- ベストアンサー
天皇のルーツについて
よく掲示板などで天皇のルーツは 海賊だとか流刑人だとか書いてありますが 平和に暮らしていた日本の原住民に 武装した海賊などが攻め込んできて という話も現実的でなくはないですよね なんとなく日本人の残虐性やプライドの 高さなどがそういうところから来てる と考えると不思議ではないですよね それとなぜ古代の詮索はタブー視されて いるんですか?やはりこういう説もあるかも しれないと思っている学者でも右翼が怖くて 発表できないのでしょうか?
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
先日読んだ本の中では 現在の天皇家の祖先はズバリ、三国時代の呉の王族だと書いてありました。 卑弥呼が魏から鏡を百枚下賜されていますが これは現在多数発見されている『三角縁神獣鏡』ではないかといわれています。 魏の年号、景初の銘があるものもありますが、 「景初四年」と言う実在しない(景初は三年まで)年号もあり、魏製の鏡であるということは疑問視されています。 さらにこの鏡は魏の鏡の特徴を持っておらず、魏と同時代の呉の鏡の特徴を持っており、呉の職人が日本にやってきて作ったのではないかという説もあります。 この説は何人もの研究者の方が唱えられていますが、 先日読んだ本の中ではこれをさらに補強してあり、 「呉の滅亡前夜、西晋との決戦を控えた数十万の兵と数千の船が一夜にして消えた」と中国の歴史書に記載があるというのです。 一夜にして消えた船団と神武東遷…。 この本では、呉の船団は九州南部に降り立ち、九州南部に 根を下ろした勢力と、さらに東にすすみ畿内大和の既存勢力と和合した勢力に分かれたとあります。 その後、九州南部勢力の子供世代の勢力が、畿内大和勢力と合流するため東へ進んでいく中、それぞれの事情で戦いになったものが、神武天皇の東遷の物語だと、ありました。 神武東遷が、呉王族の子孫同士の戦いであるかどうかはともかく、消えた船団が日本に降り立ち、何らかの一大勢力を築いた、というのはありえない話では無いと思います。 この本は図書館で借りたため、タイトル、筆者は忘れましたが、他にもいろいろな説がありますので、興味をお持ちでしたら、図書館等で見てみてくださいね。
その他の回答 (8)
- Sanshiroh
- ベストアンサー率50% (4/8)
戦前までならともかく、現在では特にルーツに関してタブー視される学説というのは、無いように思います。 あと、先に答えている方々は、渡来人説を有力としていますが、 これを否定する説も当然存在し、説得力のある説明もなされていますから、 渡来人の子孫、と断定するのはいかがなものかと思います。 (大陸から移住してきたのなら、受け継いでいるべき風習が何故か存在しない、とか) あと > なんとなく日本人の残虐性やプライドの高さなどがそういうところから来てると考えると… 日本人が、他の民族に比べて残虐でプライドが高いのですか? それは日本人と言うDNAに刻み込まれているとおっしゃりたいのですか? すいません、ちょっと気になった表現だったもので
補足
「菊と刀」という本に日本人が残酷な部分をもった 2面的であるみたいに書いてあると聞いたので・・ すいません、自分で読んだわけじゃないです。
- No51
- ベストアンサー率18% (25/136)
その辺の事は調べれば調べる程わかりません。 「タブー」はありませんが、時代によって、 「人気のある説、無い説」があります。 大和朝廷と戦った蝦夷の大酋長のミイラの 遺伝子等を調査したら、コテコテの大陸渡来系 だった、とか、あるアメリカの人類学者によると、 「日本の皇族は日本人離れしている。 あれはインカ系の顔だ。間違いない。」 とか、色々な記述を目にしました。 しかし、 はっきり言ってどの説も、「そう信じたい人達」 がいて、それが支持されているだけの話です。
補足
確かに皇太子さんがどっか違う国の言葉 しゃべっても違和感ないですね・・・・ すいません・・・・
- jazz04
- ベストアンサー率34% (43/123)
