」という、 無茶苦茶な考えが出てきます。 また、この考えについて、他人のほとんどが否定する理由は・・・・・・・・・・・ 「宇宙にたった1人しかいない、私・・・・・・。。。」というのを、信じていかないとならない点です。 1人1宇宙ならば、60億人分の現実があり、現実世界が無数に存在し、人間もまた、60億人、別々の世界でも、確かにそれぞれが、存在する。だから、「この世には1人じゃなく、60億人は確かに存在する。」と、できます。 しかし、宇宙が1つ、意識を持つのも、私1人・・・・・・だとすると?・・・・・・・・・・・・ もしも、それが真実ならば、、、、とても、「虚しい」気がしてきます。 全ての他人は、所詮、意識がなく、人形のようであり、また、<私の無意識>が創造した他人である、と。。。。 宇宙がどうやって出来たのか?わかりません。しかし、「一番初めには、確かに私1人しかいなかった。それじゃぁ、虚しい。だったら、私の分身を、完全に他人に思えるように、創造していこう。」っと、神である私。。。が、、、、、、、、、考えて、創造していった、としたら?・・・・・・・・・。。。 確かに、辻褄は合うと思います。 結局、人形劇、自作自演ということです。それが真実かは不明ですが・・・。。。 さて。自作自演と言えば、911テロです。これは陰謀論ですが、、、、。。。 また、2chでも、自作自演という単語は出てきます。笑い話でもあります。 しかし、「他人は、自分が創造していて、、、、自分=他人だとしたら? 鏡だとしたら?」 んーーーーーーーーー、、、、。。。これまた、虚しいと。。。。 自作自演、ってやつですね。こんにちは。ありがとう。さようなら・・・・・。。。 そして、「これらが真実だと仮定すると、これらが公にならない理由は・・・・・・・・・」 やはり・・・・・・「自分1人だけの世界は虚しいから・・・・・・・・・・・・・・・。。。。」ということだと思います。 超超超超・・・・・・・・・・・・超超超・・・・・・・強力な・・・・・・・・・「ロック=鍵=Key」がかかっている、ということでしょう。Key=ゲーム会社でもありますが。 パンドラの箱・・・・・・・かもしれません。 超強力なロックだからこそ・・・・・・・・・・・・・。。。。。。。。他人は、ネット上でも、現実世界でも、 誰1人、他人は、「あなたが創造している」というようなことを、言わないのだと思えてきます。 他人は、嘘を付いている?・・・・・ような感じです。 結局、自分しか信じられない、ということに、尽きるかもしれません。 ・・・・・・・あとは。 この世がスパコンで出来ているとして、幻覚は、私が、 「実はこの現実は、自分が創造しているのではないか?」 っと、「潜在意識がここに来て顕在化(これはOVA超電磁砲黒子の台詞)、した」ということのような気もします。 ずっとずっとずっと、、、、自分が全てを創造しているとしたら?・・・・・・・・ ずっとずっと、「自分で自分に嘘をつき続けている」ということになります。 これまた、しっくり来るのですが・・・。。。 http://www1.ttcn.ne.jp/turu/30souzousyuhe.htm これなんかも、あなたが創造している、としているサイトの1つですが。1人1宇宙論かもしれません。 また、さっきの911ですが、CG説があり、これも、「変だな?」と思わせます。 311も何故、911+311=1222=2012年12月22日人類滅亡?説になるのか?っと。 福知山線脱線事故だって、何故、運転手がスピードを出してしまったのか?謎です。 最近では、全てのニュースが、自分が創造したようにも思えてきます。。。 さて・・・・・・観測ですが・・・・・・・・。 自分の目で、観測しています。問題は・・・・・・・・・・・「自分も、他人も、同じように、5感を持っている」ということでしょう。 「自分も他人も、同じ体を持っている。だから、自分も他人も、同じ存在だ。だから、独我論は間違っている。」とも、仮定できます。 これは質問ですが、これを否定することはできるのでしょうか? もしも、自分だけしか、意識が無いとすれば、自分=他人の体、という事実は、何故か否定され、観測しているのも、自分1人だけ、だということになります。 ここで字数制限・・・。。。

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noname#161546
noname#161546
回答No.3

