奈良・平安時代の城柵について
ある高校の教科書に、奈良時代・平安時代は東北地方の蝦夷を支配するため城柵が築かれ、それが蝦夷征討の拠点となったとあります。
この城柵の『城』は多賀城のようないわゆる城をイメージできるのですが、『柵』というのがいまいち想像できません。
私は初め、柵というと万里の長城のような壁をイメージしていたのですが、それだと蝦夷征討の拠点となるようには思えません。
また平安時代には、この城柵に役所群や倉庫群がおかれ政治的な性格を持ったともあります。
なおさら『柵』とはどういったものだったのかがわからなくなりました。
長くなりましたが、この『柵』とはどのような建物(もしくは建物ですらない?)だったのでしょうか?
また多賀城などの『城』に関しては、大阪城のような一般的な城と解釈してもいいのでしょうか?
よろしくおねがいします。
お礼
うわー!早速お答えありがとうございます! 早速行ってみますね。