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品川遊郭での出会い
- 某放送局の大河ドラマで一橋慶喜と西郷隆盛が品川遊郭で顔を合わせる場面があったが、時代考証に疑問がある。
- 品川遊郭は江戸中と外を隔てる門外にあり、夜間の往来自由ではないため、当主の重罪となる可能性がある。
- 放送された大河ドラマは時代考証に疑問があったが、原作がフィクションであることから問題視されていない。
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質問者が選んだベストアンサー
>品川遊郭で顔を合わせる場面がありました。 品川には岡場所はありましたが遊郭はありませんでした。 有名な土蔵相模も遊郭ではなく飯盛女によるサービスがある飯売旅籠屋でした。 >「品川遊郭」は江戸(市)中と(市)外を隔てる門外にあるはずで 品川宿は朱引きの中でしたので江戸の市中扱いでした。 町奉行の支配から外れていただけです。 >隔てる門外 ??? 高輪には大木戸がありましたが慶喜の時代には廃止されていました。 品川宿には町木戸は設けられていませんでした。 >夜間の往来自由では無い門外に出たとなると火事等の多い江戸では当主の資格喪失ものの重罪と思われます。 武士に対して火事がどうだからなどという理由で罰則などありませんでした。 武士が城下町への居住が義務付けられていたのは領主の目が届かない耕作地で勝手な振る舞いをしたり財力を蓄えることを阻止するためでした。 大名は武家諸法度に抵触しない限り治外法権が認められていて自由に行動することができました。 慶喜が東海道の品川宿の旅籠屋に泊まりたまたまそこが飯盛女によるサービスがある飯売旅籠屋だったということは充分あり得ます。 品川宿は東海道を下ってきた場合は最後の宿場でしたので西国から下ってきた西郷が慶喜が逗留している旅籠に泊まっても別段おかしくはありません。 品川宿でも規模が大きかった土蔵相模という旅籠は幕末の志士が屡々宿泊していました。 慶喜は新門辰五郎という侠客の娘と馴染になり妾として養っていました。 大名や旗本が町人の娘を妾とするのは珍しいことではありませんでした。 又慶喜は将軍職に就任する気はなかったと言われています。 作品の原作者や大河ドラマのプロデューサーがこのような慶喜の性格を視聴者に印象づけるために飯売旅籠屋を設定したのかと思います。 >大河ドラマは小学生も見る時間帯に放映され「時代考証」などという大層な役柄もあるのに「原作がフィクションだから」で済ませて良いのでしょうか? 大河ドラマはあくまでもドラマです。 歴史教育番組の脚本ではありませんので良くないという理由がありません。 >ちゃんと資料を集めて原作を書いていた司馬遼太郎さん 史料集めで有名でしたが全ての作品を史料に基づいて書いていた訳ではありません。 司馬遼太郎は歴史学者ではありません。 歴史小説家というのは史料にない空白の部分を推理創作して作品を書きます。 作品中の登場人物の性格付けはあくまでも小説家としての司馬氏の創作でした。 歴史小説というのは歴史学の論文ではありませんので史実と齟齬があっても文芸作品としての評価には影響しませんのでご注意下さい。
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- eroero4649
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知見のある人に聞いてみたのですが、「もし慶喜が品川宿に行くとしたら本陣以外には入れない。だから品川で会うとしたら、西郷が本陣を訪問した場合だろう」ということでした。またどのみち慶喜が品川の本陣に入って誰かと会うならそれは「公式の外出」ということになるから、もし西郷が会いたいのだとしたら薩摩藩の上屋敷に慶喜を招待するのが本来であろうということでした。 それだったら確かに質問者さんが指摘するように吉原で会ったことにしちゃったほうが歴史考証的には無理がないとは思います。 ただ、これは私の推理なのですが、両者が品川遊郭で会ったことにしたのは、脚本家か演出家か監督か誰かが映画「幕末太陽傳」が好きで、そのリスペクトでそうしたんじゃないかなって気がします。林真理子先生の意図とも思えないので、私は演出家か監督の提案だったのではないかなと(根拠は特にありませんが)推測しています。 映画などの作品は、いろんな人が関われば関わるほど台本はあっちこっちから手が入り、差し戻されて書き換わるのだそうです。映画では「第38版」なんてなることも珍しくないそうですよ。やれこのセリフは無駄、うちの女優にこのセリフはいわせられない、この場面の描写は納得いかない、等々で手が入る。 だからそこの場面もいや吉原だ品川だと行き来して結局品川のほうが映像作品(エンターテインメント)的に面白いということで落ち着いたのかもしれません。私はいち視聴者としては、わざわざ品川遊郭を選んだ時点で「ほほう、幕末太陽傳ね」とちょっとニヤリとしますね。 