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江戸時代。改元の通知。

改元した場合、全国に報せたはずですが、どのようにして周知したのですか。 例えば、各藩の江戸留守居を招集して、「新しい年号」を使用せよと命じたのですか。 幕府領へは老中が通知したのですか。 改元を報せた記録(古文書や幕府日記など)はありますか。 改元は例えば、正保は12月16日、慶安は2月15日、承応は9月18日など中途半端な日付で行われているので、ある日突然、年号が変わったということになります。 それで、いったい、どうやって周知したのだろうかと、思いました。 よろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • oska2
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回答No.1

>改元した場合、全国に報せたはずですが、どのようにして周知したのですか。 改元の詔が出ると、先ず最初に幕府に伝わります。 次に、幕府は各藩(江戸屋敷)に「元号が変わった事」を伝えます。 その後、各藩の江戸屋敷から地元に早飛脚で報告。 地元では、奉行から町名主へ通知。代官所から庄屋へ通知します。 >改元を報せた記録(古文書や幕府日記など)はありますか。 案外多くの古文書が残っていますよ。 記録では、改元から約2週間程度で全国各地に伝わっているようです。 改元に関する費用は、全額幕府が負担(約300両)していました。 幕府の「要請と言う名の強制命令」ですから、幕府が負担するのは当然ですがね。 余談ですが・・・。 天皇が交代する毎に改元するのは、明治になってからです。 それまでは、天変地異・政治的不都合などがある度に改元しています。 反対に、平穏な日々が続いている時代は改元は行いませんでした。 寛永時代は、後水尾天皇・明正天皇・後光明天皇3代が即位しています。 まぁ、今のコロナ禍ですから江戸時代だと改元していますね。^^;

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 約3百両とは、やはり改元には相当な費用がかかるのですね。 飛脚は儲かるわけで、関連業界が潤うのは今も昔も変わりませんね。

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