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強訴・・・なぜ白河法皇は日吉大社を畏れたのか

『賀茂川の水、双六の賽、山法師』 は白河法皇の意のままにならないものであったそうですが 山法師とは延暦寺の僧兵のことですね。 彼らは気に食わないことがあるたび、延暦寺の山麓にある日吉大社の神輿を担ぎ出して 「神罰が下る」と脅したそうです。 平安時代の人々は神罰というものを信じていたということだと思いますが それだけでしょうか。 白河法皇や朝廷には日吉大社に対して負い目があった、なんてことはないんでしょうか?

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noname#224207
noname#224207
回答No.3

No.1です。 わざわざ、お礼を記入して頂き有難うございます。 お礼の中に追加のご質問がありましたので、説明させて頂きます。 >白河法皇は神罰がこわくて強訴を聞き入れたというよりは延暦寺や興福寺の政治的な権力を畏れたという解釈でよろしいでしょうか。 >僧兵と朝廷内部の反対勢力が手を結んでいたということでしょうか。 組織的に手を結んでくれるのであれば白河法皇も苦労はしなかったでしょう。 王朝貴族(公家)や腐敗官僚というのは、直接自分が攻撃されない手法をとります。 白河法皇が強訴の僧兵を取り締まった後になにか起これば、それを、神罰だ仏罰だと騒ぎ立てて、法皇は神仏を畏れない悪鬼のような人間だと、神仏を信仰する従順な人達を信じ込ませて引き摺りこめばいいだけです。 延暦寺も興福寺もよろこんで手を貸すでしょう。 そのあとで、神罰、仏罰を招いた責任を問えば、法皇の権力も支持者も激減します。 当時は、病気になる理由も分からなければ、治療方法も木の皮草の根を煎じた漢方薬だけが頼りです。 病人などはいくらでもいました。その大半が不治の病でした。 場合によってはあっと言う間に疫病として流行してしまいます。 盲腸一つで命を落とす時代です。 いかに法皇でも、病気が起きないようにはできません。 まして地震、落雷、台風はいつ襲ってくるのか全くわかりません。 このような既得権貴族や腐敗官僚の手法を熟知していた法皇としては、うっかりした手段はとれません。 このような既得権貴族や腐敗官僚の手法というのは、現在でも頻繁に起きています。 永田町の政治屋のみならず、サラリーマン社会で出世頭の足を引っ張るさいにも取られます。 世論操作と呼ばれます。 ちなみに、後の後白河法皇の時代になると平家の侍が叡山の神輿など弓を射かけて蹴散らしてしまいました。 武力を持った北面武士には、さすがの既得権貴族連中も歯が立ちませんでした。 武士を怒らせれば、問答無用で屋敷に火をかけられるかも知れません。 結局源平の武士の時代へと移っていくことになります。

noname#197155
質問者

お礼

再度の回答をありがとうございます。 >白河法皇が強訴の僧兵を取り締まった後になにか起これば、それを、神罰だ仏罰だと騒ぎ立てて、法皇は神仏を畏れない悪鬼のような人間だと、神仏を信仰する従順な人達を信じ込ませて引き摺りこめばいいだけです。 延暦寺も興福寺もよろこんで手を貸すでしょう。 神仏を畏れるというよりも、神仏を畏れない悪魔と言われることを畏れたと。 >そのあとで、神罰、仏罰を招いた責任を問えば、法皇の権力も支持者も激減します。 そうか、あの時代は地震・大雨・落雷などの自然災害は神仏を十分に祀らなかったせいでおこると考えられていたんでしたっけ。 >このような既得権貴族や腐敗官僚の手法というのは、現在でも頻繁に起きています。 永田町の政治屋のみならず、サラリーマン社会で出世頭の足を引っ張るさいにも取られます。 世論操作と呼ばれます。 最近でもいろいろありましたね~。。 スタップ細胞とか原発の漫画とか。 >ちなみに、後の後白河法皇の時代になると平家の侍が叡山の神輿など弓を射かけて蹴散らしてしまいました。 平家は比叡山・・・日吉大社の神輿など怖くもなんともなかったと。 おもしろい~。 価値観がちがうんですかね。 大変面白いお話しをありがとうございました。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

