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何故宗教は信仰されるのでしょうか

今現在、世界には様々な宗教があります。ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教、仏教、オウム真理教など種類も信仰の対象も様々です。 しかし、私には何故宗教が信仰されるのか今ひとつ理解できません。 世界史的に見ればほとんどの宗教は神権政治や民衆反乱によってできた、つまり人が人を動かすために都合のよいからという理由で生まれてきているということです。そして宗教は基本的に神と呼ばれるものを信仰しますが、今日に至る過程の間に宗教同士が混ざり、神が混ざり、新たな神、信仰が作り出されるといったことが少なからずありました。現在においても同じ宗教でも考え方に相違がある、等ということがあります。 人類はここまで宗教のルーツについて客観的な調査ができています。それなのに何故、人類は人類自らが人民誘導のために作り出した宗教を何の疑いもなく信仰できるのでしょうか? 現在キリスト教には20億人の信者がいると言われています。そしてその起源はユダヤ教にあるとされています。そのユダヤ教もバビロン捕囚によって精神的に追い詰められたイスラエル民族がまとまりを取り戻し再び歩み出す際に生まれた宗教です。実際に誰も神の世界を見たわけではないですし、世界を想像した主が信じるものしか救わない、それも必ず救われるわけでもない。(信じて救われるのなら人は死にません。)そんな確かな存在証明もされていない神を本当に20億人もの人が信じているのでしょうか?(例えば、まだ宗教のルーツが完全に把握できておらず、なおかつ神がいたという古代人による表記が多数見つかっている、とかならまだ神はいないという意見に確証性が足りないので理解できないでもないですが・・・) 私は無宗教ですので宗教を信じる人の気持ちを理解しているわけではありません。しかしこうも条件がそろうと神を信じている人の言うことよりも神が人為的に作られた架空のものであるという考えのほうが辻褄があうのでは、と思います。 宗教の自由についてとやかく言うつもりはありませんが、一体何人の宗教信者が史実を理解し、それでも神はいるという確証性のある持論を持ち信仰をしているのか疑問に思います。 どなたか詳しい方ご教授をお願いします。 また、私は世界史についての学があるわけではないですし、宗教についても見当外れな知識や、差別的な見方を持っている可能性があります。この文を読んで不快感を覚えた方には深くお詫び申し上げます。

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noname#64540
noname#64540
回答No.10

「国家戦略に利用されるケースの多かった宗教、又国家と結託した宗教」のみに観点を絞った場合。何故宗教は信仰されるのか?で、良いでしょうか? 3つの観点から見る必要があると思います。 一つは時の政治権力、一つは宗教指導者、一つは一般の信仰者。ASA_windsさんのご質問には、最後の一般の信仰者からの見方だけでよいかと思います。 人間というのは、不完全で欲の塊だと思います。これは信仰者のみならず、教祖,宗教指導者にも当てはまると思います。 で、少しでも求めるものにちかずこうとする。子が先輩や或いは親の生き方に共鳴して、ああこんな人になりたいと努力する。 仏教では悟りという言葉を使いますが、この言葉は一般的にも使えると思います。ASA_windsさんには、ASA_windsさんの悟り、浮浪者には浮浪者の悟り、何が幸で何が不幸かは解りません。これは個の問題であり主観です。又、人間には集団心理というものも働きます。 一般的な宗教は細かい教義までは、信仰者にまで教えません。信仰者も求めない場合が多いでしょう。多くが盲信です。絶対に疑うという事をしなくなります。タブー意識が芽生えてしまうのでしょう。 これが恐いのです。 これに政治権力が関与すると、政治に都合の良い特定の宗教のみが庇護される事になります。これが過去、現在の宗教と信仰者の大まかな像だと思います。少し端折りました。

