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中国古典と西洋古典の違いや欠点

中国古典と西洋古典の違いやお互いの欠点を教えて下さい。

みんなの回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.3

前便でも一部触れたように、西洋は自然と対峙して、これを研究するのにもっぱら分析的手法を用います。対して東洋は、自然と一体化して人も自然も総体的なものとして見ようとする傾向があります。これが、考え方や行動にも表れて、西洋では個別化や個人主義が尊重され、東洋では団結や集団主義が尊重されます。 こういった考え方や行動様式が、それぞれ中国古典や西洋古典の根底に潜在していると見て差支えないと思います。つまり、「団結や集団主義、上意下達型の支配機構の意識」が中国古典の多くに通底し、「主体的個人主義、(分解した部品を寄せ集めれば全体に戻るだろうという)要素還元主義的発想」が西洋古典多くに通底している、と言えるだろうと考える次第です。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.2

補足を拝見しました。 すてきな読書をなさっていますね。 >個人的にアジア古典や文学に何度も触れましたが、精神的な事ばかりで結局飽きました。現実では使えない!という結論に至りまして。 ⇒なるほど、東洋学には「実学的要素」が少ないですね。(ただし、哲学的人間学を探求し、人生を観照するには、西洋学より優れた面があると言えると思います。) >その後西洋古典(フランクリンやルソー)等といったものをいくつか読んだら現実社会や資本主義的な要素が多く利用価値が高いと考え現在愛読しています。 ⇒確かに、科学技術を学ぶなら、圧倒的に西洋学ですね。ダランベールやディドロによるフランス「百科全書派」の所業や、ほぼ時を同じくしてイギリスから始まった「産業革命」以降のヨーロッパには、(学ぶべき科学技術の)業績が多いことに圧倒されてしまいます。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.1

>中国古典と西洋古典の違いやお互いの欠点を教えて下さい。 ⇒主観に基づいて大雑把に申し上げます。 かつての西洋では、自然は人間の敵の見なされたが、中国では、自然とは人間を抱く懐であると見なされていたと推測されます。そこで、実験とは「自然に拷問をかけて白状させることだ」と西欧人は考え、実験とは「自然の摂理に合致する術を見出すことだ」とアジア人・中国人は見なしていたものと思います。このことが、洋の東西を分ける基本的通念であり、あらゆる文化的営為、学術的考察とその記録(いわゆる「古典」を含む)に見られる基本的な違いと言えるかもしれません。おそらく、このことが各領域ごとに通底していたからこそ、西洋ではいち早く科学が進歩し、東洋では精神学が学術の中心でした。それぞれに、長短・プラスマイナスがあると言えるでしょう。「和魂洋才」という慣用句は、このあたりに由来したものと見られます。

gagaga366
質問者

補足

個人的にアジア古典や文学に何度も触れましたが、精神的な事ばかりで結局飽きました。現実では使えない!という結論に至りまして。 その後西洋古典(フランクリンやルソー)等といったものをいくつか読んだら現実社会や資本主義的な要素が多く利用価値が高いと考え現在愛読しています。