「宗教は信仰の自由がありますが、その宗教が原因で・・・」の「が」はどういうニュアンスなんでしょうか。信仰が自由なら紛争は起きないというニュアンスに思えるのですが、そもそも信仰の自由があることと戦争・紛争が起きる(起きない)こととは関係がないと思います。
>本来、宗教は信仰の自由がありますが
本来、じゃないです。歴史的に、信仰の自由(信教の自由)は一部のキリスト教徒が「自分の信仰する宗教(宗派)を認めろ」という立場で蜂起して勝ち取ったものです。ですが自分の信仰を国教にしろと主張すると別の信仰を持つ人々とまた新たな争いを生むことになるので「信仰の自由」という形を取っただけのことです(ユダヤ教徒が自分たちの宗教を守るために裏で操っていたという陰謀説もある)。日本はキリスト教徒国家のまねをして明治以降の国家の体裁を作ったので、明治憲法にそれを載せ、また第二次大戦後もキリスト教徒の国であるアメリカの押し付けによって憲法を作ったのでそこに載っているというだけにすぎません。イスラム国家など、いまでも特定の宗教を前提とした国家も多数あります。日本の戦前の国家神道による支配なども、信仰は本来自由ではないことの証でしょう。
戦争は基本的に自分の立場と相手の立場の違いによって生じるものですから、宗教は戦争の原因の最たるものでしょう。ただ、そもそも人間は生理的に平等を嫌う本性を持っていますから、自分が正しく他人が間違っていると考えたがり、また相手を負かしたいと考えるものです。争うことは人間として本能的なことであり、その口実を探しているだけだということもできると思います。そうしたとき、宗教ほど口実になりやすいものはないのだと思います。特にユダヤ教徒のように選民思想を持っている人々にとっては、自分と同じ教徒以外は人間ですらなく、自分に都合が悪ければ排除してかまわないと考えているでしょうから、他の宗教との間で紛争が起きるのは当然だと思います。もちろんナチスによる虐殺のようなことは許されることではありませんが、当時の人々が単なる「差別」ではなく「恐怖」を感じていたからこそ、ナチスによるユダヤ排除ということが支持されたのだと思います。
お礼
回答有り難う御座いました。