1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え から全力で逃亡している感じだと思いました。 「自分=唯一神 ならば 自分=唯一神 である」 (まさかね… でもまじで? けどひょっとすると… もし自分=神 なら…たしかに あれやこれを思い合わせると 自分=神 …となる けど まさかね… でもまじで?) を繰り返しているようにみえました。前提と結論が一緒というか、循環論法というのでしょうか、はじめから答えが決まっていてその答えに合うような材料をつい拾い集めているというか。 もし自分がそういう堂々巡りの状態になるとしたら、どういう場合かと考え、自分もすぐひとつの結論に飛びますが、心の問題かと思いました。劣等感や運動不足が原因で、他者との交流・交感の不足からくる寂しさもあるように思います。 アニメやカルトが提供する世界観にすがるのは、現実をそのままでは受け入れられないくらい心や体や感覚が弱くなっているためかと思います。 「自分≠唯一神」や「すべての人≠神」である世界では、心がなんだかつらいので「自分=神」かつ「他者≠神」という世界、「自分=唯一神」の世界、ようするに自分のみがずば抜けて優越している世界を空想したり妄想したりして、人々独自の存在を暗に否むことで、現世的な生活に伴う恨めしさや劣等感を晴らしているのではないでしょうか。 空想世界に不安を感じつつ、そうした世界にある優越的状況を期待してもいるのではないでしょうか。 自分の世界観を変えることは簡単で座ったままでできるので楽です、空想の世界に多少おかしい点があってもそれを生々しい現実らしさとして妄想の補強に用い、「自分=唯一神」という世界を築いて、しばしばその異常さに自ら疑い、そこから少し出てみると実際の世界もまた異常というか不本意で、よく見れば他者たちのいきいきとしている世界にあって、その活気が自分にはまぶしく、見ないことにして、また「自分=唯一神」の世界に舞い戻り、そこで人すべてに優越していようとする、そこにはつよい劣等感や無力感がひそんでいて、現実で負けがこんでつらいから自分に都合のよい世界観に入り、圧倒的に勝っていようという、一発逆転の発想かと思い、よくあることなので共感しますが 現実や他者にたいする手ごたえがないのは、自身がふだん生々しい手ごたえのない、あまり五感を使っていない暮らしをしているせいではないですか。 ディスプレイで映像ばかり見ていると身体感覚が鈍り、感覚や感性が低下すると現実感も薄まり、五感をいきいきと使う感じがどんなものか分からなくなり、忘れて、まるで他者たちも感覚や感性に乏しいもののように思われてくるかも。 自分にだけ感覚や思考があり他者たちにはそれがない、という世界観を質問文で提示していますが、むしろ実際には他者たちの方が五感や肉体や思考力をいきいきともちいて生活していて、自身の方があまり五感その他をよく使わずに暮らしているのではないですか、よく分かりませんが。 自然の多いところで土だか樹だか水とか山とか、生き物やら人やらと触れ合うといいような気がしました。肉体のエネルギーは節約するより使うほうが生の手ごたえ得られますし健康的です。体を動かしてスポーツとかほどよい喧嘩だとか、泳ぐとか、おもいきり走るとか、筋肉痛になるとかして自分の感覚を自分なりに味わい、それを他者にじかに伝え、他者にも自分の五感が得る内容を打ち明けてなるべく分かってもらい、また他者が他者なりに味わっている感覚をこちらからもなるべく分かろうとするとか、生身の思いやりというか。首や胸より下の部分もよく使うと良いと思います。 ごちゃごちゃと意味不明かも知れませんが、質問文を読んでいて現実感・世界観を得る際に、肉体感覚が乏しいような印象を持ったのでこんなことを書きました。

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 優越感を得たい願望、というのは、確かに自分にあると思います。 ただ、むしろ、現状に満足していたら、このような質問を自分はしていなかったでしょう。 好き勝手に遊んでいただけでしょう。 5感を使って行動した方が良さそうなのは、確かですね・・・・。頑張りたいですが。。 私は今回、独我論を否定してもらうことで、どちらが正しいのか?の判断材料にしたかった、したいというのはあります。 その意味では貴重な意見ありがとうございます。 現実は完璧で、だから、1つの世界、1つの宇宙があって、他者も確かに自分と同様に意識があるように、「見えます」。 しかし、独我論的世界、自分が創造している、ということも仮定すると可能になってしまう。 5分5分の勝負です。50%も可能性があるのならば、「創造する世界」を考察することもまた必要なのではないでしょうか。

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noname#168383
noname#168383
回答No.7

no.4です。「ご自身のその考えは間違ってもいますし当たってもいます」の部分訂正させて下さい。 「独我論は間違ってもいます。」にして下さい。

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 今回のような質問は、質問しにくいので、もうしないかもしれません。 ただ、私の幻覚体験の謎解明と、、、、自分が創造しているか?どうか?は今後も考えたいです。 まぁ、今回の結論としては、深く考えすぎるのは、よくないということでしょうか。 皆さんありがとうございました。