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その他の回答 (9)

noname#64540
noname#64540
回答No.9

ご質問の要点は ”人類はここまで宗教のルーツについて客観的な調査ができています。それなのに何故、人類は人類自らが人民誘導のために作り出した宗教を何の疑いもなく信仰できるのでしょうか?”だと思いますが、 ”人類は”→”ASA_windsさんは”だと思いますし、 ”人民誘導のために”→これも、主観ではないでしょうか? 確かに多くの宗教が、ASA_windsさんの指摘に当たっているのかもしれません。 国家戦略に利用されるケースの多かった宗教、又国家と結託した宗教と色々あります。 例えば、日蓮一人をとってみても、ASA_windsさんの指摘は全く当てはまらないのでは無いでしょうか? 国家権力に対峙し、命を賭しての一生は少なくとも”権力や名誉の為の人民誘導”だったとは思えません。 十把をひとまとめの内容には、疑問があります。

ASA_winds
質問者

お礼

申し訳ございません。「宗教」という幅広い定義に対しての疑問に名手しまいました。もちろん全ての宗教がそのようなわけではございません。 質問の要点についても私が疑問に思っていることはmerupapaさんのおっしゃっているとおりです。ひとまとめに宗教という枠組みに対しての疑問ではありませんでしたね。失礼いたしました。 では、merupapaさんがおっしゃっている「国家戦略に利用されるケースの多かった宗教、又国家と結託した宗教」に観点を絞った場合、質問に対する回答はいかがでしょうか?よろしければご回答よろしくお願いします。

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  • cse_ri2
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回答No.8

いくつか疑問点をぶつけますと、宗教の始まりはおおよそシャーマニズムとアニミズムから始まります。 どちらも、人民誘導とは無縁のものですね。 ただし、原始宗教が高等宗教へと発展する段階で、政治の側から宗教を利用しようとしたり、あるいは宗教の側が国家の庇護を必要とするなどの理由で、いろいろと政治的な要素が取り込まれたと考えています。 次に、宗教は心の問題を扱いますから、科学的な思考だけで考えるのには限界があると思います。 話は変わりますが、今中国で面白い現象が出てきています。 中国はご存知のように共産党一党独裁の国であり、既存の宗教は文化大革命で壊滅的な打撃をうけ、大衆への影響力はほぼ無力化しました。 しかしその中国で、今キリスト教の布教が大々的に進んでいるという現象が発生しています。 参考:iza!「北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ)」 「”隠れキリシタン”たちの洗礼式」  http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/31739/ 中国は共産主義国家とはいえ、国民のほとんどが共産主義を信じなくなり、また経済発展のために国を挙げて取り組んでいます。 その結果、中国の伝統とも言えるのですが拝金主義が横行し、経済格差は日本とは比べ物にならないほど進展しているのが実情です。 その中国で、心の救いを求めて一般市民がキリスト教に帰依し、地下教会が雨後の竹の子のように増殖しているのです。 私は宗教のない社会、経済一辺倒の社会は、今の中国のように経済発展はするかもしれないが格差はどんどん広がり、また人々の心が乾く中、殺伐とした社会になると考えています。 おそらく、キリスト教が公認される前のローマ帝国も同様の時代だったのでしょう。 世の中の多くの人、おそらく8割くらいは物質的な繁栄で満足すると思いますが、しかし物質だけでは満足しない人も、少数ではありますが確実に存在します。 それらの人々が求める何かが宗教でしか満たされないとするならば、そういう人たちによって宗教が支えられ、発展していくものだと思います。

ASA_winds
質問者

お礼

宗教にかんして少々勘違いがあったようです。申し訳ございません。 ですが、高等宗教に変わる課程において政治的要素が加わりそれに併せて信仰の対象がころころと変わったりすることは多々あったようですので、そのようなものを信仰する気になれるのか少し疑問に思ってしまうところもありますが。 中国の例に関してはおそらく反日運動と似たようなものだと解釈いたしております。 たまった民衆の不満が政府に向かないように反日運動へと政府がそらしたように、格差社会に耐えきれなくなった民衆が暴動を起こす前に政府がキリスト教という逃げ道を用意したという具合に。 おそらく人民の心の拠り所として最も手軽で、且つ効率が良かったものが宗教だったのでしょうね。ご回答ありがとうございました。

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  • big0822
  • ベストアンサー率37% (61/164)
回答No.7

