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「日本語のルーツは古代朝鮮語ではない」という説の論拠とは?

こんばんは。 いつもお世話になっております。 イ・ヨンヒさんなどが、日本語のルーツは古代韓国語にあると主張しておられますが それに対して安本美典氏などが日本語のルーツは古代韓国語ではないと主張しておられるようです。 で、質問です。 (1)「日本語のルーツは古代韓国語ではない」という説の論拠とはどのようなものでしょうか。 (2)(1)の説はどなたの説でしょうか。 もちろん、ご自身の説でも構いません。 ※私が知りたいのは、「日本語のルーツは古代朝鮮語ではない」とする論拠のみで、どちらが正しいのかを問うているわけではありません。 ※研究者の批判・悪口などはお控えください。

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回答No.14

 No.13です。  お許しが出ましたので 李寧煕説の批判にかかります。  その当時 かのじょに宛てて書いた文章を載せます。  《あくたい・もくたい》――「記紀・万葉の解読通信」No.11所収――の議論について少し異なった解読の余地があるのではないかと考え 筆を執りました。  ちょうど今 トゥングース諸語を勉強中で アクタイに関しては これらの諸語に   ○ アクタ: 去勢された〔トナカイ・馬・牛〕  ☆ という単語があることを知ったのです。  ○ akta- :トナカイを去勢する( кастрировать оленя)=(α)とする。  1. エヱ゛ンキ語:(α)   ○ aktakaa:去勢されたトナカイ=(β) / トナカイを去勢する術を    知っている人  2. ソロン語:去勢馬・去勢牛  3. エヱ゛ン語:aak-:(α)/ (β)(騎乗用)  4. オロコ語:xakta(ハクタ):(α)  5. ナ-ナイ語: akta mori(n)-:去勢馬    ○ xakta-:(α)(トナカイに限らず)      xaktato:去勢された      xaktoaxa:馬  6.マンチュー(満州)語:去勢馬    ○ aktala-:(α)(トナカイに限らず) / 罪びとを去勢する /    馬に乗る / 〔荷を背に〕負い分ける / 容器に弓形の把手耳をつける  * 〔以下は トゥングース・マンチュー語派のほかのいわゆるアルタイ語族〕  7. モンゴル語:agtala- :(α)(トナカイに限らず)    ○ agt :去勢馬  8.ヤクート語: at:去勢された    ○ attaa:(α)(トナカイに限らず)     attaki / attiki:去勢された   (以上は 『トゥングース・マンチュー語派比較辞典』ナウカ1975より引用)  これらを見ると 李寧煕女史の解読と 語義がそっくりです。つまり 現代韓国語の  ○ アクテ( aktae )→    アクテ‐マル:去勢馬    アクテ‐ソ:去勢牛    アクテ‐ヤング:去勢羊  ☆ と意味が同じです。  また アクタ( akta )だけではなく aktakii(エヱ゛ンキ語)や attaki(ヤクート語)の語形もあるので これらから -k- が脱落して アクタイになる可能性があります。  次に 馬を意味する語の mori(アルタイ語族)が 韓国語のマル( mal )と対応すると思われるごとく akta- も あるいはおっしゃるように アグ‐タイ=子供‐もぎ取り という語源に分解することができるのかも知れません。  これは akta- が そのトゥングース諸語で 語源として明らかでないので いまひとつはっきりしません。ただしまた ぎゃくに xakta-(あるいは hakta- )のごとく 語頭に x- ( h- )が現われる形態も見られ それは アガ・アグと対応するかどうかは 分からなくなるかもわかりません。(むろん h- は フランス語のごとく 落ちやすいようですが)。  日本では 中国から宮刑の制度をおおまかに言って採り入れず 宦官をつくることがなかったと見られます。また一般に動物の去勢の習慣もあまり行なわれていないと言われます。ので このアクタイが 去勢に関係した語としてなら 日本語に固有のものではないと おおよそはっきりしています。  いまはまだ 議論の余地があると考えられること このことのみをお伝えしようという趣旨です。すなわち アクタイが 去勢者の意味の語として韓国から入って来たとしても その語源また出自は まだ韓国固有の語だというまでには 明確ではないと言うべきでしょう。  わたしは古代韓国語とそして古代日本語とが 互いに似通っていて さらには一つの基層としては同じ一つの言語であった部分を持つのではないかと考えている者ですが もう少し議論の余地があるのではないかと思う点を もう一・二例 挙げたいと思います。  同じトゥングース諸語に  ○ aksa-:侮辱を感じて立腹する / 侮辱する(つまり いわゆる悪態をつく)  ☆ という語があるようなのです。  ○ aksa-:侮辱を感じる( обидеться)=(γ)  1. エヱ゛ンキ語:(γ)    ○ aksan:侮辱・無礼・腹立たしさ・いまいましさ / 争い・けんか  2. エヱ゛ン語:aas-:(γ)    ○ aasan:=エヱ゛ンキ aksan  3.以下 語例を省略します。    ☆ つまり アクサが アクタやアクタイ(悪態)に変わることはあり得ます。例として ふさぐ(塞ぐ)=ふたぐ。  こう見て来ますと いろんな可能性が考えられます。偶然の類似から 借用語である場合や 果ては 同源の語である場合などです。  ただこれらはまだ 基礎語彙であるとは言い難いようにも思われます。  長くなりますが もう一点 別のことがらで考えてみます。たしかに日本の相撲は モンゴル相撲(ボフ)や韓国のシルムから来たのかも知れません。つまり後者は 言葉も同じです。(ルが取れて シムからシモ→スモとなる)。  と同時に 聞くところによりますと ポリネシア・ミクロネシア(いわゆるアウストロネシア語族)にも 同じように すもうの習慣があったと言います。あるいは 日本で独自に発明されたかも知れません。(格闘技ですから 似たり寄ったりでしょう)。  すなわち以上のことから言えることは 言語と生活習慣のすべてを韓国から持って来たと考えることには少々無理があるのではないでしょうか? すなわち可能性があると同時に つねに別の可能性もあり得て まだまだ説明不足の感をいなめないのではないでしょうか?  たとえば  ▲ いかなるプロセスを経て韓国語が日本語になり変わってきたのか。(p.5)  ▲ 日本語のルーツである韓国語。(p.6)  ▲ 日本語が どのような方程式を通じて韓国語から変貌してきていることばなのか。(p.15)  ☆ といった見方は――もちろんそれを具体的に研究し その裏付けを発表されて来ているわけですが―― ほかの見方もあり得るだろうということをもはや閉ざすかのような発言ないし口調に響きます。  あらためて 日本語のあくたい(悪態)が韓国語のアグ‐タイから来ているとしても 今ではその語源が 日本語では分からなくなっているのが現実です。アグ・アゴは 阿児として解読できますが タイ(タ)=取る・摘むなどという語は 日本語からは解明できないものです。  ということは なるほど韓国語起源だと仮りにしましても その起源のことばが 日本語として日本の地で一定の方程式とプロセスを経て用いられ保存されてきたというその反面で じつはそれは このアクタイという一つの語の問題なのであるに過ぎないということも考慮しておかねばならないはずです。  もしおっしゃるように  ○ アクタイ(悪態)← 子供(アグ)‐もぎ取り(タイ)  ☆ という起源であるとしますと それは日本人から見て〔と代表のごとく発言しますが〕 きわめて違和感のある発想であり語の成り立ちだと思います。つまりもしこの起源にもとづくなら おそらく日本語にとってこの語は外国語であると考えます。つまりむしろ一つの借用語だとなります。  つまりは 借用関係の証明がせいぜいであって 言語の同系を言うには百歩も千歩も勇み足であろうと考えますが いかがでしょう。   

