江戸時代。貞享暦。
7月14日付の質問「江戸時代の時間の数え方」のベストアンサーで分からない箇所があるので教えてください。
ベストアンサーの一部抜粋。
「江戸時代の初期から、時刻を知らせる鐘・太鼓は辰刻(とき)の始まり(初刻)ではなく、真ん中(正刻)に打たれており、貞享暦の改正時より、初刻と正刻の区分を記載しなくなり、鐘・太鼓の打つ時間が、辰刻(とき)の始まりと徐々に認識されるようになり、辰刻(とき)の始まりが従来より半刻(1時間)遅くなり、定着したものだということです。」
確認です。
鐘・太鼓は、辰刻(とき)の始まり(初刻)ではなく、真ん中(正刻)で打たれていたのですね。
貞享暦が改正されてからも、鐘・太鼓は従来どおり「正刻」に鳴らしていたのだが、鐘の音を聞くと人々は、「辰刻(とき)の始まりと徐々に認識」するようになったのですね。
質問です。
1.「初刻と正刻の区分を記載しなくなり」とは、初刻と正刻の区分をしなくなったという意味ですか。
また、その理由は何ですか。
では、上刻、下刻の区分は残ったのですか。
上野の寛永寺および老中と、芝の増上寺および地方とでは、ある時期、上刻・下刻の解釈が異なっていたそうです。
この違いを無くしたということですか。
2.「辰刻(とき)の始まりと徐々に認識」するようになったということに関しての疑問。
例えば「明六ツ」の鐘が正刻に鳴っていたころは、今の時刻でおおよそ6時ですね。
このとき、「明六ツ半」は7時になりますね。
しかし、貞享暦以後は、辰刻(とき)の始まりに鐘が鳴るので、「明六ツ半」は今の時刻で6時になるのですか。
つまり、今の時間にすると1時間の差ができるということですか。
よろしくお願いします。
お礼
ありがとうございます。 とても参考になりました。