- ベストアンサー
天皇家の謎とは?東アジア圏内の民族?それとも朝鮮説?
- 天皇家の祖、アマテラスの出自や肌の色に疑問を持つ声もあります。
- また、朝鮮説が存在し、日本の歴史において朝鮮半島の影響があったのではないかという意見もあります。
- さらに、天皇家の訓読みや出雲大社の関連も歴史ミステリーとされています。真実が明らかになる日は訪れるのでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本民族はまあ、いろんな民族のごちゃまぜです。 ですので、純日本人(少なくとも数代遡っても外人の血は入っていない)でもネプチューン名倉のように東南アジアの顔立ちのかたもいますし、色をもっと白くすれば白人と間違うような人もいます。また逆にかなり黒人ぽい人もいますね。 有史以前の日本を見ると、北方系として地続きになった樺太海峡あたりから日本にやってきて定住した人々、朝鮮半島を通って定住した人々、アジアの太平洋南岸の島々を渡ってやってきた人々など、日本人の源流には様々なルートがあり、遺伝子解析などでも日本人と南米インデオ(原住民)にしか見つからないミトコンドリアDNAとか日本人と中近東及びチベット族しか見つからない遺伝子系統種とか、とにかく日本はアフリカから出た人類がユーラシア大陸を横断してたどり着いた吹き溜まりの場所なのでしょう。 ただしこれは1万6000年以上遡る話になります。ただ、これは日本語を考える上で重要な示唆があります。 日本語は旧石器時代を経て縄文・弥生時代には日本語の原型が出来ていたと考えるのが相当です。もちろんこの時代にはまだ文字はありませんが、文字をもっていない言語など現在でもたくさん残っていますので、日本語の原型はすくなくとも弥生時代の終わりには確定していたと思います。一度出来た言語は、外来語がやってきても簡単にはなくなりません。 日本には紀元前後の頃には、中国の内乱たとえば紀元前3世紀の春秋戦国時代などには難民などがたくさんやってきた漢字を伝えることもあったでしょうか、日本と大陸を隔てる海が体系的・組織的な流入を阻んでいたといえますし、たとえ船で民族がまるまるやってきたとしてもその民族の発展を邪魔できるぐらの組織的社会は日本にはすでに存在していたといえます。ですから、日本が体系的に漢字を輸入したころには、日本語は非常に発達しており、逆をいえば発達した日本語と日本社会を記録するために漢字を苦労して輸入し租借して訓読みを作ったといえるでしょう。 古事記は7世紀の成立ですが、ここで使う万葉仮名の法則性を得るまでに少なくとも1世紀ぐらいの漢字の受容と漢字の日本語化の格闘の歴史があると思います。その結果が万葉仮名であり、その進化系がひらがな・カタカナによる訓読みだといえます。 また、天皇家が朝鮮半島に関係してるのは別に普通のことでしょう今上陛下は2001年に「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言され、朝鮮半島とのつながりを肯定する発言をされています。 ただ「民族」を考える場合には、ちょっと注意が必要です。日本人は自国の歴史感から他の民族も同様に「○○民族」というのがあり、民族=国だと考えがちですが、そうではないからです。 たとえば中国の歴史を見ると、確かに漢字を発明し中華文明の基礎を作ったのは漢人なのですが、日本が最初に中国に派遣した遣隋使の時代の隋国は、漢人は非征服民族で支配階級はトルコ系民族(たぶんにウイグル辺りの人々)でしたし、次の唐もやはりトルコ系の民族が支配者でした。さらに最後の王朝である清国も支配者は女真族であり「愛新覚羅」という苗字は漢族にはありえない名前だったといえます。 また、有名な孔子も漢人ではなく女真族の出身だった言われており、朝鮮半島の北側(北朝鮮領咸鏡北道あたり)は女真族の国だったため、朝鮮人(韓国人)が「孔子は朝鮮民族出身」というのは多少根拠があり、逆に中国人が孔子は中国人と言う場合には必ずしも中国人=漢人ではなく、中国人=長江と黄河の間の平原に住む数々の民族、という意味合いが強く、その点では平原を舞台に活躍した孔子は間違いなく中国人と言えます。 話を日本に戻しますが、日本人という場合現在では大和朝廷が成立して以降、日本列島に住む人々が日本人で差し支えないと思いますが、それ以前の日本の歴史を見ると、各地に豪族が成立し群雄割拠の時代が紀元前から6世紀ぐらいまで続いていた、ということでしょうし、1世紀ぐらいには日本から中国大陸に使者を遅れるぐらいの文化的経済的発展はあったわけです。 ですから4世紀ぐらいになれば、対馬を通じて朝鮮半島と行き来した豪族もいたでしょうし、逆に朝鮮半島に日本の分家国家があってもおかしくはなく、任那日本府説のようなものもあながち否定できないところもあります。最近では日本式の前方後円墳(この形式は完全に日本オリジナルと証明されている)が朝鮮半島南部で見つかっていますので、日本から進出した勢力もあり朝鮮半島からやってきた勢力もあり、で日本国内の豪族ももしかしたら国際結婚などをしていたかもしれません。 > 出雲大社は、天皇家の守護、奈良の大仏の大極殿よりも、天皇の住処京都御所よりも、大きかったそうです。それは、大国主のタタリを恐れたアマ一族の供養だったのかも知れません。 