No6で書き忘れたこと それから、宗教上の道徳を個人面で見てみると、神が見ていると思うがために、自らの好ましくない行動を慎むことができる、ということが挙げられます。また、逆に、もし好ましくない行動をしてしまった場合でも、神に告白することによって容易に罪が許されます(社会的には許されませんが、来世や終末などで許されると本人は思い込めます)。 結局のところ、信仰があろうと無かろうと自分の意思次第で人生は良くもなるし、悪くもなるのですが。 神を信じないがために何でもできるというのも、神を信じるがために何でもできるというのも同じようなものだと個人的には思います。

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  • big0822
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回答No.6

自らの正義を主張しやすいからでしょう。過去においては勿論ですが、現在でもあります。 太平洋戦争までの日本でも天皇を現人神とし、臣民の支配を容易にしました。今でさえ、左翼の連中は天皇が反対したのだから靖国神社でA級戦犯合祀をやめろと非常に非論理的な主張をしていますし、大分少なくはなったみたいですが、未だに一部の右翼は、天皇陛下万歳と叫んでいます。 イスラム過激派によるテロもジハードというイスラム教の教えによるものです。また、イスラエルの紛争もユダヤ教徒が、イスラエルは自分たちが住んでいた土地で聖地でもあるからと、2000年以上前の話を持ち出してきたため、起こっています(蛇足ながら、イスラエルはイスラム教の聖地でもある)。 もう一点としては、宗教は道徳との結びつきが強いため、その道徳を持って、国の方針とすることは多いということ、また、家庭や地域などの共同体に容易に入りやすいということがあげられるでしょう。神や仏の言っていることだから間違いは無いと根拠も無く思う人も多いですし、その道徳を守っていれば、それなりに秩序ある社会・共同体生活を送ることができるので。

ASA_winds
質問者

お礼

以前私は質問をしました。「何故イスラム過激派に代表される宗教勢力は、自分の主張を貫き通して譲り合いの精神を持たないのか?」と。回答は次のようなものでした。「彼らの多くは何も自分たちだけが救われると思って自分の主張を通そうとしているのではない。自分の主張が通れば世界が救われると思っているからやっているのだ。」 人間の争いにおいて最も根本的な原因であるのは「考え方の相違」であり、それは一番解決が難しい問題だと思います。答えのない争いならなおさらでしょう。でも個人的な見方からすれば、何もしなくて良いし今以上の幸福も死語の幸福ももたらしてもらおうと思わないので他人を巻き込んだ争いをしないでほしいのです。やはりいくら人のためとはいえ、宗教を理由にして人を傷つけてはいけないと思ってしまいます。 論点がずれてしまいましたね。申し訳ございません。 ご回答ありがとうございました。

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  • katagiri
  • ベストアンサー率11% (1/9)
回答No.5

とりあえず3点挙げられるかと思います。 1点目は信仰しているという定義によるものです。 信仰とはファジーな問題です。どこかが信仰者でどうからがそうでないのか曖昧です。 無神論な日本でも冠婚葬祭は宗教によって行われます。 例えば葬儀において言うなら日本人の大半は仏教徒ということになってしまいます。 統計上においてもその定義によって当然数は違います。 檀家の数が何件ある、よって仏教徒は何人である、 聖教新聞は何部売り上げがある、よってキリスト信者は何人であるというように、 定義によって信者の数は動いてしまうわけです。 宗教側からすれば当然信徒の数を多く見積もりたいですから、 できうる限り多く見積もろうとする嫌いがあります。 ですので、そのキリスト教20億人の信者にしても全員が心からどっぷりと信仰しているというわけではないはずです。 2点目として文化と環境の違いです。 日本では無神論が一般的ですから無神論者が多いでしょう。 ですが、アメリカなどの諸外国ではキリスト教徒が多くそれが当たり前という地域があります。 両親が教徒で周りも教徒ばかりだという環境で育てば自然と自分も信じるのが当たり前ということになります。 神様がいないのが当たり前の日本と同様に、神様がいるのが当たり前の文化圏もあるということです。 3点目は宗教が人民誘導のために作り出されたものだからです。 大概の宗教は死後利益を宗旨とします。 キリスト教の最後の審判後の世界然り、仏教の涅槃や極楽地獄然りです。 死後利益とはつまり現実の苦しみを許容するということです。 今は苦しいかもしれないが、実はそれは修行の一環なのである、 あなたが善行を積めば死後天国へ行けるということです。 これは現世での苦しみを修行に転化することで、苦しみの中に救いを見出すということです。 つまるところ、今、どうしようもなく苦しい状況に置かれている人を救済する教義わけです。 論理的に考えれば神様がいるのかどうかは疑わしい。 でも、信じることで救われるのならば救われたい。 それくらい苦しい人も世界にはいるということです。 ということで概ね説明できると思うのですがどうでしょうか。

