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大学の論文で迷ってます 初歩的質問ですが…
哲学初心者です。 大学の課題で哲学の論文を提出することになりました。課題の内容はある哲学本を読み各自の日常の問題意識に関わらせながら論述しなさいというものです。指定本であるその哲学書の内容としては まず序論として哲学についての考察の仕方(自我への反省等)についての大まかな概要に触れそこから自我の本性を理性とし、人間の精神能力を3分類していき 受容能力・思うー思うという働きを知ると考えるに分けそこから認識論、真理論、論理学、合理論等 関係能力・有るー一般的にものが有るという点から存在論、もののあり方から空間、時間形、原因、刑相、質量、結果等。他には形而上学等 自発能力・行うー人間の行いを道徳・芸術・宗教に分け、道徳からは倫理学、功利主義、芸術からは美学、宗教からは宗教哲学 ※もっと細かく真理論であればそこから明証説や反映論などにもふれ、参照としてはデカルトやカントなどについても記述されていますがここではキリがないために省略させてもらいます。 という哲学を学習するにあたって基礎的な構成の本だと思います。この本以外にも認識論等でも他の哲学関連の他の本を参照し、自分なりに理解に近づこうとしたのですが課題の内容でもある日常の問題の意識と関わらせての論述となると、どう向き合っていいのか分からず全く進みません。哲学における思考での日常の問題意識に関わらせて考えるとはどのように考え、またここでいう日常の問題意識には具体的にはどのような問題を指すのか、皆様のご意見をお聞かせください 長文失礼致しました、アドバイス宜しくお願い致します。
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- namahu
- ベストアンサー率25% (1/4)
試しに考えてみました 日常の問題意識・・・なぜ箱ティッシュは次から次へでてくるのか? 受容能力(思う) 認識論・・・ティッシュとは柔らかい紙で出来た布巾やハンカチの様なもの。 真理論・・・拭ければ何でも良いのではないだろうか。 論理学・・・次から次に出てくる+(取り易い)と-(埃がつく、戻しにくい、引っかかって破れる、) 合理論・・・マイナスの面を差し引いても取り易くする必要があるのか? 関係能力(有る) 空間・・・箱ティッシュはどこにどのようにあるものなのだろうか?(すぐ手が届く所?) 時間・・・いつ使われるものなのだろうか。(何かをこぼした!はながたれてる!「ティッシュ!ティッシュ!」の合い言葉) 形相・質量・・・箱によりティッシュがシュッと出るだけの重さを確保か?トイレットペーパーより早い? 自発能力(行う) 道徳・倫理学・・・より緊急への特化=制作者の気遣い。 美術・美学・・・機能美。少なくなったら底上げ機能、ゴミへ出すときは折りたたみ機能付き。 宗教・宗教哲学・・・箱テッシュに求められた土壇場での救い。箱ティッシュに込められた慈愛 こんな感じ?
5。読解力を憂慮して推敲します。 課題文がお書きになったとおりならば → 課題文が、あなたのお書きになったとおりならば
課題の内容について、どう理解したのですか? 日常の問題意識をとりあげながら「指定の本を論じる」のですか。 それとも指定の本を参照しながら「日常の問題意識を論じる」のですか。 課題文がお書きになったとおりならば、わたしには、「指定の本を論じる」課題に見えますけれども、 > 哲学における思考での日常の問題意識に関わらせて考えるとはどのように考え < は、何を考えるのか、何について考えるのかわからず、文章が成り立っていないし、 > またここでいう日常の問題意識には具体的にはどのような問題を指すのか < が、はたして本当にあなたの行き詰っている個所なのか。 行き詰っているのだとすれば、日常の問題意識ってなんですか、どんなものがありますか、という質問と変わらない。 補足してください。
- HANANOKEIJ
- ベストアンサー率32% (578/1805)
「日常の問題意識」21世紀初頭、2008年8月30日の、地球上の日本国の一個人の「問題意識」:地球温暖化と異常気象、物価上昇と老後の不安、テレビを見ていると、現実に救いを求める悲痛な声、叫び。 個人的には、歴史上の激動期に入ったと感じています。「幕末」「敗戦」と同じくらいか、それよりもはるかに大きな変革の時代かもしれません。 ヒントになればいいですが、 http://www.jcp.or.jp/ 「正義と道理に立つものは、未来に生きる」という志位和夫さんの講演を見てください。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
それぞれの論は、日常に生かされる科学と密接に関わってます。 例えば、 認識論・・・認知科学・神経科学・理論物理学・コンピューターサイエンスなど、一般に「心身問題」や「心の哲学」などと呼称される分野と密接な関わりがあります。 論理学・・・人は多かれ少なかれ、自分の考えを論理的に組み立て他者に伝えます。「論理学」はそれを細かく分析していく学問といえます。例えば、数学の公式も一つの論理です。 などなど、意外と多くの事象が「哲学」と密接につながっています。 といようり、「哲学」と「科学」はほぼ「同意語」であると言えます。(まぁ、通常「科学」というと自然科学分野など、「狭義の科学」を指すことが多いですけど) >日常の問題の意識 これは、色々ありますよね。 例えば、認識論のなかでも「神経科学(脳科学)」を取り出してみましょう。 神経科学は、今ホットな分野の一つです。 ヒトを含む動物が、どのように物事を認識し、それに対してどのように反応を返すかというのを明らかにしようというのがその主題といえます。 さらに、昨今は「うつ病」など精神に関わる病気などもホットな話題ですよね。 「うつ病」は、何かのきっかけで脳内物質の分泌バランスが崩れることで掛かる病気とされています。 なので、その崩れたバランスを薬で治そうというアプローチで医学的研究が行われています。 これは、哲学で言えば認識論の中でも「精神物理的一元論」に基づいていると言えます。 因みに、デカルトに代表される立場を「心身二元論」と言います。 簡単に言うと、一元論は精神と体は一体って感じで、二元論は精神と体は別々と考える論ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E8%BA%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C
- qsxdrfvgyh
- ベストアンサー率22% (17/76)
あまりいい教科書とも思えませんが、最大限に生かすとすれば、「構成要素主義の視点だと正しく認識できない」というのは、どうかなと思いました。何か実例を挙げて、うまくいかないことをレポートすれば、はい、できあがりです。
- cosmos-kt
- ベストアンサー率29% (43/147)
日常の問題意識とは・・この世界で起こる様々な在り様、つまり現象に対して、「哲学的に何が受容できて、何が受容できないのか?」であるとか、その現象に対して、「自分自身としてはどのような関係性がもてるのであるか?関係性がもてないのであるか?」とか、更に「行為(作為ではなく)がどのように行えるのか?行えないのか?」について考察しなさいということだと思います。 もう少し具体的にしてしまえば、ある新聞記事に・・XXXという事件について書かれていたとする。もしも、自分自身がその事件に巻き込まれたならばどのように思うのか?であるとか、どのように考察するのか?であるような論述になっていくのだろうと思います。 つまり、ある現象についての客体的な論述と、ある現象についての主体的な論述をしなければならないと思いますよ。
お礼
cosmos-kt様 ご意見ありがとうございます >ある現象についての客体的な論述と、ある現象についての主体的なをしなければならない 参考になりました。論文の全体像が浮かびました