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 李寧煕さんに手紙を出したのですか! 私も出してみようかな。 でも、きっと文面から察するに返事は来なかったのでしょうね。 (1)あくたいもくたい=あくたもくた=あくたもくぞ については、手元にある彼女の著書「日本語の真相」においても触れられています。 【あくたいもくたい・あくたもくた】 同語の古代韓国語(朝鮮語ではなく韓国語となっています) 子供もぎとり=睾なし男の女なし男 という意味 アグ(子供)・タイ(もぎとり) 【あくたもくぞ】 あくたいもくたい・あくたもくたと同語ではない。 小くず大くず=子の糞・女の糞 という意味 ア(端)・グダ(汚い) 回答者様によれば、 トゥングース諸語の中にアクタ:去勢された〔トナカイ・馬・牛〕という意味がある。 また同じトゥングース諸語にaksa-:侮辱を感じて立腹する / 侮辱する(つまり いわゆる悪態をつく) という語がある。 このアクサがアクタやアクタイとなった可能性もある。 日本には去勢の週間がないので、単なる借用語であるとも考えられる。 (2)相撲 モンゴル相撲・・・ボフ 韓国・・・・・シルム(ルが取れて シムからシモ→スモとなる) ポリネシア・ミクロネシア(いわゆるアウストロネシア語族)にもすもうの習慣があった。 日本で独自に発明された可能性もある。 うーん、これは興味深いですね。 なるほど、偶然の類似・借用語・同源の語など様々な可能性が考えられるということですね。 やはり、日本語・韓国語のみならず、周辺の言語にまで視野を広げる必要がありそうですね。 このたび質問をたてたことは私にとって大変有意義なものであり 回答を下さった皆様には深くお礼を申し上げます。 言葉の問題は多方面の知識が必要で、また深い考察が必要なのだと実感しました。 大変ムツカシイ問題ですが、ますます興味が涌いてきました。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (25)

  • nogul2n
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回答No.26

 25番でご紹介したホームページが変な所へ飛んで行きます。アドレスは合ってるはずなのですが、すみません。  肝心のそのホームページは、題名が「高句麗語合戦3」という題名のホームページです。よかったら検索なさってみてください。  

  • nogul2n
  • ベストアンサー率57% (483/843)
回答No.25

 わかる人にはわかる秘密のメッセージ、そういうのがあったかもしれませんね。そうやってでも残したい真実、残そうとした人の心情、・・・・・いろいろ考えると、心が千数百年前を旅してるような気になります。  御紹介の一郡の内、 馬(マル)・粟(チョ)・眼(ヌン)・腹(ペ)・稲(ピョ)・女陰(ポティ)・小豆(パト) は現代の韓国朝鮮語です。  古代でも同じだったということでしょうか? 馬(マル)は、高句麗語ではマルではなかった(マ は付きましたが)ように思いますので、そうすると新羅語が今と同じということでしょうか?  女陰は、日本古語ではホトだったような・・・・。アイヌ語でも、ホトか、ポトです。似てますね。  手持ちの朝鮮語辞典に語源のコーナーがあって、そこに白鳥庫吉氏の名前がよく出て来るので白鳥庫吉で検索していましたら、高句麗語を研究している方たちがインターネットで研究のお話をしているページがありました。  日本古語、エベンキ語、ギリヤーク語、モンゴル語、トルコ語、ナナイ語、・・・・中期朝鮮語などとも比較していらっしゃっておもしろいです。  熊(kuma)は、現代韓国語の kom と同源だと言われていますが、エベンキ語では kuma, kumaka と言うそうです。近いですね。  でもやっぱり古代朝鮮語は単語が限られた数のみ分かっていて、文章(文の構造、文法)までは全然わからないようです。  どこかであっと驚く古い文字資料の発見があったらいいのですけどね。  こちらこそ、お陰様で勉強させていただきました。ありがとうございました☆ http://www.soutokuhu.com/cgi-bin/hogehoge/test/read.cgi/hangul/1174302392/

noname#163492
質問者

お礼

度重なる回答をありがとうございます。 >馬(マル)・粟(チョ)・眼(ヌン)・腹(ペ)・稲(ピョ)・女陰(ポティ)・小豆(パト) は現代の韓国朝鮮語です。 そうなんですか。 >古代でも同じだったということでしょうか?  ルール違反的な考え方ですが、日本の学者の多くが認めている説のようなので、1200年くらいに書かれた韓語において、そうなっているということだと解釈しました。 (本当は多くの学者が言っているので正しいとするのは間違っていますが、韓語が読めないので・・汗) >古代朝鮮語は単語が限られた数のみ分かっていて、文章(文の構造、文法)までは全然わからないようです。  どこかであっと驚く古い文字資料の発見があったらいいのですけどね。 今後の研究に期待したいですね。 余談となりますが、最近のJ-popを聞いていますと日本語と英語の語呂合わせになってる歌詞があって、日本の語呂合わせ文化もここまできたか、と興味深く思っています。 愛し合う→I shout 初恋の→What’s Going On 大変勉強になりまして感謝しています。今後ともよろしくお願いします。

回答No.24

 rupapo さん あらためまして こんにちは。  No.13&14&16&19&20&22&23の bragelonne です。  いくつか補足修正します。  § スサノヲと新羅のかかわり  ★ (No.23お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  先日、京都の三室戸寺へ行きましたら、「新羅大明神」なる社があって、・・・(中略)・・・  しかも御祭神はスサノオの息子の五十猛神とあります。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ なるほど。たしかに どちらかと言えば 河内政権の系統が アマテラス側であって 三輪のほうがスサノヲだとわたしも考えます。  二点考えました。  ひとつは スサノヲは出雲ですから そこの風土記には 海の向こうの半島から国を引っ張って来たと言ったりしていますから 新羅と関係があってもおかしくない。  もうひとつは アマテラス側であっても そしてそこに新羅の系譜が組み込まれているとして 与党と野党とで二つの陣営に半永久的に分裂してしまったかも分からない。支配階層に入れなかった新羅系の人びとも スサノヲ側にまわった。という推測です。  それにしても アマテラスとスサノヲは 実の姉と弟なのですよ。もっと仲良くできませんかねぇ。  § 言語の混合? について  ★ これが正しければ、彼ら(新羅人ら)の用いていた言葉と、もともと日本にあった言葉がミックスされた、ということは十分考えられるでしょうね。  ☆ ただの揚げ足取りですが  ★☆ 言葉がミックスされた / あるいは 二つ以上の言語が混合してまったく新しいひとつの言語として生まれる。  ☆ これは基本的にないと聞いています。いづれかひとつが 基礎として基軸として主流となるのだと。  漢語からの借用がたとえ八割九割を占めても 韓国語も日本語も やはり中国語にはなりませんし 新しい別の言語になってもいません。  § そもそも 言語の系統とか言って いくつかの言語家族に分類することが ふるくさいのではないか  ▲ (No.15 nogul2n さん) ~~~~~~~~~~~~~~~~   また、この頃は「語族」という分類のしかたよりも「類型」という分類のしかたをよくするようです。学問の方法も変わって来ているのですね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしは この見解に同意しているにもかかわらず 李寧煕説に対して目を向いたように同じ地平で議論していました。この点が 今回の再投稿での眼目です。  次のとおりすでに投稿しておりますので 考えを翻したものではないことを分かっていただけると思います。  【Q:「手本」の対義語】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5168258.html  その回答No.14&16   ○ 言語の普遍性とは如何にありや?     §2 言語の系統はどれだけの史実か?    の箇所です。それにもかかわらず 目くじらを立ててあらがっていたようです。  つまり そもそも――いまでも方言があるように―― たとえ同じ親族・種族・民族のあいだでも 言葉はところどころ違っていた。と考えられます。  民族(ないし他民族との混血――これはありうる――をつうじて新たな民族となった集団)としてまとまった段階で捉えると 一般に アルタイ語族とかドラヰ゛タ語族とかアウストロネシア語族あるいはインド・ヨーロッパ語族などなどと大きく分類しているようです。ただし そう分類しうるとしても なおまだその中においても 違いが残されているし むしろそのような違いが 互いのまじわりをつうじて 互いの発展・向上に寄与している。と考えられる一面があります。――けっきょくまだ 戦争つまり人殺しをもしていますけれど。  ですから 結論としては 《ルーツ》といった系統論については もはや流行らないと言っていいのかと思います。言いかえますと 語彙なら語彙の問題として あるいは音韻の組織やその変遷の問題として そして文法の問題――そこでは 構文=文の構造が基礎になると思います――として おのれの母語の内部においても分析を深め と同時に 他の言語との比較対照において 互いの共通点と相違点とをしっかりとつかんでおくこと。このように進めていくだけでよいのだと考えます。  歴史をさかのぼれば ひとつのたとえば原インド・ヨーロッパ語に行き着くといった視点を想定することが 古くさいということではないでしょうか。どの言語とでも共通点と相違点とを 言語は持っており その中でたしかにあたかも親族関係が濃い薄いという程度の問題がある。  ということであり 親族関係が濃いからと言って それが生活態度や思想にそのまま影響するというのは 狭い考えである。よその人びととの結婚や交流をつうじて 互いに薄い親族関係の言語を話す人びととのあいだでも 生活の共通性や共生の度合いが濃くて強いということもじゅうぶん考えられますから。  粗い文章ですので ご批判をよろしくお願いいたします。