ASA_winds
質問者

お礼

確かに宗教とは曖昧な存在ですね。そもそも「神」や「死後の世界」の概念がなくても宗教は成り立つのでしょうかね。 まあ20億人全員まではいかなくとも洗礼を受け神を信仰している人々の数は膨大ですので、そういう人たちはやはり今の世界で毎日時間を割いて神に祈ってまでも死後の世界で安泰に過ごしたいとねがっているのでしょうか。 2点目でkatagiri様がおっしゃったとおり宗教圏では神を疑う考えを持たないというのが当たり前、と考えてしまえば全ておわりなのですが。 ご回答ありがとうございました。

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  • cosecant
  • ベストアンサー率26% (45/173)
回答No.4

私も詳しくないのですが、どこかの宗教で下のようものがあると聞きました。 「死」は誰にでも訪れます。 亡くなった方は話せないので「死後の世界」を知る人も語る人もいません。だから、まだ生きている人々は未知の世界である「死後の世界」を恐れます。 そこで「宗教」の教えです。「生きている間に神を信じ、神の教えに従い、神に奉げれば死後の世界は安泰であろう」みたいなことをカリスマ性があり神の代弁者を名乗るものが語れば、「死後の世界」を恐れている人々は神を信じ、宗教を信仰します。 人の不安が宗教を信仰する源なのかな、と私は考えています。 ちなみに私も無宗教です。

ASA_winds
質問者

お礼

やはり「死」という観念は人間にとって避けられないものなのでしょうかね。私としては誰も見たことのない確証性のない世界のために今ある時間を割くより今生きている世界をより充実したものにしたいです。 ご回答ありがとうございました。

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  • poponponpo
  • ベストアンサー率29% (965/3218)
回答No.3

科学的なものはメリットとデメリットが必ずありますが、宗教はメリットしか主張しません。 何事にもデメリットがあることを認識し、受け入れている人なら宗教は必要ないかも知れませんが、世の中にはそれを受け入れられない人もいるのです。 メリットを誇大に主張する宗教ほど、信者はのめり込むことになるのでしょう。

ASA_winds
質問者

お礼

人間には弱さがあって、信仰の矛盾性を直視することができないのもその一つだということなのでしょうかね。ご回答ありがとうございました。

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  • kuontan
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.2

私も知識もないので、分かりませんが・・・ 挙げられている宗教はオウム以外は世界的にも有名で大きな宗教です。 それらのほとんどの信者は、「産まれた時からその宗教の国」で育ったのだと思います。 自分の家族や回りの人間や国が、信じている考えを子供達がそのまま受け継ぎ、 「それが当たり前」の世界で育った大抵の人は何の疑いも持たず、自動的にその宗教の信者となるでしょう。 宗教によっては、神の存在を疑った時点で罪、と言われるものもあります。 宗教を信じる人達には、神の存在は「希望」というより「畏怖」なのかもしれません。

ASA_winds
質問者

お礼

やはりその国で暮らしたことのない人間には理解できないものなのでしょうかね。慣習というのも少し恐ろしい気もします。ご回答ありがとうございました。

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回答No.1

自分も無宗教です。 現在においても同じ宗教でも考え方に相違がある、等ということがあります> あなたが言ったように、いろいろ信仰の仕方はあるでしょうね。 たとえば家族がそうだったとか、あるときイエス様が夢にでたとか、宗教に入ったら、病気が治ったとかなどなど・・・ それだけ人間は物、他人に頼る生き物なのでしょう。 あなたも危機に直面したときにひとつの選択肢として宗教に入るかもしれませんね。

ASA_winds
質問者

お礼

やはり宗教も人間の弱さの一部分なのでしょうかね・・・どうもありがとうございます。

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