ローマ帝国なんかがあったころ日本は原始人とはいいませんけど石器や土器の生活であるかのようなイメージさえあります。日本史を見ると4世紀ごろになっていきなり強力な力で日本を統一する朝廷が出現します。古墳などの土木技術を見ても、いきなり高度な文明が生じたような感じを受けます。そういう、他の国には無い変わった現象は、朝廷が日本で自然発生したのではなく大陸から様々な文化と共に移入してきたからだと思います。 天皇家の習俗やそれに類するものを見ると、私は古来のユダヤ教の習俗と大変似ていることに興味を持っています。この点について、他にも論じる人がいるみたいです。特に天皇家の神道形式の神殿・式服・その他の習慣は古来のユダヤ教に瓜二つの点が多く興味深いです。 ユダヤ人は1世紀にローマによってエルサレムが壊滅して世界中に散らばり流浪の民となるわけですが、シルクロードのいたるところに彼らが移っていく痕跡が残っています。単純に考えるならシルクロード沿いに流れ流れて大陸を横断して幾らかのユダヤ人が日本までたどり着いたことは充分ありえます。おそらく、高度に文明化されていた中国では彼らユダヤ人の居場所は無かったとも思いますし。日本ぐらいまでやってきて落ち着いたのではと感じます。 ある人は日本人の祖先がユダヤ人とまで言う人もいますけど、そこまでは無いと思います。高度な文明や技術を持っていた渡来系の人が当時の日本を統一していったということではないでしょうか。 そう考えると日本の歴史が4世紀ごろから急に文明化しているのも納得します。 それに、個人的に気になるのは陛下たちのお顔つきです。明治天皇の御肖像などもありますし、今上陛下も皇太子殿下もそうですが、大きな鼻がいつも気になります。思えばカギ鼻といわれる大きな鼻はユダヤ系の特徴として広く知られています。天皇家は古来から近親結婚により血筋が色濃く継承されています。ま、関係するかどうかはわかりませんが興味深い点です。
補足
ユダヤ人ですか。 その話聞いたことがあります。 ロックフェラーやロスチャイルド など世界の大企業グループをもつ ユダヤ人と経済大国の日本人は なんとなく近いものを感じますね。 こういうこといっちゃあれですが 二重の奥さんばっか選んでる割には お子さんはみんな一重ですよね 普通は両親のどちらかが二重なら 一重の確立は遺伝学的にも3対1?くらいですよね。
- seyber
- ベストアンサー率25% (33/128)
こんにちは。^^ 古事記の中でも因幡のしろうさぎで天皇は、荷物持ち をさせられていたと記載されています。 この中でうさぎを格が上の人は海水で洗わせ、いじめを加え、最後に来た天皇が海水で洗って薬草を与え助け、 出雲の姫が、誰も選ばず、荷物持ちの天皇を婿にと言い出し、格の上の人が天皇を暗殺を計画する記載があります。 その後、 天皇は高千穂に都を置いていたが(宮崎県)、西すぎて統治が上手く行かないので東に都を移す事にした。 大分あたりで1年、姫路辺りで8年滞在した。 大阪に上陸すると、弓で反撃に遭い、一旦退却する。 反対側の熊野地方から上陸を開始し、地元の豪族の味方もあり、大和を制圧する。 と記載されています。 つまり、扱いや差別があまりにひどいので、我慢出来ず、ついに武力で国内では地域差別の無い国家に平定したらしいのです。 古事記では、出雲と関わりがあったように言いたいのか、何度も出雲の言葉が出てきます。 銅鐸のほとんどが出雲で集中的に出土し、宗教、技術、文化の中心的は出雲でした。 参考URLでは、技術、文化、思想は全く違ったようです。 天皇の説ですが、全く技術を持たない 海賊や、流刑囚は考えられないです。 少なくとも、最新技術を持った集団です。 独立した1個の町を持つ程の海賊(地方豪族、強力な水軍)である可能性は高いですね。^^
補足
邪馬台国=卑弥呼 っていうのは悲しいですね 同じ時代中国では有名な武将たくさんいるのに
- yapoo
- ベストアンサー率14% (265/1865)
図書館に行くとそのテのことを書いてる本がいくつも出ています なので別に古代史の詮索はタブーじゃないですよ 逆説の日本史 とかいうのにもあったし 天武天皇(大海人皇子だったかな?)は渡来人だった とかって本もあった気が・・・ 私もこの前読んだのですが 古代の天皇は みまな にゆかりがあったとか みまなに日本府があったのを滅ぼされて 復興させようとしていたのは それはやはり天皇家のルーツだからでは と書いてる本もあります 聖徳太子もみまなを取り戻そうとして弟を動かしたようです でも弟が病死して断念して外交で何とかしようとしていたようですし だけど みまな はただの領地だったって書いてる本もありますよ 作家さんや研究者もそれぞれの意見で書いてるので 色々と出ている本を読み比べてみてはどうでしょう
補足
百済から聖徳大使の時代に仏教が伝わって ってことは種子島に鉄砲が来たように 偶然というよりやはり親密だったんですかね? 昔よくムーを読んでたんですがあんまり天皇の ことは触れてなかった気がしましたね。
- liar_adan
- ベストアンサー率48% (730/1515)