noname#163492
質問者

お礼

度重なる回答を心より感謝いたします。 あー、そうでした。出雲国風土記に半島から国を引っ張ってくるという話がありました。 記紀神話や風土記は単なる物語だと主張する人々もいるようですが やはり私には史実を比喩したものではないかと思えます。 >与党と野党とで二つの陣営に半永久的に分裂してしまったかも分からない。 そういう可能性もありますね。 お話を伺ってあらためて記紀や風土記を読んでみたくなりました。 あっ、大野晋さんの本は図書館で借りてきました。 教えていただいたタイトルのものは新刊書でまだ入っていないようだったので、ちがうタイトルのものですが。 読むのが楽しみです。 >それにしても アマテラスとスサノヲは 実の姉と弟なのですよ。もっと仲良くできませんかねぇ。 確かに。 >言葉がミックスされた / あるいは 二つ以上の言語が混合してまったく新しいひとつの言語として生まれる。 これはそういうつもりで書いたのではなかったのですが、そうとられてもしかたがない書き方でした。 すいません。 >《ルーツ》といった系統論については もはや流行らないと言っていいのかと思います。 言いかえますと 語彙なら語彙の問題として あるいは音韻の組織やその変遷の問題として そして文法の問題――そこでは 構文=文の構造が基礎になると思います――として おのれの母語の内部においても分析を深め と同時に 他の言語との比較対照において 互いの共通点と相違点とをしっかりとつかんでおくこと。このように進めていくだけでよいのだと考えます。   なるほどおっしゃるとおりと思います。 たいへんたくさんのことを教えて下さいましてありがとうございます。 また機会があればよろしくお願いします。 頭の悪い生徒ですが。

回答No.23

 No.13&14&16&19&20&22です。  おっしゃるように  ★★ (No.22補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  「保食神の死体の頭から馬が、額から栗が、眉から蚕が、眼から稗が、腹から稲が、陰部から麦と大豆が生じた。」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これらの語が――単語のほうです 単語が―― 朝鮮語によって 語呂合わせのようにして成り立っていると解読できるというのは ほんとうのようです。  記紀にはっきりと半島から ひとが それも王子が やって来たという記事があります。それを紹介します。  ▲ (ヰキぺ:アメノヒボコ) ~~~~~~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3  (天之日矛、天日槍)・・・新羅の王子。  アメノヒボコの曾孫が、菓子の神とされるタヂマモリ(多遅摩毛理、田道間守)であり、  次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命である。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后=じんぐうこうごう)は 仲哀天皇の皇后です。四世紀末です。  ▲ ヰキぺ:神功皇后   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E  ☆ その皇子である応神ホムダワケは 河内政権を樹立したようです。それは ちょうど 四百年前後のことで 例の巨大古墳が造られ始めたときのことです。  この河内の政権は 新興勢力として 元からの奈良・三輪山麓の三輪政権にその統治権をかけて挑みます。  三輪政権は ちょうど三百年ごろ――例の卑弥呼や台与の社会のあとを承けて――いわば新しい市長のくらいについたところから始まっています。  その後 上の河内(ないし近江ないし新羅系)の勢力からの攻勢を受けて 時には互いに政略結婚をして和解を図ったようですが 応神ホムダワケ側の全国制覇大作戦は 勢いを弱めなかったようです。  わたしの推測ですが 三輪側ののちの仁徳オホサザキを河内に招いて スメラミコトのくらいをゆづった。そうしておいて あとの代は 自分たちの勢力拡張におもむいた。  ちょうどさらに百年経ったころ 雄略オホハツセワカタケが ついに奥の手を使って そのかれの死後のことですが 継体ヲホドを擁立し 統一することに成った。  はっきり言って 雄略ワカタケは 記紀に《大悪天皇》と書かれているとおり とんでもない男です。三輪がわのイチノベオシハのミコを暗殺したというのが いちばんの問題でしょう。(これは 記事にそう書かれています)。  三輪の人びとは 主戦論も非戦論も同じく人間の弱さから来ると考えて 後者を採りました。いわゆる《国ゆづり》をしたわけです。  こういう暗闇の歴史があるようです。  複雑ですね。公平を期しても こういう話になると思いました。  韓語は あたかもグローバリズムのごとく攻撃的であるように映るという印象を 李寧煕の文章(言論活動)にも感じますというのが 正直なところです。(はっきり言うのを抑えていましたが)。(日本人も エコノミック・アニマルとしては 攻撃的な性格を隠していないようです)。

noname#163492
質問者

お礼

>これらの語が――単語のほうです 単語が―― 朝鮮語によって 語呂合わせのようにして成り立っている こういう遊びをする人なら和歌の中に語呂合わせ(掛詞)を織りこんでも不思議はないだろう、と思ったのです。 ただ、ここでは単に単語で、文章にはなっていないですネ。 また、万葉集のどこに語呂合わせが使われているんだ、と問われれば韓語がわからないので、答えられません。 (わからないのでこの質問をたてたわけです。汗・・) 記紀神話には興味を持っておりまして、しかし、アメノヒボコについてはまだ調べておりませんでした。 ですので大変おもしろく読ませていただきました。 三輪王朝と河内王朝ですか。 たしかに、万世一系といいますが、私もそういった二つの系統があるような気がいたします。 先日、京都の三室戸寺へ行きましたら、「新羅大明神」なる社があって、参拝者の皆さん、「なんで新羅の神様がここにあるの?」と不思議そうに御参りしておられましたが アメノヒボコと関係があるかも? しかも御祭神はスサノオの息子の五十猛神とあります。 http://kamnavi.jp/yamasiro/mimuro.htm 渡来人の秦氏は自分たちの先祖は秦の始皇帝だと称していたようですが 秦氏の遺跡を発掘調査すると新羅系の瓦が出土し、どうやら新羅からきたんじゃないかともいわれていますね。 (伽耶からきたとか、中央アジアの弓月王国からきたという説もあるようですが。) なにやら秦氏と関係がありそうな気もします。 また天皇家は渡来人だという説もありますしね。 これが正しければ、彼らの用いていた言葉と、もともと日本にあった言葉がミックスされた、ということは十分考えられるでしょうね。 面白い話をお聞かせくださってありがとうございます。  