回答No.6

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性」の相補たる「時空仮説性」。 「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。 相対性理論の四次元時空の方程式において、時間軸は虚数になっており、そのため空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 そして超光速においてエネルギーは虚数化し、相互作用=二乗において負=過去(時間的反転)と等価になり、即ち、現在から過去と未来が対発生していると言えるのです。 (そこにおいて原点である「現在」が、実際には結果的な仮想空間に有限な大きさを占める「感受表面」である時、存在の原理的基盤は失われる) 全ての存在は量子的な不確定性(確率波動)に基づき、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなる。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。 そこにおいて、宇宙の膨張=不確定性(h)の収束という、異なる本質=異なる認識可能性を一つの軸(時系列化)にするところに時間性は依拠しており、過去の自分も、空間的広がりにおける他人も同じです。 宇宙は、別の認識可能性を自己同一視するという、ある種の精神異常として発生していると言えます。 即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測)に相補分化する受け皿となり、直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 難しいですが・・・ 私の幻覚体験として、池袋マルイなんか、わかりやすいです。 マルイ西入口。そこは以前行ったら、化粧品売り場、でした。 しかし、私の強度幻覚が起きていた時は、JRのようなジュース売り場でした。真っ白。 店員ちゃんと1人いました。しかし、幻覚でした。 化粧品売り場は、周辺狭い道。しかし、幻覚のジュース売り場の時は、 広い空間がありました。すっきり。。。そこの隅っこに、客が1人いました。 まるで、パラレルワールドのようです。 幻覚かどうか?定かではないですが、自分の脳が、現実を変化させた、というのは確かです。 今、が、不確定だから?、、、そのように自分の脳で現実を変換させてしまったということでしょうか?・・・。 >我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 経験による、予測・・・・ 記憶による、予測・・・・・・・予測して、現実は現れているのでしょうか?・・・。

noname#161546
noname#161546
回答No.5

No.3ですが 1,唯物論?のように、全ての人に意識がある=常識論、当たり前とされている考え …からなる現実がつらいときは 2や3の世界観とかに逃げ込むのもしかたないのかもと思います

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 正直言って、現実世界は厳しすぎると思います。甘いですね。 ただ、自分が創造していると仮定すると・・・・・ 「現実がつらいと思い続けたから、つらい現実が起きている」とも言えるかもしれませんが。 全てが謎です。。。 まぁ、今回のネタって、オカルトに近いものがありますからねぇ・・・。

noname#168383
noname#168383
回答No.4

 ご自身のその考えは間違ってもいますし当たってもいます独我論がすべてだと辻褄の合わない現象があります。それは自分が創造した世界なのだから自らは反重力の世界も椅子を机に変えることもパソコンを人間に変えることも出来る筈です。しかし自らの意志ではそれは無理です。故に外に存在する世界を肯定しなければなりません。問題は捉え方で捉え方は千差万別な側面がありますが似たり寄ったりの側面があったり、まったく意見が違ったりするところもあります。  そういう意味では捉え方は自らの感受性であり、その感受性は感受性が作ったものではなく外側の刺激から派生し、なお且つその刺激が脳に入り何らかの形で消失や行動へ変化するというのが正しいと思います。よって独我論を論破したと考えられます。つまるところ二つの理論はそれぞれ正しいという結果になる。よって一人の世界ではなくそこにはまぎれもなく外の世界が存在し生物も物質も物理的現象も存在するというのが正しい

