縄文人
ケルト人がゲルマン人進入により周縁に押し出されたのだとしたら、アイヌと沖縄は、弥生人に押し出された縄文人と思われます。
そして、アイヌのイオマンテ(熊祭り)がクマの血を神に捧げる儀式であるのであれば、つまり、血をこよなく神聖視するのであれば、和人(弥生人)が血をケガレとするのは、むしろ、反縄文文化的な反発作用起源なのではないかと思います。自主的に血をケガレとする根拠が弱い為。
そのあたりまで、仮定できるなら、被差別部落の拠点数が、最北の関東でも600あるのに北海道、東北、沖縄に0だというのは、その地域が、縄文人のテリトリー(蝦夷、エミシ)だったからで、被差別部落は、縄文人の飛び地的な場所の名残りなのではないでしょうか。
飛び地の必要性は、弥生側のニーズにあり、皮製品の担当職人としてのアウトソーシングという役割かと考えられます。ちょうど欧州での金融担当のユダヤ人のように。
なので、弥生テリトリー全域にそれはある。
それから、ここからが重要なのですが、明治新政府が「新平民」として、差別を平準化しようとしましたが、部落解放同盟が自らそれを差し戻し、結局、被差別部落という名前で、「被差別」を再確認(強調)する事で落ち着きました。それは、補助を受ける必要性からですが、理由はともかく、歴史は、結果的に、縄文人と弥生人を区別し続ける事となりました。
祇園祭や御柱祭に限らず、我々は「意味もわからず」その文化を保存する事があります。それは、中身を知らずに配達する郵便屋さんのようです。
天皇継続もそんなところがあります。とにかく絶やしたらご先祖様に申し訳ないという義務感だけです。
もし、被差別部落の存続が「無意識な」縄文人保存行為であるなら、差別されている真の理由からすれば、それは和人の方なのかも知れません。
トランプの2がジョーカーに勝つ、または、崇高な托鉢と、最低の乞食が同じという事に、言い方を習えば、最下層と思ってきた被差別部落は、真の日本人の保存役だと、考えられますがいかがでしょう。
もっと言えば、弥生人の象徴が天皇なら、被差別部落は、縄文人で、天皇制が続く事と被差別部落の存続はセットではないかということです。
無意識な行為というところに共感頂けるかが鍵なりますが、そういう風に、直感する方はおられませんか?。
お礼
ありがとうございます