回答No.22

 No.13&14&16&19&20です。  万葉歌の解釈例を取り上げます。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ 原文: 大納言大伴卿歌一首  未詳    奥山之 菅葉凌 零雪乃 消者将惜 雨莫零行年(巻三・299番)  ○ 訓読: 大納言大伴卿(おほとものまへつきみ)の歌 一首 未だ詳らかならず    奥山の菅(すが)の葉しのぎ降る雪の消(け)なば惜しけむ 雨な降りそね  〔現代語訳(中西進):奥山の菅の葉をおおって降る雪の見事なことよ。消えてしまったら惜しいだろうから 雨よ降るな。〕  ○ 李寧煕解読:ギムメジ(野良仕事なす) ワンニムダル(王君たち) ショージャショーセ(休もう 休もう(あるいは 休まれよ)) ウマクヨンソルネ(小屋も不慣れよ(下手なことよ))  (著書 p.152以下)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (1)   ◆ 【李寧煕解読】:奥山之=ギムメジ  ☆ これは全体で《草取りをしよう》という勧誘する一文になると思いますが   ◆ 【李寧煕解読】:ギムメジ=野良仕事なす〔王君たち〕  ☆ のように 次の句に連体修飾するかたちで読めるのでしょうか?  (2) ギムメは 《草除り》だけではなく そのまま《田草除り》が意味され さらには一般的な《野良仕事》をも表わし得るでしょうか?  (3)   ◆ 菅葉凌=ワンニムダル=王君たち  ☆ これは 《葉=二プ》だと思われる。全体として 《ワンニプタル》のようにしか発音されないのではないか?  そのときには 《王君たち》の《君》の意味は出てこないと考えられます。  奥山の大木(これが 宮廷の重要人物を示唆する)の《葉》に喩えた(p.164)という前提を初めに置いたから 《葉=イップ・ニップ→ニム=君》という読み渡りをしなければならなかったのではないか? 苦しいと思われる。  (4)  ◆ 消者将惜=ショージャショーセ=休もう 休もう(あるいは 休まれよ)  ☆ 消は 当時においては シャウの如く 将は チャング・シャングの如く それぞれ日本語における借用漢語としても読まれたのではないか? 惜を シェキのごとく読んでもよいかも知れないとしても。  (5)  ◆ 雨莫零行年=ウマクヨンソルネ=小屋も不慣れよ(下手なことよ)  ☆ 《小屋》と《不慣れ》という二つの言葉が ふつうは結びつかないように感じます。  《しかし この小屋も汚いな。下手くそな作りだな》(p.156)という意味合いがどうして出て来るのか 分かりません。  《休もう 休もう(あるいは 休まれよ)》のあと 《小屋――不慣れよ》と言っているというとき もしそうだとすると 話し手が明らかに代わっています。そういうやり取りを 一首のうたの中に読みこんでいるということでしょうか?  ということは 歌の詠み手(大伴卿)から 《休もう》と語りかけられた《王君たち》は そのあとこれに応えて 《小屋の作りが下手くそだな》と語ったことになっている。ということでしょうか?  (6)   ◆ ウマクヨンソルネ=小屋も不慣れよ(下手なことよ)  ☆ 言語によっては この《も(も又)》という言葉は それを言葉として表わさなくても 並立させ対比させるという文脈では その意味が出ることがあるのかも知れません。知れませんが 一般に日本語では この《も》は必要です。  《小屋〔は〕 不慣れよ》と《小屋も 不慣れよ》とでは 意味合いがかなり違ってくると言うべきでしょう。日本語では この情況で《も》がないとおかしい。韓国語では 用法が違いましょうか?  (7) もしここで 《も》を入れて解釈するなら (1)と考え合わせて どういう意味になるでしょうか。草取りの手つきが下手だと言われた王君たちは 休憩の場所である小屋に対して こう言いかえしたということでしょうか?  《そうは言うが この小屋も下手な作りだな》と。  (8) そうだとすると 一首全体としては まだ意味の上からして 坐りがわるい。締めくくりがはっきりしない。それに小屋は もともと《作りがわるい》ものであって 王君たちがひとこと言葉を返すとすると せいぜい《この小屋も汚いな》というところだと思われます。  そのように注釈がつけられているようですが けれども ソルネという言葉にこの《汚いな》という意味があるのでしょうか?  (9)   ◆ 詩の展開において 一貫する主題を示すリフレインで作者は 〈なっていない〉〈なっていない〉とくりかえしているわけ(p.156)  ☆ だとしますと このウマクヨンソルネも 作者(大伴卿)の語る言葉になります。そしてこの場合には 《小屋も汚いな。下手くそな作りだな》と 作者が語ったのだとしますと これはただ作者が 農民に対してあてつけを語ったことにしかなりません。  作者が自分を含めてかどうかを別としても 王君たちの休む場所としては 《なっていない》と語ったことになります。  ◆ 柔軟で遊びには熱心な《王君たち》の饒舌が 歌の行間から聞こえてくるような気がします  ☆ が  ◆ 同時に作者の苦々しい思いもよくにじみ出ています  ☆ ということには ならないのではないか? 農民にあてこすりを言ったということだけでは 作者の思いは出てこないのではないか?  はっきりしませんが 次に継ぎます。  (10) もし  ○ 草取りをしよう 王君たち。ああやっぱりその手つきも腰つきもなっていないな。もうよい。休もう 休まれよ。それにしてもこの〔休み〕小屋も なっていないな。  ☆ という全体の意味あいが読めるとしますと 一方ではなるほど その《勧農日》などと思われる社会的な背景や王君たちのその場の情景や あるいはこれを見て批評する作者の思いなどが 読みとれます。それはそれで分かります。けれども他方では 歌として――ひとつの定型歌の全体として――あまりにも言葉とその意味が分散している。あるいは拡散している。  言いかえると そのような場で実際に言葉のやり取りや批評が為されたとしても それと同時に これをわざわざ歌にしてうたうという意図が よく飲み込めません。農民へのあてこすりといった一面を前項で触れましたが その点も 中途半端になっています。  つまり 《野良仕事なす王君たち いとも不慣れよ。休もう 休もう》の部分と そして《小屋も不慣れよ》の部分とが つながりません。  (11) 解釈をあまりにも読む人びとの想像力にゆだねてしまっている。定型歌としては もう少し工夫やおもんぱかりがあるはずではないでしょうか?  ◆ 《〔王君たちは〕まるで奥山に菅を植えたようなものだ》と吐き捨てながら そうであるため なおかつそう軽やかに詠ったのでしょうか。とすると まことにずっしり重い歌なのですが(p.157)  ☆ という解説を読んでも しっくり来るものがありません。もしその解説は 仮りにその場の歴史的な背景説明として合っていたとした場合 それとして納得したとしてもです 歴史的な事態のひとこまとして納得したとしても この定型詩また文学作品として いったいどう読めばよいでしょう? という疑いと問いとを発しなければならなくなるように思います。  どうでしょう?