天皇およびそれに近い一族は、渡来人(渡来系)であるということは確かです。 ただ、日本人一般も、割合として半分以上は渡来系です。 日本人のルーツを大きく二つに分けると、 3万年ほど前あたりから住んでいた縄文系と、 紀元前後(時期については論争有り)に大陸(朝鮮や、揚子江流域) から渡来してきた弥生系に分けられます。 混血が進んでいますが、遺伝子の割合を調べると、半分以上が弥生系です。 紀元前後に大陸からの大きな人の流れがあったことはたしかです。 天皇の一族も、時期は不明ながら、その流れの一部でした。 こういうことは、学問の世界ではタブーでも何でもありません。 本を読めば書いてあります。 大陸から来たということはまちがいないのですが、 海賊とか、流刑者というのは、まず考えられません。 天皇を嫌いな人が、「大陸から来た」ということから 連想しただけの悪口でしょう。 歴史的にも、まったく根拠のある話ではありません。 天皇家を中心とした記紀神話を見ると、 稲作に対しての固執が極めて強く、 海に関することはつけたし程度にしか出てきません。 天皇家の祖先が海洋民族だったとは考えられません。 また、「流刑」というのはオーストラリアあたりから連想したのでしょうが、 航海技術が未熟な時代に、わざわざ大陸から日本まで 流刑者をつれてくるだけでも大変で、非現実的です。
補足
アイヌ人はいかにも縄文系って感じがしますよね こういうこというと差別になっちゃいますかね
- rightegg
- ベストアンサー率41% (1357/3236)
こんばんは。 天皇家は公式には神世の時代まで遡れますし、 血筋も途絶えることがない事になっています。 当然かなり疑わしいのですが、 現代でも天皇は神聖視されますのである種のタブーになります。 まず天皇家はおそらく原住民ではなく、渡来人であろうと言われています。 (つまり朝鮮半島からの移民。これが海賊説や流刑人説の元です) また、長い歴史の中で何回か血筋が怪しくなった事もあります。(出生がいまいちはっきりしない人物が即位したりもしている) 結局は仰るとおり、右翼団体をはじめ天皇を神聖視する人々に遠慮して言い出さないのでしょう。 そんなリスクを背負うより別の角度から歴史を研究した方が良いに決まってますから。 もしやるとすれば海外に拠点を置く学者かも知れませんが、どのみちそういう目的で資料を閲覧することは許可しないでしょうから難しいですね。
補足
壇ノ浦の戦いで三種の神器と一緒に天皇が 身投げしましたよね それと南北朝時代あたりに天皇が2人いたり しませんでしたっけ?
- apple-man
- ベストアンサー率31% (923/2913)
韓国あたりから九州に上陸して、 日本を支配していった一族であった ことは間違いないみたいですね。 ただ海賊はないでしょう。 海賊が成立するには、船を 使った海外貿易などが盛んで あることが必要でしょうから。 盗むものが豊富にないとね・・ >古代の詮索はタブー視されて いるんですか? そんな事ないと思いますが、 日本は国内の統一のため、明治時代 に無理やり単一民族であるという 思想を広めようとした経緯があり、 未だにその影響が残っているんだと 思います。 最近ではお国自慢とか方言は 大事にしなければならない事と いうようになってきていますが、 昔は学校で方言で話すと 「ちゃんと日本語で話しなさい」 なんて言われたとかいう話もあって 実在している地方色やお国なまりは 日本が多民族国家だという意識に つながりやすいので否定される 傾向にあったんです。 明治時代に作られた、小学校用の 児童唱歌には、作曲者の記載が許されて いませんでした。誰が作ったか分かると その作曲者の生まれ故郷と曲が結びつき、 特定の地方を強調する結果となり、これが 地方意識から多民族国家への意識に繋がると 考えられていたからです。 ですから天皇家が外国から来たなど という話が出れば、当然それまでいた 日本人がいて、さらにその他にも 北のほうから来た日本人がいて・・・ というふうに多民族であるという 話に結びつき、日本人の集団的な 意識が薄れるのではと恐れる人が いるので、積極的には話題に しない傾向にあるだけだと思います。
補足
あくまで個人的な妄想なんですが 関西を中心とした西の方が渡来人で 東北など東のほうが原住民じゃないでしょうか? (昔の話です。すいません) 東のほうの野蛮人をこらしめるって言って 軍隊送ったりしましたよね。 アテルイなんかが本来の純粋な日本人だったんじゃ ないでしょうか?
補足
そうなんですか。興味のある話ですね。 三国志はゲームでよくやりましたが 呉といえば孫権ですね。 穀物の生育がよくてものすごく有利な土地 なんですがなんで負けちゃったんでしょうね。 中国の文献頼らないと歴史がわからないっていうのは 情けないもんですね。