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桂太郎、山本権兵衛・・何故諱ではないのでしょうか
こんにちは。 首相の一覧や列伝などでは必ずといっていいほど「桂太郎」「山本権兵衛」などとなっていますが、何故彼らには諱が用いられないのでしょうか。 勿論歴史上の人物では通称のほうがあまりにも定着してしまったせいなのか通常諱が用いられないケースはありますし、諱が不明なケースもあると思うのですが彼らの場合はっきりしているようですし、仮にも一国の首相にまでなった人ですから少なくとも公式な文章などには諱を用いていたのでは・・と思ってしまいます。 何も諱でなくてはならないということではないのですが、同時代の他の首相達が皆諱で並んでいるのに何故彼らはそうならなかったのか、その経緯に興味を持ちました。 ご存知の方、お教え頂ければ幸いです。
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お二人は「太郎」、「権兵衛」で、日露戦争の宣戦の詔書にも、そろって署名してます。↓ http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nitirosennsenn.htm 下の記事にも出ていますが、当時の人は維新後通称を届けでたのか、諱の方を届け出たのか、人によってマチマチのようです。 桂太郎さんも山本権兵衛さんも、署名から見ると間違いなしに、太郎と権兵衛で届け出ていますね。 桂さんも山本さんもそれぞれ、周りの人からは「タロー」、「ゴンベー」と呼ばれていたのには違いありません。 以下は想像ですが・・・。 届出の際、通称で行くか、諱で行くか迷ったと思いますが、諱にすると急に重々しい名前になってまるで他人のように思え、またコッパズカシイ感じがしましたので、通称の方を届け出たんじゃないでしょうか。 後年山本さんは「ゴンベー」じゃあんまりなんで「ごんのひょうえ」という重々しい読み方にしたそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%90%8D
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- johnnyblues
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明治初期に太政官布告で氏名のみを戸籍に記すようになった訳ですが、その際に諱を選ぶか通称や号を選ぶかは本人次第でしょう。 板垣退助や江藤新平なんかも諱を選んでませんよね。 本人たちがどのような考えで選択したのかはわかりませんが、登録した以上はそれぞれ「権兵衛」や「退助」が正式な名前ですから、公式文書であればそちらを書くはずです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は勝手に当時の人達は「正式な名前」といえば諱のことという感覚で、一つに絞れなどと言われた際には当然諱を選択するような感じを思い描いていました。そんなことはないんですね。
お礼
なるほど、当人の意思によって通称を届けていたんですね。それでは外野がとやかく言うようなことは何もない訳ですね。 確かに昨日まで「太郎さん」と呼んでいたのに急に「いや今日から清澄なんだ」っていうのも色々と問題あるのかもしれませんね。まあ、諱で登録した人達も「通称で呼ぶのはやめてくれ」とは言わなかったかもしれませんが。 貴重なご意見どうもありがとうございました。