noname#163492
質問者

お礼

またまたお手をおかけしてすいません。 具体例だとわかりやすいですね。 奥山の菅の葉しのぎ降る雪の消なば惜しけむ 雨な降りそね が 野良仕事なす王君たち 休もう 休もう 小屋も不慣れよ(下手なことよ? 素人の私には全く意味が理解できません。 回答者様はこれに対して次のような疑問点をあげられるのですね。 (1)ギムメジは=野良仕事なす〔王君たち〕のように 次の句に連体修飾するかたちで読めるか? (2)ギムメは 《草除り》だけではなく《田草除り》《野良仕事》をも表わし得るか? (3)菅葉凌=ワンニムダル=王君たち・・・《ワンニプタル》のようにしか発音されないのではないか? (4)奥山の大木(宮廷の重要人物)の《葉》に喩《葉=イップ・ニップ→ニム=君》とむりやり読んだ? (5)消はシャウ、将は チャング・シャングのように日本語における借用漢語としても読まれたのではないか?  (6)《小屋》と《不慣れ》という二つの言葉が結びつかないように感じる。 (結びつくのであれば、どのように結びつくのか、もう少し説明がほしいですね。) おっしゃることは最もだと思います。ありがとうございました。

  • nogul2n
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回答No.21

 万葉集が古代朝鮮語で読めるかどうか。読めるのかもしれません。  古事記のヤマタノオロチの話が、おもしろみのある英雄物語であるだけでなく地方の政治勢力の統合の事実も示唆しているように、何かちょっとした古代朝鮮語式の意味を持っている歌があるのかもしれません。  もしそうだったら、サスペンスドラマみたいでおもしろいですね。可能性としては無くは無いと思います。  古代朝鮮語がわかる人たち同士で、「ほっほう、ここは○○のことばを使ってこういう意味をお入れになったんですな。なかなか上手く○○のことばをお入れになられましたな。この歌は秀逸ですねぇ。」なんてやってたんでしょうか。  でも、古代朝鮮語といっても百済語、新羅語、高句麗語と違っていたのに、百済語がわかる人は百済語がわかる人に向けて、新羅語がわかる人は新羅語がわかる人に向けて作らないと意味がまともに取ってもらえなかったですよね。  それに何のために他の言語で読む歌を作ったのでしょう。百済から来た人は百済語派の人たちへ向けてのメッセージ、新羅から来た人は新羅語派の人たちへのメッセージ、・・・・を入れて作っていたのでしょうか?よくわかりません。  高句麗語と百済語は支配層が同じなので似た言語だったようです。が、新羅語は残されている地名・人名・役職名などからして、高句麗語・百済語とは相当ちがった言語だったようなのです。ですのでやはり現実として、百済語の言語背景を持つ人は百済語で作り、新羅語の言語背景を持つ人は新羅語で作り、・・・・でしたでしょうから、みんなが読んで意味が取れる歌ではなかったでしょう。  そういうのって意味があるんですかね。ま、歌を読みながら百済語派の人同士で鑑賞し合い、盛り上がる。新羅語派の人同士で盛り上がる。だったのかもしれませんが。  でも歴史の事実は意外なところにあったりもしますので、可能性はなくはないでしょう。  古代朝鮮語の研究が進まないことにはお話にならないことだけは確かです。古代朝鮮語という尺度でもって万葉集を読もうというのに、古代朝鮮語という物差し(ものさし)が目盛りが消えて読めなくなって永く経ち、とても物差しと言えないものなのです。  1人、2人の研究者の研究で結論が出るものではないでしょう。多くの人が研究して、多くの批判に耐え得るものが出て来なくては定説にはなれないですよね。  戦後の日本では、戦前に神話を史実として教えたりしたことへの反省から「科学的に考える」ことを大事にして来ました。特に歴史的分野においては科学的に考え、実証を重んずることを強調しています。  19番の回答者様が書いていらっしゃるように、正確を期す姿勢、疑おうという姿勢、そういう姿勢が大事なのです。  『古事記』の神代紀などで、昔の天皇が150歳とか160歳とかまで生きたと記してある事を指して、吉田松陰(幕末の)が「昔のことはあまり突き詰めて追及しないように。昔の人がそう書いているのなら、そうだったんだろうとそのまま信じるべきである。」と言ったそうですが、戦後日本ではそういうことばは通用しません。  ここ10年近くの間に、発掘された新しい発見が『日本書紀』等の記述に合致する例が目に付くようになりました。「やはり『日本書紀』は正しかった!」という声が上がる中、「いくつかの新発見が記述と一致するからといって、すぐにそれを文字資料の正しさを証明しているかのように言うのは稚拙だ。」という声が学者の中から起こるのも日本です。  学問には十分な根拠を持って考える冷静さが求められます。  それと真反対を進んでいるのが韓国です。  他の回答者様がお書きのように焚書や戦乱(朝鮮戦争も大きかったです)で残っている古い文字資料があまりにも無いため、わずかに残る『三国史記』『三国遺事』などはまるで水戸黄門の印籠のように扱われることがしばしばです。書かれていることを絶対視しているのです。書かれていることを実証する他の資料が全く無いことでも、これらに書かれているというだけで多くの事が史実扱い。  2007年には永らく神話として語りつがれて来た、『三国遺事』の檀君神話を史実として高校の国定歴史教科書に載せ始めました。神話を史実とした理由を韓国文部省は「中国が韓国の古代史を奪おうとしているのに対抗するため」と発表しました。  檀君神話は、天から降りてきた天の子と熊女が結婚して生まれた檀君が、紀元前2333年に朝鮮に初めての国を作ったというものです。「檀君朝鮮」などで検索なさるとおわかりになられます。紀元前2333年の根拠は、『三国遺事』にそう書いてあるから。本当にそのような国があったのか。中国の歴史書にも出て来ない、遺跡も発掘されてない、・・・・・。主な根拠は、元(モンゴル)の支配圧迫を受け、ナショナリズムが大いに燃え上がっていた高麗の時代に反元(アンチ元)に燃える僧侶によって書かれた『三国遺事』の記述です。  最後に気分転換、お口直しの話題を一つ。  7年か8年くらい前に韓国のドラマで、百済の王女がタイムスリップして現在の韓国に来て、百済の忠臣(階伯将軍)の生まれ変わりの男の人と恋をするというのがありました。『千年之愛(千年の愛)』という題名で、かわいいアイドルなのに声がとっても低いソン・ユリちゃんと、今や韓流スターの大物ソ・ジソプ(男)が主役でした。日本でDVDも発売されたようで、レンタルビデオ屋さんで見たことがあります。  今の歴史書を読んだ王女が、百済が新羅と唐にやられることを知り、「大変!倭に援軍を頼むためにおばさま(日本の斎明天皇)を説得しに倭へ行くぞ。船を用意しろ!」と言ったり、王女がだまされてキャバレーの踊り子になっちゃったりしておもしろかったです。

noname#163492
質問者

お礼

制限文字数オーバーしてしまって書ききれなかったので 補足とお礼のところに分割して書きました。 私のようなものに多大な時間と手間をかけてご教授くださって ありがとうございました。 大変迷惑をかけたと反省しています(スイマセン!)が とても勉強になりましたし、楽しかったです♪