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 世界・宇宙を皆で共有している、という考えは正しそうですが、 5感で観測して、初めてモノは存在しますよね。 それだと、創造している、というイメージがピッタリ合います。 また、「建物 幻覚」で検索しても、私のような体験談は出て来ません。 それは、池袋にファミリーマートが無いはずが、現れていたりした点です。 そのファミマには、店員2-3人に、客5-10人ぐらいいて、「完全に本物そっくり」でした。 だから、変な機械があるな~?と思っただけでした。その変な機械もまた、幻覚?創造?であった証拠です。 ちゃんと、商品もぎっしり並んでいました。 場所は、マルイの西入口の目の前にありました。今でもGoogleマップで確認できますが、存在しません。 幻覚は通常、幻触ならありますが、そういう幻覚の建物ってのは、今まで過去なかったようにも思えます。 他にもたくさん幻覚?体験しましたが、それらは創造しているとするのが正しいように思えるのです。 通常、幻覚というか、幻視に関しては、虫がほとんどらしいのです。 しかし、ひばりヶ丘駅の北東に、「ハルヒの憂鬱の長門の部屋から外を観たマンション」が、現実に現れていたようでした。 これらは単純に言えば、「私の脳が、現実世界に影響を与えていた」ことになります。 幻触なのに、熱いシャワーが出るとか、異常です。それに幻覚の建物なのに、手すりを回してドア開けたり、階段登って行けたりとか。 とあるバー、酒飲む店で・・・・、看板が、J.C.STAFFでした。これはスレイヤーズやとある魔術の会社名です。しかし、確かに看板はその通りでした。 これまた、私の脳が、現実世界に影響を与えていたことです。 また、自分のPC内の動画が違う動画に変化していることもありました。異常・・・。幻覚とは、思えない・・・。 >よって一人の世界ではなくそこにはまぎれもなく外の世界が存在し生物も物質も物理的現象も存在するというのが正しい 外の世界は存在すると言っても、観測されなければ、霧のような何かです。 誰にも観測されなければ、何も存在しません。 その意味では、遠い駅等は存在しないのではないでしょうか? ただ、他人が観測していれば、存在するのでしょうが。それはわかりません。

回答No.2

まずは、単純に人と人との繋がりの情報量不足ってことじゃないでしょうかね。 関係ありませんが、男女はSEXすることで膨大な遺伝情報の融合をやってのけます。 そして他人(子供)が誕生する・・・まったく驚異のシステムですよ。実は、ここが原点ですけどね。 それはともかく、おそらく、脳と脳を直接接続すると自分と他人は融合するでしょう。一つの自分になるでしょう。 単一の自分の中でも、タバコを吸いたい自分と、健康に悪いからタバコをやめたい自分は繋がらないもんですからその範囲で自分と他人とも繋がると思いますね。どちらも自分とか自分の心とかという意味ではね・・ 独我論が正しいのは、独我上だけで、想像を絶する遙かに広い世界が広がっているということじゃないでしょうかね。だからこそ我は自由なんですよ。独我が正しければ正しいともいえるんですがその閉塞的な独我に埋没すると今の私的にはとんでもない間違いに陥りますね。ま、それはそれでいいわけですが・・ そんなこんなで、自分の宇宙は、未だ他人の宇宙ではなく、また、みんなに共通する同一の宇宙は存在しないってことになるわけですね。と、そんな自分の宇宙をどのように自分が創造するかになるわけです。 どうぞ。お気に召すままに。

vantice
質問者

お礼

1人1人の脳は違うものだから、1人1人の宇宙があるってことでしょうか。 よくわかりません。。。 でも、世界は1つだけ、宇宙は1つだけ、ってのが常識ですよね~。 ありがとうございます。

