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現代の適応性

人がまだ狩猟採集時代には適応に有利だったが、人工的な現代社会では必ずしもそうではないものとは例えば何があるのでしょうか? またそれはなにゆえ現代社会では適応的ではないのでしょうか?

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  • ryochaman
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回答No.3

乱暴な言い方をすれば、「五感」ではないでしょうか。 私的感情はさて置いたところでの、現代社会に適応するための最重要ポイントは人間関係だと思います。 現代社会において、潤滑な人間関係を築く秘訣は、無味無臭的な人間でいることなのかもしれない、と思います。 現代人は刺激の強いものに対して、とても否定的になっているように思います。 本来ある個性的な体臭を消し、画一化された人口の香りを漂わせます。 見てしまったこと、聞いてしまったことも、見なかったこと、聞かなかったことにすることが多いように思います。 人工的に流される情報には敏感になっていますが、自然の流れの中で目にしたこと、耳にしたことは、捨ててしまった方が楽になることが多いのではないでしょうか。 ゴツゴツ・ザラザラした働き者の手は倦厭され、スベスベ・サラサラの遊び人の手が賛美されます。 新鮮な素材を、母に習って料理することよりも、行列のできるお店を知ってるなんてことが、その人の評価に繋がっていきます。 五感が鋭ければ鋭いほど、現代社会は生き難いのかもしれない、と思いました。 五感を鈍くし、神経を図太くしないと、現代社会は生き延びれないのかもしれません。 狩猟採集時代とは全く逆の現象、人間の生理に反しているように思います。

frau
質問者

お礼

コンビニなどに代表されるように、便利、簡素化、時間の境界がないような生活の中でまず犠牲になったのは感性かもしれません。今スロー・ライフが提唱されていますが、原点にかえるべきことを時代が気がついたのでしょう。果たしてこれ以上の進歩や効率や便利なことが必要なのか?文明や文化はすでに淘汰されたと思うのですが、これ以上進歩しすぎるとからまわりしてくるのではないかと思います。そんな焦りが資源を消費しつくし、人の感性をなくし、今に必ずしっぺ返しは確実にくると思います。 参考になりました、詩的なご回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • hamugen
  • ベストアンサー率63% (163/258)
回答No.4

ご質問を読んで、認知科学者の戸田正直の「アージ理論」を思い出しました。 狩猟採集時代のような野生の環境では、絶えず周囲の危険にさらされています。そのような環境では、肉食動物などがまだ遠くにいれば、どう逃げれば安全か対処行動を考えられますが、すぐそこに迫って余裕のない状況になれば、あ~だ、こ~だと「考える」ようなことをしていたら命を落とすことになってしまいます。こんな時は、危険を察知したら考えることなく瞬時に行動に移さなければ、環境に適応して生き延びることはできません。危険を感じて恐怖という「感情」が起こるのはそのためらしいです。 人工的な現代社会では、環境からの危険はほとんどコントロールできるようになりました。「考える余裕もなく瞬時の行動で生き延びる」ということはあまりありませんが、参考URLのような「火事場の馬鹿力」的とっさの行動は現代社会でもまだ適応的かもしれませんね。 「考える間もなく瞬時に、とっさに取った行動」が現代社会では適応的ではない方の例は、ご自身のこれまでにあった「冷静になってから後悔した行動」を、その時の自分の「感情」にも気を留めながら思い出してみるとわかるのではと思います。誰でも一つや二つはありますよ。

参考URL:
http://www2.synapse.ne.jp/topaz/fusigi-5.html
frau
質問者

お礼

実は「アージ理論」からきた課題なのです。 「正常バイアス」「多同盟パイアス」はご存知かと思いますが、私はこの思い込みにより、人が本能から離れつつある現代人の姿だと思いました。 参考になりました、ありがとうございました。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.2

こんにちは。 「男性の強さと女性の優しさ」ではないでしょうか。 人間の社会に「男女の分業」というものが発生したのは、食料の確保が肉体労働であり、女性には出産・子育てという責務があるからだったのではないかと思います。労働の生産性が体力と比例するならば、男女の分業は人類にとって比較的効率の良いシステムだったと言えますし、ここには男性の強さと女性の優しさがバランス良く反映されています。 ですが、現在では生産の機械化と貨幣経済による安定供給が確立していますので、必ずしも男性の体力がより社会に貢献するということはなくなってしまっていますよね。実際、現代社会では男女の分業というものが急速に意味を成さなくなっているように実感します。 餌を採れなくなった男性。自分で餌を採れる女性。男性が弱くなるのは別に構わないのですが、女性から優しさが失われてゆくのは、ちょっと寂しいです。

frau
質問者

お礼

答えがこんなに身近なところにあったことに気がつきませんでした。ただ…女性の優しさは「男性らしさ、女性らしさ」の仕事が分業化、平均化されても女性特有の優しさは存在していると思います。たとえば母性とか…。また固有の優しさも、文明や文化に捉われないものと思われます。 参考になりました、ありがとうございました。

  • yow
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回答No.1

うーん、攻撃性というのはどうでしょうか。狩猟するためには必要ですよね。でも、現代社会では危険ですよね。

frau
質問者

お礼

なるほど!狩猟採集時代では、攻撃性がなければ生きられませんでしたよね。でも現代社会は文明や文化の進歩などがそれにとって替わられましたが、攻撃性は別のところに潜み続けているような気がします。例えば戦争、殺人など…。犠牲になるのは弱者、弱者です。エネルギーのやり場が違うだけで、攻撃性は現代でもなくならない、というよりも、抑圧されればされるほど形を変えて現れるのではないでしょうか。 参考になりました、ありがとうございました。

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