noname#163492
質問者

補足

何度も回答いただきましてありがとうございます。 図々しく質問なんかしてしまったりして(大汗) >古代朝鮮語がわかる人たち同士で、「ほっほう、ここは○○のことばを使ってこういう意味をお入れになったんですな。」 実はそう思えるところが、日本書紀にあるのです。 「保食神の死体の頭から馬が、額から栗が、眉から蚕が、眼から稗が、腹から稲が、陰部から麦と大豆が生じた。」 これはイヨンヒさんの本にあったのですが、彼女の説でなく「日本古典文学大系・岩波書店)にある解釈だそうですが 頭(マラ)→馬(マル) 額(チャ)→栗(チョ) 眼(ヌン)→稗(ヌイ) 腹(ペ)→稲(ピョ) 女陰(ポーティ)→小豆(パト) これを読んだときに、万葉集の中に暗号として朝鮮語が使われている可能性があるのではないかと思いました。 私には朝鮮語がわからないので、解読することはできないのですが(汗)。 >古代朝鮮語といっても百済語、新羅語、高句麗語と違っていたのに、百済語がわかる人は百済語がわかる人に向けて、新羅語がわかる人は新羅語がわかる人に向けて作らないと意味がまともに取ってもらえなかったですよね。 逆にわからないことがいいとは考えられませんか。 和歌を暗号として用いるわけですから。 >何のために他の言語で読む歌を作ったのでしょう。 いろいろ理由は考えられますが、ひとつには歴史の真実を伝えるためとは考えられないでしょうか。 近年の研究では記紀は為政者の都合のいいように改竄されているといいます。 奈良時代や平安時代には言論の自由がなかったのでは、と思います。 万葉集や古今和歌集は国が編纂したものです。 そこにあえて歴史の真実を伝えようとすれば、わかりにくく暗号としていれておかなければ命があぶない。 そういう情況を思い浮かべます。 時としてそのような解釈はドラマチックで現実ではないといわれますが 事実は小説よりも奇なりとも申します。 実際、古今和歌集のいくつかの歌の中に政治的な内容を詠んだものがあると思っています。 >高句麗語と百済語は支配層が同じなので似た言語 >新羅語は残されている地名・人名・役職名などからして、高句麗語・百済語とは相当ちがった言語だった。 そうなんですか。勉強になります。 >古代朝鮮語の研究が進まないことにはお話にならないことだけは確かです。 それはおっしゃるとおりですね。 イヨンヒさんの手法の問題点はわかりました。 >正確を期す姿勢、疑おうという姿勢、そういう姿勢が大事なのです。 もちろん、それは大切です。 しかし時として大胆な発想というものもまた必要だと感じます。 梅原猛さんの著書を読んで、そう思いました。(ファンです。) 吉田松陰の言葉が今は通用しないことは確かです。 しかし、私などから見るとどちらかというと日本の学界というところは 保守的に見えることが往々にしてあります。 あ、これはイヨンヒさんの説とは切り離して考えてください。 彼女の説が正しいか正しくないかは、何度もいうように私にはわかりません。  例をあげるなら佐伯氏の「太秦を論ず」とかですね。 学会は時代考証があわないといってばっさり切り捨てたようですが 多少の過ちはあるにしろ、一顧だにしないというのは学問的態度としてどうでしょう。 韓国の研究は『三国史記』『三国遺事』を絶対視しているのですか。 もちろんそういう態度は学問的な態度とはいえませんね。 『千年之愛』には斎明天皇がでてきて、斎明天皇は百済王女の叔母さん? おもしろそうですね。

回答No.20

 No.13&14&16&19です。  まだ大きな課題があったようですね。うたに 暗号のごとく伝えようとする意味を託すということ これが万葉歌に 李寧煕の主張するごとく見られるのではないか。  その前にいくつか不案内のところをおぎないます。  §1 日本語の二音節語で ひょっとすると韓語(この表現を使います)の末尾子音(ないし音節)を落としたものではないかと疑われる語例について  ○ 夏 natu ∽ ヨルム yeoreum < nyeoreum (夏)  ○ 鶴 turu / tadu ∽ ツルミ durumi (丹頂鶴)  ☆ 1.《たづ ∽ つる》は 互いに母音が交替しただけで同じ語です。子音の《 -r ( l ) ∽ -t( d )- 》の交替関係は 次の事項です。  2. まづ ニョルム>ニョル→ニョツ ∽ ナツの母音の交替は 前項の例です。  3. これは漢語の借用語で起こる事例ですが 次のようです。  ○ 末 matu ∽ mal  ○ 密 mitu ∽ mil  ○ 物 butu ∽ mul  ○ 没 botu ∽ mol  §2. 日本語の母音組織については 次のわたしの投稿を参照してください。三ないし四母音から出発したようです。 nogul2n さんのおっしゃっているように 沖縄語は三母音の体系で来ました。(ちなみにアラビア語は基本として アイウの三つです)。  【Q:万葉仮名の甲乙の違い】――そのNo.2です。   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5246102.html  §3. ★ 《つまり、関西の発音は渡来人の影響を大きく受けているのではないか、 / というのですね》の問題  ☆ 例のコルテスやピサロでしたか――そういえば ここは歴史カテでしたね――中南米を征服した者たちは きわめて少数だったそうですね。それでも かれらのスペイン語があまねく行きわたりました。そういう問題と言いますか事情もあるでしょうね。軍事的にか文化的にか優越する立ち場の者の言語が 多かれ少なかれ影響するという。・・・  ★ また飛鳥や奈良に都があったときにも、大阪は都の玄関口であったと考えられています。  ☆ 昔の血沼(ちぬ)の海=大阪湾は 今よりうんと陸に入り込んでいて 《日下の楯津》が上陸の地だったとも言いますね。  草香という名なのですが そこが世界への窓口となったゆえ 《日の本の草香》と呼ばれるようになり やがて陸地化が進み そうでもなくなったところ 《日の下の草香》と書き替えられた。それで《日下=くさか》という読みになったとか聞いています。  §4.さて  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  それでは万葉集についてはどうでしょうか?  イヨンヒさんは韓国語で読める、と主張しておられますが、彼女の主張はこじつけですか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 弱気になれば 《わからない》という答えです。強がりを言えば 《こじつけが少なくない》になります。  1. nogul2n さんも指摘しておられますが イヨンヒは方言や俗語をそのまま言わば正式な言葉として――つまりは暗号としては伝達が可能な語法として――解釈に採り入れていますから わたしには何とも分からないのです。残念ながらそこまで勉強していないのです。  つまりそのような語は辞書に載っていないし そういう研究が現在までにどこまで進められているか いま分からないという状態にあります。  2. 歴史との連関はどうか?  小林恵子が 李寧煕に賛同するかたちで歴史を研究しその成果を発表していますが なんとも答えられません。次のようなブログを見つけました。  ▲ 難解の小林恵子さん   http://ameblo.jp/torashichi/entry-10217353517.html  3.日本語にとって韓語は アメリカ語にとってイギリス語にあたるか?  菅野裕臣が指摘しているのは 歌を解釈するにあたって《音訓ごちゃまぜ》ではないかということですが(『フシギな日本語』p.199) それはそれでもよいとしますと そこから別の事実が証明されることになります。  万葉仮名の漢字を日本語で訓み その音を頼りに韓語で類似する音を持つ語を探し出す。そのあと解読にあたる。そのこと自体も問題ありとしなければいけないと思いますが そこから次の問題が現われます。  韓語にはない日本語の存在が たとえごく一部にしても 証明されたということです。  言いかえると その万葉歌をうたってその表の意味とは別に裏で暗号として しかも韓語で 隠された思いを伝えようとしたというとき これを貫くことはできず 一部には日本語をも使ったし 使わねばならなかったとなります。  そういう場合 わたしが考えるに おそらく別の韓語を使うか歌を作り直すかすると思うのです。  アメリカ語が イギリス語と違ってきているのは 発音や同一語の意味の変化を除けば 現地にしかないものを表わす語くらいではないでしょうか? (仏・西語などほかの言語から採り入れた語はそれとわかるはずです)。このような場合が 何何語のルーツは何何語だという事例だと考えるのです。  そうではないことを ご自分の解読の手法において 証明しているというように考えます。  (どういうわけか この(3)項のことをわたしは忘れていました。ノートを引っ張り出して来て パラパラとめくっていたら 見つけました)。  どうでしょう?   半島からは少数のいわゆる王族がやって来ているのではないかという歴史の方面での課題のほうが 大きいかも知れません。  ただし 韓国語と日本語との似通りについては これからも対照させあって解明されていくと思います。  お疲れさまでした。かえって長く引っ張ってしまった恰好になりました。よろしくどうぞお願い申し上げます。

