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なぜwould 「want」 toでないのか
「want to」を丁寧にすると「would like to」になることは理解できますが、「would」を使ってニュアンスを変えたいだけなら「would want to」でいいのではないでしょうか。なぜ「want」が「like」になるのでしょうか? また、「would like to」のlikeは動詞でしょうか?
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以下のとおりお答えします。 >「want to」を丁寧にすると「would like to」になることは理解できますが、「would」を使ってニュアンスを変えたいだけなら「would want to」でいいのではないでしょうか。なぜ「want」が「like」になるのでしょうか? また、「would like to」のlikeは動詞でしょうか? ⇒なるほど、面白い問題ですね。確かに、形式上では「want to」の丁寧体としては「would want to」となるはずですね。では、なぜそうならないのでしょうか、何が問題なのでしょうか。おそらくそれは、単なる「語感の問題」なのかも知れません。どういうことかと言いますと、この場合のwould は仮定法過去の流用で、条件の部分が省略されて帰結の部分だけが使われているのですが、このことと関係があると思います。 つまり、背後に「もし状況が許すならば」とか「あなたが認めてくれるなら」などの語感が暗に含まれる、ということです。そうすると、(微妙な違いなので原義で考えますが)、want「(~することを)欲する」とlike「(~する方を)好む」との違いに注目して比較すると、wouldは「外部の承認が求められる」ことを暗示する語と組むので、選択性を示すlikeとは組むが、もっぱら内発性を示すwantとは共起しにくいのだと思います。「~するのがいい」と言うなら、「どうぞ」とも答える(許しを与える)ことがあり得るが、「~することを望む」と言うのに対しては、「好きにすれば!」とでも言うしかない(許すも許さないも関係ない、あなたの意志の問題でしょ)、ということではないでしょうか。 日本語でも、ちょっとした表現の中にこういう違いを感じることがあります。例えば、「ここで働かせていただきます」は自然な感じですが、「一生懸命働かせていただきます」には何か軽い違和感がありませんか? 後者の場合、話者自身の意志の問題なのに他人の許しを求めているように感じられるところがちょっと変ですよね。 ということで、would want toが用いられないのもこれと同じような事情によるのではないかと考える次第です。すなわち、このような言い方は、「話者自身の意志・願望の表現なのに、他人の許しを求めるような言い回しになっている」という違和感があるので、(would like toとは言うが)would want toとは言わない、と推測されるわけです。以上が、私の個人的回答です。
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- g27anato
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wouldは欲求が緩やかな場合の間接表現で、 wantは欲求が断定的な場合の直接表現かと。 「ニュアンス」を変えたいというより、 欲求の「程度が違う」という事かな。 wouldは要望(したいかも)に近くて、 wantは要求(したいのだ)に近いかも。 どちらも欲求を示す時の表現なので、 would wantでは重複になってしまうんじゃないかな。 …意味は通じるかもしれないけど、 一瞬「…ン?」となって少し考えてしまう表現だろうと思う。 品詞の事は知らないけど、 likeは普通に「好き」という意味で、 would likeで「好きかも」という意味が転じて「欲求が有る」と伝える表現になったのかも。
お礼
どうもありがとうございました。
お礼
分かりやすい説明、感謝いたします。 すっきりと、腑に落ちました。