個人的には、アマ一族は優れた技術を持って日本に渡来し、圧倒的な地位を築くことに成功したのだと考えています。 その優れた技術とは「量産可能な製鉄技術」です。実際に天皇家とたたら製鉄の関連を明示・暗示する記述はたくさんあり、いろんな学者も論を出しています。 世界各地を見ても、青銅器の時代から鉄器に移る時代には大きな民族移動が起きており、鉄器を得た民族が領地を広げてきたという見方が有力です。 大国主が天照に国譲りした本当のところは分かりませんが、大和という名前が出てくることから、なんらかの取引をすることで天照が日本の統一支配者になり、大国主は身を引いたのだろうというのが定説です。 これらの本当のことを調べるには、天皇陵に指定されている古墳を調べれば分かることも多いのでしょうが、宮内庁はこれを拒否しています。このことで「天皇家と朝鮮のつながりがばれるのが怖い」といううわさが立つのでしょうね。 しかし歴史を見てみれば、独立した国家が1500年も同じ統一王朝で、領土も変わらず、文化も変わらずにやってきたのですから、日本は堂々と日本だと主張できます。 もし天皇家が完璧に朝鮮民族だったとしても、日本民族と現在の朝鮮民族が同じということにはなりません。 そんな1000年以上も前のことを持ち出すなら、もっと新しい英国王室はフランス人でフランス国家ですし、中国はモンゴルと同じ国になってしまいます。朝鮮半島なんて高句麗の時代が一番大きかったのですから、その源流である扶余族(モンゴルともツングース族とも言われる)を元に考えれば、シベリアを征服したロシアの属国でもおかしくないわけです。 あまり、民族間の対立をあおってもしかたがありませんが、それぐらい民族と国・文化を考えるのは複雑な経路があるということです。
その他の回答 (2)
>天皇家の祖、その祖母であるアマテラス。名前もカタカナにすると東アジア圏内では無く、西洋の名に近い気がする。 鋭い指摘です。 テレ東の新説日本のミステリーの録画番組を再度見ていて疑問に感じたのは、平家=ペルシャ人、ペルシャのタイル=菊の紋なので、天皇の鼻をピックアップしペルシャ人の鼻と比較したら似たような形状でした。 つまり、天皇は平家の子孫ではないだろうか。 契約の箱、聖地エルサレムの所在を知らないのも理由のひとつです。
お礼
回答ありがとうございます。 すみません。からかっていますか? そうでなければ、そういう俗説大好物です。 >契約の箱、聖地エルサレムの所在を知らないのも理由のひとつです テレビ東京、私の地域では放送されていないので、よくわかりませんでした。 天皇が平家の子孫ではなく、平家が天皇の子孫なんですけど、、、 平家物語も好きなんで、来年の大河ドラマ楽しみです。
- malaytrace
- ベストアンサー率33% (349/1027)
中東という語自体がどの地域を指すか、はなはだ曖昧なのですが、地域や部族によって全然違うことは知っておいてください。シリア・レバノンあたりはヨーロッパ系の顔立ちの人が多く、ベドウィンとは違うし、エジプトとも違う。マグレブも違う。イエメンとも違う。湾岸はまた違う。トルコやイランは「民族」レベルで違う。また、どう見ても現在の天皇家が中東のどこかの人々に近いとは思えません。最も近いのはモンゴルの血を引く人々でしょう。 日本語はアルタイ語族の一つとされています。中国語から多くの語や文字が入ってきましたが、文法は朝鮮語、モンゴル語などに近い。確かトルコ語もアルタイ語族とされていたと思います。 大体、日本人というのが曖昧な概念です。縄文人とされる人々の血を濃く受け継ぐと言われているのが、アイヌ民族と沖縄の人々、その後侵入して来た弥生人、そして渡来人、天皇家が比較的後から渡って来た人々の末裔とはよく言われることですが、じゃどこまで日本人ですか?そもそも「日本」という国が天皇の勢力範囲を基にした国家であり、民族国家という一種の幻想を広めるために利用されて来たのでしょう。 歴史は大切でしょうが、国は国家の正当性に関わるような部分には極力触れたくないのでしょう。まあ、人々が歴史上どうであれ今の天皇家を正当と認めたら良いのでしょうがね。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに日本人は混血です。というより、混血でない民族は少ないでしょうね。 でも、あの鼻は、、、と今でも思ってしまいます。 あと、アルタイ語族は何故中国の周囲で、強い影響を 残しているのか不思議です。 中国の文化が発達していて、他の文化を寄せ付けなかったと思うのですが、 中国をほぼ半周してまで強い影響を与えているアルタイ語族。不思議です。 それとも、アジアは元々アルタイ語族で、後から中国文化が発展したと考えるほうが 良いのでしょうか? すみません。俗説大好きなので、、、つき合わせてしまって申し訳ありません。
お礼
長文ありがとうございます。 俗説大好きなので、つい皆さんの意見が知りたかったのです。 別にどこかの国みたいに日本は、我が国の領主が治めていた。 なんて、思っていません。 どこかの国みたいに、漢字は我が国が発祥だった。とか、なでしこジャパンは、、、、 なんて、どうでもいいです。 隋国、唐国共にトルコ系とは、初めて知りました。そうか、、、当たり前ですけど混血は何も、日本だけとは限らないんですよね。 少し熱がさめました。ありがとうございました。