noname#163492
質問者

お礼

何度も回答いただきまして恐縮です(汗ビッショリ) ●>日本語の二音節語で ひょっとすると韓語(この表現を使います)の末尾子音(ないし音節)を落としたものではないかと疑われる語例 理解力が不足していてすいませんでした。 詳しく説明いただいて、理解できました。 ●日本語の母音組織についての説明も面白く読ませていただきました。 ●世界史はまったく知りませんで。 日本語の問題などを解くにも世界史の勉強が不可欠と今実感しておりますが。 >中南米を征服した者たちは きわめて少数だったそうですね。それでも かれらのスペイン語があまねく行きわたりました。 少数の民族が話す言葉は大勢の民族が話す言葉に圧倒されるのではないか と思っていましたがそうでもないのですね。 軍事的・文化的に優越する立ち場の者の言語が与える影響は大きいということなのかもしれませんね。 ●イヨンヒさんの韓国語で読める、という主張は (1)方言や俗語を解釈に採り入れている。 →辞書に載っていない。研究がどこまで進んでいるのかわからない。 (2)小林恵子さんが李寧煕に賛同して研究成果を発表しているが支持されていない。 (3)歌を解釈するにあたって《音訓ごちゃまぜ》 (4)万葉仮名の漢字を日本語で訓み その音を頼りに韓語で類似する音を持つ語を探し出す。そのあと解読にあたる手法に問題あり。 ●日本語にとって韓語は アメリカ語にとってイギリス語にあたるか? このような比較は面白いと思いますが、 仮にイヨンヒさんが主張するように、日本語のルーツが韓語にあるとすると(仮にです) (1)イギリス語がアメリカ語となってからのち経過した時間と 韓語が日本語となってからのち経過した時間の差異 (2)昔と現在の文化交流の差 (現在は孤島にいてもテレビやインターネットで交流できるので そんなに言葉が違ってこないのでは・・) などの点についても考慮する必要があるかな、と思いました。 しかし、日本語にとって韓語は アメリカ語にとってイギリス語にあたるか? と考えてみる価値はあると思います。 これだけの文章を書いてくださった時間と手間を考えると頭が下がります。 しかし私にとって大変楽しい時間でした♪ 心よりお礼をもうしあげます。ありがとうございました。

回答No.19

 いちど退室のごあいさつをした者が 臆面もなくふたたびしゃしゃり出てまいりました。  No.13&14&16です。    しかも横田槍之進のごとくおせっかいにとりかかります。(学問は うたがいと反論とで成り立つという一面があります)。  たとえば 笑福亭鶴光という芸人が  ▲ 鶴光でおまっ。  ☆ とあいさつします。おそらくこれは   ○ ござります→ございます→ござーます→ごわーます→をあます→おます→おまs→おまっ  ☆ と変化したのではないかと考えます。つまり 大阪あたりでは日本人も 音節を子音終わりとする発音の傾向があるということを意味します。  音韻は その全体の組織の中でそう簡単には変わらない部分を特徴的に持つ場合が一般であるので この場合の閉音節としての発音傾向も 言ってみれば古代から続くものなのではないでしょうか? (早くいえば大阪あたりでは 朝鮮半島から渡って来た人々が 多かった)。と考えるのですが どうでしょう?  あるいは   ○ もうかりまっか?  ☆ むろんこれも  ○ もうかりますか→もうかりまsか→もうかりまっか  ☆ という経緯だと考えられます。つまり閉音節が生きています。  ○ そうでんねん←そうでsねん  あるいは 音節末子音を省いたかたちで対応する語例が 二音節の語に見られることを――例外的ですが―― 挙げておくべきかと思います。  ○ 夏 natu ∽ ヨルム yeoreum < nyeoreum (夏)  ○ 鶴 turu / tadu ∽ ツルミ durumi (丹頂鶴)  学問として公正を期すという目的のために ひとこと余計を申しました。    しかし 上のいわゆる関西弁で 韓国語と同じような発音傾向を持つということ これは どのように解釈すればよいでしょう? 昔より半島から渡って来たひとが多かったと言いましたが どうなんでしょう?

noname#163492
質問者

お礼

>学問として公正を期すという目的のために ひとこと余計を申しました。 いやいや、重要な指摘をしていただいたと感謝いたしております。 私は日本語しかわからないので、子音で終わるというのが 全く理解できなかったのですが 関西では確かに「○○でおまっ」「もうかりまっか」のように言います。(私は大阪人です) 今宮戎神社のことを「えべっさん」と言ったりもします。 それが子音で終わるということなのですね。 飛鳥時代には大阪には難波宮がありました。 また飛鳥や奈良に都があったときにも、大阪は都の玄関口であったと考えられています。 渡来人たちは帰化して日本人と混血がすすんだことでしょう。 つまり、関西の発音は渡来人の影響を大きく受けているのではないか、 というのですね。 >音節末子音を省いたかたちで対応する語例が 二音節の語に見られることを すいません、これは私の理解力が不足していて、意味がよくわかりませんでした。 日本語で「つる」というが、朝鮮語では丹頂鶴を「durumi/つるみ」 といい、「つるみ」の「み」の部分が省かれている tadu ? 日本語で「なつ」というが、朝鮮語では「yeoreum/ヨルム」または 「nyeoreum」ともいう? 大変貴重な問題提起をしていただいたと思います。 ありがとうございました。 、

  • nogul2n
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回答No.18

 訂正です。 ・ 下から18行目   新羅方言が新羅語だとは → 慶州方言が新羅語だとは ・ 下から9行目   多言語 → 他言語 でした。  また、韓国朝鮮語の k や t で終わる音の発音は、基本としてそれらの子音の音を「声を出さないで、口や舌の形だけで」発音します。「声を出さないで」というところが日本語からすると摩訶不思議な発音のしかたです。英語の cat が t を トゥ のように一応声にして発音するのとも違う発音です。 cake(ケーキ)も、 ケイクッ のように 最後を クッ と口から息を出して発音しますので、一応声には出して言っていますが、韓国語の終声の子音 k や t は基本としては声になりません。  次に続く単語がどういう発音の単語が来るかによって、子音の音自体が変わることがあるので、あくまで単語や文が純粋に子音で終わる基本的発音の時の話です。 

noname#163492
質問者

お礼

わざわざ訂正をありがとうございます。 もし、よろしければもう一点、質問させてください。 日本語のルーツは韓国語ではないという趣旨は理解できました。 それでは万葉集についてはどうでしょうか? イヨンヒさんは韓国語で読める、と主張しておられますが、彼女の主張はこじつけですか? 和歌はのちに掛詞や縁語、もののな、本歌取りなどのテクニックで二重三重の意味を持たせることに成功しています。 当時半島から多くの渡来人がやってきていたため、韓国語でも読めるようになっている、という可能性はないのでしょうか。

