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宗教差別の禁止って必要なんでしょうか?
国家が信仰の自由について口出しする事はまずいかもしれませんが、反社会的な宗教も存在しますよね? 宗教は人種などと違い生まれつきのものでもやめられないものでも無いので、宗教による差別は問題無いというか無いとやばいと思うのですが。
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>国家が信仰の自由について口出しする事はまずいかもしれません その通りですね。 仏教を排して神道を国家の宗教とする事で、大戦が勃発しました。 この反省点から、憲法で信教・宗教の自由が認められました。 >反社会的な宗教も存在しますよね? 存在しますね。 オウム真理教も、宗教団体でした。 創価学会・幸福の科学も、フランスなどからは「カルト集団認定」を受けています。 広義で言うと、タリバン・イスラム国も宗教団体です。 >宗教は人種などと違い生まれつきのものでもやめられないものでも無い 個人の意思では止める事が困難な宗教も、国内外にあります。 >宗教による差別は問題無いというか無いとやばいと思うのですが。 創価学会政治部が言う言葉。 「政教分離は、国家と宗教の関係。政治と宗教・政党と宗教は合憲」 政府与党として・都議会与党として、独自の見解をだしていますね。 国家は政治で、議院内閣制では、政治は政党です。
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- Ultra-Hetare
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そもそも、いつの時代においても人間は自由です。 但し、その時代や制度において自由に対する「ツケ」の 対価や重さが違うだけです。 また、「国家が信仰の自由について口出しする事」があっても、 根本の「自由」が侵害されるわけでは有りません。 「反社会的」ということも、価値観に左右されます。 ※我が国で顕著で、多分他の国にもある「同調圧力」 というのに屈すると、なかなかそういうことも言えないですが。 結論としては、 現代・現時点では、私はあくまで「個人として」 あらゆる宗教に「与しない」生き方を選択していますが、 身近であろうが、疎遠であろうが、他者が「とある宗教」に 入信・没頭・排他という形で関与しても、それは容認します。 補足として、私には関わって来ないでほしいだけですね。
- g27anato
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思想、信条、信仰の自由、 …これは個人が思う事の自由です。 考えや思いと行為、行動は違います。 …行為の自由は法律で制限が加えられてます。 差別にも信仰の自由や思想の自由はあります。 差別でも行為、行動の自由は制限されます。 宗教同士の思想的な対立は容認されてますが、 物理的な攻撃は否定されます。 極端な例だと、 嫌うのは自由だけど、 殴るのはダメだという事です。 ネットだと、 否定するのは自由だけど、 誹謗中傷はダメだという事です。 デモだと、 反対や主張は許されるけど、 攻撃的な行為や煽動はダメという事です。
- 69015802
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そこのところは憲法が抱える自己矛盾ですね。 思想信条の自由というのは憲法を否定するものでも自由だということです。それを行為に移して他人やその財産に危害を加えれば犯罪になってしまいますがそうでなければ自由なわけです。 また反社会的の線引きをどこにするかは個人個人の考え方ですよね。私はSGなんか反社会オカルトと思いますが何百万の信者がいるわけですよね。 そういった意味で信仰は自由、ただし危害を及ぼす行為等は刑法等で規制するということにならざるを得ないと思います。
- staratras
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>国家が信仰の自由について口出しする事はまずいかもしれませんが、反社会的な宗教も存在しますよね? 「反社会的」と誰が決めるのでしょうか。国家が決めてよいのなら、独裁的な国家の指導者が、自分に批判的な宗教や国家公認のイデオロギーと矛盾する宗教を「反社会的」という理由で弾圧することに「お墨付き」を与えてしまいます。現に一党支配の国のなかには、国民が大っぴらに信仰してよい宗教が、国家が公認したごく少数のものだけになっている国があります。 日本でも江戸時代のキリスト教に対する弾圧だけでなく、戦前にはそうした事例がいくつもありました。ある宗教団体は不敬罪や治安維持法違反に問われ、本部になっている壮大な建築物はダイナマイトで破壊されました。建築物の爆破をテロリストではなく国家権力が行ったのです。 >宗教は人種などと違い生まれつきのものでもやめられないものでも無いので… この認識は世界の大半の国では現実的ではないでしょう。人は「自分は○○教を信仰しよう」と白紙の状態で決めるわけではありません。両親の信仰や、地域社会の宗教的な環境に大きく左右されることは明らかです。住民のほとんどが◇◇教を信仰している地域に生まれ育ち、両親も敬虔な◇◇教徒だった場合、ほとんどの人は◇◇教の信者になるでしょう。もちろん『生まれつきで変えられない』ものではありませんが、「生まれ育った場所で優勢の宗教を捨てたり、改宗したりするには相当な覚悟が要る」のです。 反社会的な行為を処罰する法令は既に世界にも日本にも多数あります。宗教に対して差別的な取扱いをすることは、反社会的な行為を減らすことにはつながらず、逆に社会の分断を煽ることによって犯罪を誘発しかねません。
- sutorama
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どのような場合においても人として「他者を否定して自己を肯定する」ことはダメな行為かと思います 問題を起こす宗教は、まさにこれをすることで、信者を集め・洗脳しています それと同じような思考に近い「差別」も危険で、全てを受け入れる日本古来の宗教観が理想に近いかと思います
- hahaha8635
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日本は昔 キリスト教を禁止していました 昔のキリスト教の戦略は教会を建て そこで教えを広め 国を従属させるためです 世界中でキリスト教を信じてる人が多いのもそのためです https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%AE%97%E6%95%99 日本の対応 https://diamond.jp/articles/-/238091 >>反社会的な宗教 そのかわり 内乱罪 https://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E4%B9%B1%E7%BD%AA-107461 があります 共産党はいまだ外されていません https://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html