つまり質問者さんは歴史的視点から顔をしかめ、私は映画的視点からニヤリとなるのです。 >大河ドラマは小学生も見る時間帯に放映され それをいうたら、遊郭が出てくる時点でアウトです・笑。 それに大河はもう「天地人」あたりから歴史考証はどうでも良くなってきていますね。そういうのにウルサイおっさんの視聴者を捨て、女性視聴者などを意識するようになったのです。そして天地人も含めてそういう作品が好評なのでそうなっているのです。「みなさまのNHK」ですから。 「おんな城主直虎」なんてひでーもんでしたよ。わたしゃ一度か二度見て「あかん。これは少女マンガや。今年の大河はおっさん向きじゃない」と悟って見るのをやめました・笑。 >ちゃんと資料を集めて原作を書いていた司馬遼太郎 司馬先生もねー。他の方も指摘していますが、司馬先生は「調べて調べて調べあげたうえでウソをつく」ってことをしますからねー。 「燃えよ剣」の土方歳三なんてまさにそうですよ。史実の歳三さんのキャラクターって全然違うんです。もっと陽気というか、女たらしの面があります。ところが燃えよ剣の歳三さんはストイックな剣士になっていてね。司馬先生は絶対それを知っていたはずなんですよ。でも史実に忠実に描くと当時(昭和30年代末)の価値観では「ヒーロー」にならない。悪くいえば時代に迎合したキャラクターを作ったのです。それで大ブームになって今の土方歳三人気にもなっています。 だから司馬先生は「歴史名プロデューサー」っていうのはいえると思います。戦争中は戦車隊にいて「こんなブリキの棺桶で」という怨みもあったので、旧日本陸軍の軍神でもあった乃木将軍は「無能の凡将」と貶めないと気が済まなかったですしね。
お礼
回答ありがとうございました。
- oska2
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>「原作がフィクションだから」で済ませて良いのでしょうか? 良いと思いますね。 「大河ドラマ」ですから「あくまでドラマ」です。 ドラマは、フィクションだから面白いのです。 有名な「義経記」「太閤記」「忠臣蔵」なども、フィクションです。 太閤記のお陰で、「秀吉の守り本尊は、三面大黒天」という誤った認識が常識化していますよね。 高台寺資料では、「随求菩薩」となっています。 忠臣蔵でも、色んな逸話が真実らしく述べられていますよね。 が、実際は全く異なります。 内蔵助が遊んだ遊郭は、実際は「一力茶屋」ではありません。^^; 残念な事に、47浪士の内「切腹したのは、実際はたった一人」です。 ※間新六。切腹後、築地本願寺に埋葬。本当は、泉岳寺には墓は無い。 内蔵助・主税など他の浪人は、切腹していません。 これらの史実があっても、忠臣蔵はフィクションとして物語・ドラマ化されています。 >司馬遼太郎さんが存命の時代とは変わってしまったから「仕方がない」のでしょうか? 司馬遼太郎は、小説を書くときは色々と資料を集めた事で有名ですよね。 が、彼の小説にも色々な逸話が用いられています。 「竜馬が行く」でも、史実と異なる内容が多々あります。 龍馬は、千葉道場に向かう途中に岡田以蔵には会っていません。 竜馬は、桂と斬り合ったり中岡と殴りあったりしていません。 ただ、「竜馬が行く」執筆の結果「龍馬が有名」になったのは事実です。 >小中学生の歴史観など気にしても「仕方がない」のでしょうか? 歴史の教育と、娯楽ドラマは異なります。 韓国の「正しい歴史」も、U〇LA大学では「面白いフィクション」扱いですよ。 ※孔子・孟子は、中国人でなく韓国人という主張も多いのです。^^; 最近では、「韓国建国は1919年」が正しい歴史となるなるとの事です。 もっとも有名な正しい歴史は「稲作・製鉄文化は、韓国から周辺諸国に広がった」という有名な一説。 朝鮮通信使は、国際情勢・最新技術を知らなかった鎖国日本に「教えてあげた」との一説。 ※朝鮮通信使が日本に行かなければ、今でも日本は「原始時代」らしいです。(爆笑) 史実では、鎖国(明治以降の言葉)中は「中国・オランダ商館」から最新情報・技術が直接幕府に届いていたのです。 1700年代にも、オランダ商館勤務のイギリス人・ドイツ人・オランダ人などが江戸まで旅行を行っています。 ※彼らの日本滞在記・旅行記が、数多く残っています。 ペリー来航も、オランダ国王親書で一年前から幕府は把握していました。 幕府としては、朝鮮通信使を重要視していなかった様です。 実際、朝鮮通信使は「江戸城大手門からの入城を拒否され、平河門から入城」しています。 中国使節団・オランダ商館経由の外国人は、(将軍との謁見では)大手門から入城しています。 話がそれましたが、娯楽物語と史実(歴史)は分けて考えた方が良いです。
https://smart-flash.jp/entame/32862 歴史の研究のためではなく大衆に娯楽を与えるために林真理子ががんばってるんですから面白ければいいんじゃないですか。私は見たことがありませんが。
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
御教示ありがとうございました。