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壬申戸籍について

武士の時代が終わってみんな壬申戸籍に登録された際、それまで諱とか通称とかある人達はどの名前で登録されたのですか? 諱って確か生前に使うのは良くないってルールでしたよね?そういうのはどうなったんですか?

みんなの回答

  • nururian
  • ベストアンサー率27% (21/76)
回答No.3

基本的に申込者の申告どおりです。諱が多いか通称が多いかはおそらく誰もわからないと思います。 しかし、政府関係者は諱での申告が多いようです。 まあ、昔の人は、苗字も名前もコロコロ変えるのは珍しくなかったので、あまりこだわりは無かったのでしょう。 西郷隆盛については、明治初年に維新功労者に位階を授ける際、本人不在だったので、親友だった吉井友実に「西郷さんの諱は何?」と聞いたところ「う~ん、確か・・・吉之助さは隆盛だった気がする」と隆盛になったとの説の方が有力です。 他にも弟の従道も「西郷さんの諱は何ですか?」と聞かれて「りゅうこう(隆興)でごわす」と言ったのに、発音が悪くて「じゅうどう(従道)」と間違えられたというような話もありますが、なんか嘘くさいです。

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3297)
回答No.2

壬申戸籍は近代国家形成に伴い、政府は人間を名前で掌握する必要が生まれた。これまでのように一人の人間がいくつもの名前を持ち、立場や状況によっていくつもの名前を用いるのでは個人が特定できなくなる。そうすれば、徴税や徴兵といった事業を行うことが困難になるのだ。こうして「個人の名前は一つでなければならないし、一生変えることが出来ない」という原則が打ち立てられる。 こうした中で、超有名人をめぐる一種の「喜劇」が発生する。西郷隆盛の例です。例によって、隆盛の幕末における正式な名を記す。  西郷・吉之助・平・隆永 (さいごう・きちのすけ・たいら(の)・たかなが) おかしなことに気がつかないであろうか。西郷隆盛の「隆盛」はどこにいったのか? 戸籍法・壬申戸籍の編成にあたって、西郷は代理人に戸籍名の届けをだした。先に見たように、「名 」「諱」は一般には使われることはなく、西郷もつねに「吉之助」で通用させていた。したがって、代理人は、彼の名(諱)である「隆永」でなく父親の名(諱)である「隆盛」として届けたというのである。嘘のような話であるが、史料批判の厳しさには定評のある師のことであるので、事実だと思う。実際の所、西郷は自らの署名は常に「吉之助」で通している。「西郷は一度だけ『隆盛』という署名をしている。それは西南戦争に際して『伺いたきことがあり兵をつれて東京へ向かう』という文書を鹿児島県知事大山綱良に提出したとき、そのときだけはさすがに『隆盛』という署名をした」とのことである。 諱が多いか通称が多いかは分からないです

black7421
質問者

お礼

成る程、つまり諱で登録するか通称で登録するか別に決まりはなかったという事なんですね。 西郷隆盛の場合はそういう事があったんですね。 さっきその事を調べてみましたが、西郷の親友の吉井友実という人物が西郷が普段、吉之助で通していた為に諱がよく分からず西郷の父の諱で登録してしまったんですね。 今では芸名やニックネームは別として名前は一つですから当時の感覚を分からない人が自分含めて沢山いるのでしょうね。昔は官位で呼ばれたりもしていましたからね。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8477/18147)
回答No.1

その人が申請した方で登録されました。

black7421
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

black7421
質問者

補足

そうなんですね。 諱で登録される方が多かったのですか? それとも通称での登録が多かったのでしょうか?

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