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狩猟採集時代は冷酷?
狩猟採集時代の人類は今より冷酷で簡単に動物を殺せるメンタルだったのですか?現代では動物愛護が尊重されますが
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今でも大量の動物が食料にするために殺されています。専門にする人がいて一般の人は殺されて加工されたあとのものしか見ないのでそのように思うだけでしょう。現代の普通の人でも,食べるものがなくなれば食べるために動物を殺しますよ。
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- 5555www
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狩猟採集時代の人類は今より冷酷で簡単に動物を殺せるメンタルだったのですか?……生まれた以上は、「生きる」ということに一生懸命だったのだと思います。生きるためには食べなければなりませんし、「ただ生きるためだけ」だったと思います。そして、それは「冷酷」という表現とは、違うような気が、私にはします。「食べるものを得られた感謝の気持ち」があったのではないかと想像します。 むしろ文明化し始めてからの人類は、同じ仲間である人間を簡単に殺しています。むしろ、冷酷になっているのではないかという気がします。 現代では動物愛護が尊重されますが……いざとなったら、可愛い飼い犬だって食ってしまうかもしれませんね。 今、絶滅が心配され、保護が訴えられている生物だって、昔、人類がイジメた生物じゃないですか。 私たちには聞こえませんが、「人類って、大昔に比べるとだんだん冷酷になってきているよね」って、動物たちで、あるいは植物たちもワイワイ会話しているかもしれません。
- eroero4649
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質問者さん、釣った魚を漁師さんがその場でさばいて刺身にしたら、どう思いますか?「うわ残酷。しかもその場で食うとかあり得ない」って思いますか。 いやむしろ「生きのいい刺身は美味い」としか思わないんじゃないでしょうか。なぜなら魚は愛玩するものじゃなくて、食うもんだから。 それを食ったら、もう食い物にしか見えなくなるんですよ、動物って。セミって素揚げにして塩を振って食べるとエビセンの味なんですって。それを経験したら、きっとセミを見ても「美味そう」にしか見えなくなると思いますよ。
- himat_ex
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生き延びる為の戦いなので愛護精神は無意味ですね。 愛護精神などと言う道楽に付き合う余裕は無いですが、獲物に対する敬意は有ったと思います。 食害に関する忌避は有るので、土地毎にそれ由来の禁忌は存在しますが、食料に貴賤を論じ、それを他者攻撃の言い訳にするのは金持ちの道楽に過ぎません。敬意を持たない愛護精神なんて嘘っぱちです
- FattyBear
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現代人でも動物を皆食べています。でも猟や漁(動物を殺す作業) をしなくても済んでいるだけです。でも。猟師や漁師も冷酷で簡単 に動物を殺せるメンタルであるわけでは無く生活の糧を得るためで 生き物に対する畏敬の念すら持ってそうしていると思います。 昔、自ら狩猟をせざるを得ない時代でも”冷酷で簡単に動物を殺せる メンタル”を持った人は少なかったのでは。狩った動物の鎮魂の儀式 等も風習としてあったようです。 なお、狩猟と動物愛護は相反する関係ではないと思います。
- ems10_zudah
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生きていくために(食う為)に命がけで狩るのと追い払ったり個体数のバランス調整や趣味で一方的に安全な距離から狩るのでは意味合いが根本的に違います 動物愛護精神というのも現地の人からしたら死活問題なのに安全圏で自分に被害が及ばないから言える綺麗ごとにすぎません