  • nogul2n
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回答No.17

 シロウトなのに再度しゃしゃり出て失礼致します。  12番で御紹介いたしました古代日本語解釈のページ、韓国語学習で使われる用語が登場するのでわかりにくかったかもしれませんね。  古代朝鮮語の知識がほとんどない私でも大きくうなずけたところ、1ヵ所だけご説明します。  最初の方の、  借用語と終声のあり方 とあって、  bat(畑)-fata(畑)  などと書いてあるあたりです。  「朝鮮語が日本語に借用されるときは、終声を落とすのではなく、むしろ後ろに母音をつけた可能性の方が大きい」「イ・ヨンヒ氏はgatから終声(音節末子音)のtを取ってgaという形を作っているが、ここで終声を取り除くしかるべき根拠は何ひとつない。」とこの方は書いていらっしゃいます。  韓国朝鮮語は母音をともなわないで子音だけで発音を終わらせる発音が大変多く存在します。  例えば、現在の韓国大統領イ・ミョンバク大統領は日本語的に発音・表示すると イ・ミョンバク ですが、実際は最後の ク は 日本のアルファベット表示式に書くと k という子音単独音であって、 ク(ku) というように u という母音は伴いません。しかし日本人は k という子音単独の音で発音を終わらせる(終わりの音、すなわち「終声」といいますが、終声が子音単独音になる)発音が出来ないため、 u という母音を持ち出して来て ク(ku)  と発音・表示をしています。韓国人からしたら「ク(ku)じゃないよ。 k だよ。」ですが、既述のように日本人からしたら子音で発音を終わらせるなんて「ん」のただ一つの例外を除けば日本語では有りえないこと、音は必ず母音で終わるのでそうじゃない音は発音できません。  他の外国語、例えば英語の cat(猫) にしても、 キャット と言いますが t の後に o の母音は無いのに勝手に(?) o 母音を入れて ト(to) にしちゃって使っています。  sweet(スイート、甘い) も、 t の後に o 母音を足して、 to(ト)にしちゃって言います。  「ハングル」というのも本当は、日本語式アルファベットで書くと hangur(ハングr) または hangul(ハングl) であって、 hanguru または hangulu ではありません。 最後に u という母音は無いのに勝手にuの母音を入れて ル(ru , lu) と言っています。 r(アール) または l(エル) という子音単独で単語の発音を終わらせるなんて日本語にはないので発音できないので、母音をおぎなって言っているのです。  日本人や在日韓国人と結婚して日本に来た韓国女性が自分の名を名乗る時、名前が子音で終わる名前の人は日本人から発音してもらいにくいので i(イ) という母音を足して名乗っていることがあります。  例えば misuk さんという名前の人は i(イ) を足して、 misuki にして、これは k が単語(ここでは名前)の最初の音ではないのでこういう場合韓国朝鮮語では濁らせて g の音にしますので実質、 misugi(ミスギ) にして、「私は チョン・ミスギと言います。」などと言ったりします。 k で発音を終わらせる(終声を k に発音する)なんて日本人には難しいからです。また人名に関しては、韓国朝鮮でも i(イ) を付けて呼ぶことが文章の中などでときどきあるためでもあります。(でも他人の名をそのように呼ぶのはていねいな呼び方とはいえません。)(ちなみにこのmisukさんを漢字で書くと 美淑 です。)  キム・ジョンイル将軍様も、本当は ジョンイル でなく ジョンイr または ジョンイl です。 子音で終わる r または l の音です。 ル(ru,lu) ではありません。日本では母音uを足して言っているわけです。  「ありがとう」「ありがとうございます」を意味する「カムサハムニダ」はお聞きになったことがおありかと思いますが、これも本当は2回登場する「ム」が mu ではなく、 m という子音単独音です。 uの母音は入ってないので カmサハmニダ とでもすべきですが、 m 子音単独音の発音が日本人にはむずかしく、また母音で終わらない音の発音も難しいので u を足した発音と表記をするしかありません。  「幕」、舞台の幕が上がるなどと言うと時の「幕」ですが、日本語では「まく」ですが、韓国朝鮮語では「mak」と言います。漢字が元になっているのを音読みしているので、中国語が起源の単語でしょうが、同じ漢字を韓国朝鮮では「mak」、日本では「maku」とu母音を足して言います。今の中国語、古代の中国語ではどういう発音だったのでしょう。  このように日本語では外国語に母音を足して言うことが一般的なので、イ・ヨンヒ氏が子音で終わる単語の最後の子音(終声の子音)を取り除いて解釈しているところがあるそうですが、それに異論を唱えていらっしゃるこの方の発言に1票!したいです。  もうひとつ、「奈良が奈良時代の都だったからと、奈良方言が奈良時代のことばだとは言えないのと同じに、慶州が新羅の都だったからと新羅方言が新羅語だとはとても言えまい」という部分もうなずけます。方言が古語のある程度の形は残しているのはまちがいなく、手掛かりの大事な1つではありますが無条件的に現代の方言を多用することは出来ないでしょう。朝鮮では外侵を受け、人口の流動が大きく起こった出来事が何度も何度もありましたし。    重複になりますが、発音の面からは朝鮮語と日本語は本当に全く違う系統の言語です。生地で例えるなら、レースのカーテン生地とじゅうたんの生地ほどの違いとでも言いましょうか。違うも違う、違い過ぎます。  しかし、文の構造(文法)はそっくり。まさに兄弟のことばです。韓国語をやっていると、多言語をやってらっしゃる方に申し訳ないと感じるくらいに似ていて楽です。簡単、楽々。質問者様もよろしければgooの韓国語カテゴリーをのぞいて御覧になってください☆  単語もはるかな歴史の時間の流れを感じさせる似た単語があちらこちらに。  例えば、陶磁器を焼く窯(かま)のことを「kama カマ」、 煮炊きする釜(かま)のことも「kama カマ」と言います。例えを挙げるとたくさんあってキリがありません。  元々あった日本のことばの上に朝鮮語が強大甚大な影響を与えたことはまちがいありません。しかしその元々の日本のことばは朝鮮語とは別系統の言語であったろうと推測しております。

noname#163492
質問者

お礼

おーっ、何度も丁寧な回答をありがとうございます。 あらためていただいた回答を全て読み直してみました。 (1)古代朝鮮語で書かれた最古の文献は12世紀に書かれた書物『三国史記』である。 そこに登場するチュモン王からして3通りの名前が記載されている。 (2)文法は現代日本語と現代韓国朝鮮語はそっくり。 しかも漢「日本漢語」という日本人が作った単語を使っているので、そっくりな単語が大量にある。 (3)しかし発音がまったく異なる。 日本語は母音が5つで、音は子音+母音で発音する。 インドネシア語は母音が6つ。 沖縄のことばは母音が基本的に3つ 現代韓国朝鮮語は基本母音と重母音を合わせると母音が21個。 韓国朝鮮語は子音だけで発音する音がたくさんある。 (4)朝鮮語が日本語に借用されるときは、終声を落とすのではなく、むしろ後ろに母音をつけた可能性の方が大きい イ・ヨンヒ氏はgatから終声(音節末子音)のtを取ってgaという形を作っているが、ここで終声を取り除くしかるべき根拠は何ひとつない。」 ※子音で終わるって、日本語しかわからない私には全く想像できないです(汗)。 (5)奈良が奈良時代の都だったからと、奈良方言が奈良時代のことばだとは言えないのと同じに、慶州が新羅の都だったからと慶州方言が新羅語だとはとても言えない。 ※イヨンヒさんは「日本語の真相」の中で新羅語とか百済語といった言葉を使っておられるんですよ。 彼女がどうしそれを知りえたのか、疑問に思っていましたが、慶州方言のことを新羅語と言っておられるんですね。 (3)日本語の元々は南方系(インドネシア語)の言語ではなかったか。 日本語は発音の面からは、ハワイなど太平洋の諸言語とも近いという説もある。 (4)大野晋氏は日本語の起源をタミル語としている。 (5)日本語は朝鮮語・モンゴル語・トルコ語・ハンガリー語などと同じ、「アルタイ諸語」である (6)ミトコンドリアのDNAは、母親のものしか遺伝して行かない(伝わって行かない)。 父親のミトコンドリアDNAは消滅する。 しかし、父親から息子(娘にはダメなんですね)にのみ遺伝して行く「Y染色体のDNA」というのもある。 とてもいい授業を受けさせていただきました。感謝いたします。