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天皇制と中国の関係
以前からずっと気になっているのですが、日本の国家体制の根幹である天皇制に大きく関係している元号や、皇室・皇族方のお名前を、あえて中国の古典から引用するのはなぜでしょうか? 中国から大きな影響を受けていた古代からの伝統かもしれませんが、なぜ現代においても外国の文献から元号などを決めているのか理解できません。 また、天皇制についてはいろいろうるさい右翼も、これに異を唱えたという話も聞いたことがありません。 なんかいまだに中国の属国のような感じがしてあまり好ましく思えないのですが、なぜこのようなことになっているのか、ご存知の方教えてください。
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歴史的伝統的に、中国の古典は日本でも古典となっています。 ギリシャ・ローマ時代の古典がヨーロッパ人にとっての古典になっているのと同じようなものですね。 高校で漢文を習いますが、あれは中国語の原文を「読み下し」という形で日本語に変換しているのであって、立派な日本語であり、中国の古典は日本でも日本語の古典であるとみなしていいと私は考えます。 現代人は漢文の素養のある人はほとんどいなくなってしまいましたが、江戸時代までは漢文(中国古典)は教養人には必須の知識でした。 なので、そこから元号を決めるのは自然と思うのですが。 反対に、元号は和語に限るとすると、元号の威厳がなくなるように思います。 「あけぼの20年」とか、何かふざけているようにみえませんか?
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- cse_ri2
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天皇制という言葉は実はあまり使いたくないのですが、便宜的にこの用語を使います。 古代において天皇を中心とした国家体制が定まったのは、壬申の乱で勝利した天武天皇の後です。 私の記憶違いでなければ、天皇という言葉を使い始めたのも天武天皇であり、それ以前は大王(おおきみ)という呼び名の方が一般的だったと思います。 当時、日本が統一国家を作るにあたっては、中国を模範とせざるを得ませんでした。 当時は東アジアに超大国としての唐があり、今の日本がアメリカの影響を大いに受けているように、唐の影響は必然だったでしょう。 奈良時代、日本は中国の律令制度をごっそり取り入れて、統一国家を建設します。 平安時代に入って、超大国の唐が衰退・滅亡することにより、日本は独自の道を歩み始めますが、国体を変えるまでには至りませんでした。 鎌倉時代になって、政治権力が朝廷から幕府に移ったため、朝廷の改革は明治維新まで持ち越されることになります。 日本と中国の歴史的関係には、私にもいろいろと言いたいことはあるのですが、過去の歴史的事実は変えようがありません。 時の政権の都合で、歴史解釈を勝手に変えるような国も日本の近くに幾つかありますが、個人的には彼らと同じ真似はして欲しくないと考えています。
お礼
唐の影響が今日まで続いているということでしょうか? 回答ありがとうございました。
お礼
ヨーロッパの場合は、殆どの国が遡ればローマ帝国の一部だったこともあり、言語的にも結構近い国が多いですよね。 日本は中国の一部になったことはないものの永年衛星国だったことで、中国古典の呪縛から解かれることはないのでしょうか。 「漢字」を使っている限り、止むを得ないのかもしれません。 今の中国と、日本が手本にしたころの中国は別の国だと割り切るしかないのでしょう。 回答ありがとうございました。