国会議員の定数や選挙の区割りは国会が決める。 司法がそれに対して違憲状態であると判決する。 これは現代日本では三権分立を前提にしているからで、司法が国会の決めることに対して違憲状態であると判決を下すことに対して「司法が立法に対して気に喰わないことがあるたびに、違憲状態だなんていう判決を出すとは、横暴だ」 なんてことを、三権分立の前提を知っている人間は思わない。 同様に、中世は「王法・仏法」の二輪体制 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%B3%95 「日本においては、『平家物語』には「仏法王法牛角(ごかく、=互角)也」、『太平記』でも「仏法王法の相比する」と説かれているように、仏法と王法は対立するものではなく、両者が並存・調和することで国家・社会は守られるという仏法王法両輪論・仏法王法相依論が唱えられた。」 仏法が王法の代表者たる白河法皇の意のままにならないのは当たり前の世界観です。

noname#197155
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >仏法が王法の代表者たる白河法皇の意のままにならないのは当たり前の世界観です。 ですが、神罰をもって法皇をおどし、その結果要求が認められてしまうというのが 現代人である私にはなかなか理解しがたいものがあります。 平安時代の人々はそれだけ信仰心が厚かったということなんでしょうが。

noname#224207
noname#224207
回答No.1

>白河法皇や朝廷には日吉大社に対して負い目があった、なんてことはないんでしょうか? まぁ~いまどきの政治家みたいに弱みを握られてどうのこうのというのであれば、時代小説の作家も腕によりをかけて書くでしょうけれどもチョット違います。 当時は時代の端境期といいますか、荘園が普及して大宝律令以来続いていた公地公民制が破綻していた時期です。 中央政府であった朝廷の税収が激減していた時代です。 歴代の朝廷はこの荘園なるものを整理しようとしましたがなかなか上手くいきませんでした。 朝廷の下級役人であった国司も任期満了に近づくと、朝廷内の貴族に賄賂を贈ったり勝手に寄進して荘園にしてしまうということをやっていました。 取り締まる朝廷の役人が利益を得ていたのですからどうにもなりません。 これを積極的に禁止して整理したのが白河法王です。 延暦寺や興福寺は、広大な荘園を領していて、その財力と宗教的権威に基づく一大政治勢力となっていました。 僧兵という武力集団も備えていました。 興福寺は朝廷の一大勢力であった藤原氏の菩提寺です。 白河法王はこの僧兵に対抗すべく北面武士という武装組織を創設しました。 朝廷には組織として検非違使というものがありましたが、装備は儀式の装飾用程度で、到底僧兵には対抗できませんでした。 荘園を整理するということは、延暦寺のみならず、藤原氏を始めとする朝廷内の貴族の財産を没収するということです。 反対勢力の右代表として僧兵が強訴を繰り返しました。 意にそぐわないのは山法師と言っていますが、実際は、朝廷内部の権力闘争です。 一朝一夕で従わせるわけにはいきませんでした。 やがて、院(上皇)の用心棒である平家と藤原氏の用心棒であった源氏が対決して源平時代へと移っていきます。 延暦寺の息の根を止めたのは信長です。 面白くもおかしくもない歴史の話になり申し訳ありませんでした。

noname#197155
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 時代背景などよくわかりました。 >延暦寺や興福寺は、広大な荘園を領していて、その財力と宗教的権威に基づく一大政治勢力となっていました。 白河法皇は 神罰がこわくて強訴を聞き入れたというよりは 延暦寺や興福寺の政治的な権力を畏れた という解釈でよろしいでしょうか。 >反対勢力の右代表として僧兵が強訴を繰り返しました。 意にそぐわないのは山法師と言っていますが、実際は、朝廷内部の権力闘争です。 僧兵と朝廷内部の反対勢力が手を結んでいたということでしょうか。 >面白くもおかしくもない歴史の話になり申し訳ありませんでした。 いえ、とてもおもしろく読ませていただきました。

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