  • DMIM
  • ベストアンサー率17% (10/56)
回答No.1

俺が今この回答を書いている動機は、vanticeさんが前にした質問に俺がした回答について、vanticeさんがよく考えていなかったらしくて、こうしてまた同じような質問をしていることに少し腹が立ったからです。前のお礼欄が「ありがとうございます。」だけでしたしね。俺は、俺が回答したことによって、vanticeさんがどう思ったのかを知りたいんですよ。俺の回答について分からなかったことが在ったら、また質問してくれれば、基本は、また回答しますよ。 > それはつまり、「一切の他人に、意識が存在しない人形のようなモノ」だと、してしまうからです。 > しかし、宇宙が1つ、意識を持つのも、私1人・・・・・・だとすると?・・・・・・・・・・・・。もしも、それが真実ならば、、、、とても、「虚しい」気がしてきます。 > 全ての他人は、所詮、意識がなく、人形のようであり、また、<私の無意識>が創造した他人である、と。。。。 それらについては、俺が前にvanticeさんに回答した内容をまた示しておきます。 『 幻覚がなくても、他者っていうのは、完全には確かめられない存在であって、結局は、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じているだけだと思います。自分が感じているそれらだけが、自分にとっての現実です。 また、気付きにくいですけど、自分についても、そうです。つまり、自分が自分に生命感や現実感などを感じてもいます。 結局は、そのように感じたり判断したりする機能が在るだけであるとも考えられます。 vanticeさんの例で大切なことは、やはり、現実との様々な整合性を積極的に確かめていくことだと思います。そうしないと、どうとも結論できないままだと思います。 もちろん、そんなvanticeさんもが、誰かに創造された存在であるとも考えられますけど、結局、vanticeさんにとっては、vanticeさんという基点や材料から創造された物事や現実をvanticeさんが満足に制御できることが大切ですからね。 』 改めて、その回答について、どう思ったでしょうか? つまり、他者が人形であるかないかや、他者に意識が在るかないかが、大切なのでなくて、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じていることが、自分にとって、大切なんですよ。 だから、普通の独我論やvanticeさんが言っている「3」の世界観であるかどうかは、大切でないんですよ。 ただ、それらの世界観の可能性もが在ると俺は思っていますよ。ただ、それらの独我論や「3」の世界観をわざわざ用いる必要がないだけです。 そのように確かめる方法がないことを無駄に考えるのでなくて、現実との様々な整合性を積極的に確かめていくことが、vanticeさんにとっては、大切なんですよ。 というか、vanticeさんが満足に制御できない「5感を持っている他者」が居る時点で、なぜまだ自分が全てを作っていると判断しているのでしょうか? なぜ、vanticeさんが満足に制御できないのに、そんな他者を作っている「何か」もが自分であると判断しているのでしょうか? 最後に、今回のvanticeさんの質問についての細かい回答です。 vitaさんの投稿についての誤りについては、「外部刺激」と「その刺激を受容すること」の関係を、過去と未来に、単純に対応させていることです。 つまり、非独我論での「外部刺激は過去のものである」ことを、独我論での「自分が外部刺激を作ること」に応用して、独我論での「自分が外部刺激を作ること」を「自分が過去を作ること」に変換してしまっていることが、誤りです。 独我論的に、自分が外部刺激を作っても、有限時間が掛かるので、過去を作ってはいません。 また、自分が自分に対して外部刺激を作れるかについては、外部刺激を作っている部分をも自分に含めて自分であると判断するなら、作れるでしょう。 > 何れにしても、世界=宇宙=自分の脳みそ、というのは、正そうです。。。。 常識説は、その世界と自分の関係に上下関係や因果関係を指定しています。「世界の中に在る自分の脳」に「世界」が反映しているだけという考えです。なので、「世界=宇宙=自分の脳みそ」であるとは断定できないと思います。 > 結局、自分しか信じられない、ということに、尽きるかもしれません。 当たり前です。だからと言って、その自分は、「他人を信じる場合もが在る自分」ですけど。つまり、「他人に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じている自分」を信じているということです。 > 「自分も他人も、同じ体を持っている。だから、自分も他人も、同じ存在だ。だから、独我論は間違っている。」とも、仮定できます。これは質問ですが、これを否定することはできるのでしょうか? 何によって意識を持っていると判断するかによっています。 脳や身体などが高度に動作していても、意識を持っているとは限らない、と考えるなら、もう確かめる手段はないでしょう。 あと、何が自分(の意識や意志)であるかにもよっているでしょう。

vantice
質問者

お礼

「ありがとうございます。」だけの場合があるというのは、正直に書くと・・・「私がよくわかっていないから」です。 私が馬鹿だからです。すみません。 でも、私は色々と検索しては、調べています。そこで、意見を求める場として、ここのカテゴリを使用させて頂いています。 真実を知りたいのです。。 おかしな現象が、多すぎるのです。幻覚かどうかも、わからない。 もう書きましたが、「ももいろ動画のコメント色がいきなり変わった」というのも変でした。ネットゲームもいきなり変わった(アップデート告知は半年前だった)り・・・。 これを説明するには、「自分が創造している」とすると、そのまま答えになりそうでして。 >つまり、他者が人形であるかないかや、他者に意識が在るかないかが、大切なのでなくて、自分が他者に生命感や現実感や自律性や意志や整合性などを感じていることが、自分にとって、大切なんですよ。 だから、普通の独我論やvanticeさんが言っている「3」の世界観であるかどうかは、大切でないんですよ。 これについては・・・。 現実感、現実は、「ほぼ完璧に現実そのものとして現れている」います。 だから、自分は、「創造なんてしていない」と思うことも多いし、(一般的考え) 「創造している、かもしれない」と思うことも多いです。 だから、真実として、どちらが正しいのか?・・・ということに興味があります。 最後の、意識については、どうとも言えるんですね。 体は皆、同じなのに?・・・・と思えます。 皆、体、脳は、同じなのに、自分と他者が違う可能性がある・・・・・・・・・・・・。 皆、そうは思っていない。 自分と他者は違う存在だと、皆思っている。 それとも、自分=私が創造しているとして、「同じ存在でなく、違う存在だ」と、思い込んでいるのかもしれません。 赤ちゃんとして生まれた時から・・・・。でもそれは、自分の潜在意識が知っているだけなので、顕在意識の自分はわかりませんね。 ありがとうございます。

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