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ニーチェのHappiness is Having Power
ニーチェのHappiness is having powerの日本語訳は何でしょうか? 知ってる方いたらお願いします。
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- konstellation
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そのまま単純に考えれば、「幸福とは、力を持つことである」となるのでしょうか。 問題となっている第九章の題名は、"Was ist vornehm?"「高貴とは何か」です。 英訳(Beyond Good and Evil, translated by R. J. Hollingdale, penguin books 1990)でも、そのまま、"What is Noble?"となっています。したがって、ニーチェの言葉ではないでしょう。 第9章はもっと長いのですが、サイトに掲載されている257から261節までを大まかに述べれば、次のようになります。 貴族的な人間は、卑しいものを軽蔑する。強い意志と権力欲を持った貴族的な人間は、弱い文化を征服するような略奪的な人間とも言えるが、その高貴な人間において優越している点とは、そもそもは「物的な力」ではなく、「精神的な力」にある。 精神的に弱く、高貴でないものは、奴隷根性とでも言うべきものである。このいわゆる主人道徳と奴隷道徳は一人の人間のうちに同時に見出されることもあるが、とにもかくにも大事なのは、このどちらの視点によって「いい」と「わるい」とを判断するかということである。 また価値の問題という点から見れば、「普通の人間」は、ただ他人から評価されることだけで満足し、たとえば主人が自分に与える価値以外のものを自分に与えることはない。一方、主人的な性格ではこれに満足せずに、自己評価すること、すなわち、自ら価値を創造するのであり、世間の評価に屈服することはない。 このように、あくまでもここは「高貴な人間とは何か」を述べている部分であり、力を持つことが必ずしも幸福であるということは言われていませんが、この箇所に従って考えてみますと、「幸福とは力を持つことである」というのは、「高貴な精神力を持つことは幸福である」ということになると思います。 それゆえ、単純に英語の訳を考えた場合、「幸福とは、力を持つことである」となるでしょう。 しかし、要約で見た他人の評価を気にしない人、というのは、単に自惚れている人、でもあるような気がします。つまりこの表現は、皮肉として、「自己満足している奴は幸せだな」、ということにもなるのでは。哲学カテゴリーにこの言葉。とても含蓄のある言葉ですね。(考えすぎ?)
「悦ばしき知識」、でしょうか。 違うと思ったら逆に、悦ばしき知識の英訳を教えて下され。
- kankororin
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この言葉は、例えば下記のHPで使われているんですが、ニーチェのそのままの引用かどうか分からないんですね。 「善悪の彼岸」の第9章にタイトルとしてつけられているので、ニーチェのいう「高貴な人間」は「幸福/幸運」をもっており、そういう人間は「力」を持っているということみたいで、とくに平和主義的な思想ではなさそうなんですが、元のドイツ語の出典がわからないとなんともいえません。 ニーチェに詳しい方の登場を待ちましょう。
- mmky
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参考程度に Happiness is having power 幸福は力を持っている。 或いは、幸福は力である。 という意味ですね。 例えば、皆が幸福であれば争いはありませんね。これは、武力に勝るということでしょう。だから力なんです。 ところで、「神は死んだ」といったニーチェも幸福が力であることは知っていたんですね。真の幸福は神を信じることから得られるものなんですがね。