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昭和20年9月9日、日本軍はGHQに降伏?
- 昭和20年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われ、日本軍が降伏しました。
- その1週間後の9月9日、大湊湾洋上のアメリカ軍艦パミナント上で占領命令書に署名が行われました。
- 大湊湾洋上での儀式は、日本軍の各部隊に降伏の事実を伝えるため、重要な意味を持っていました。
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日本政府と大本営は降伏に調印しましたが、各方面に展開していた日本軍がそれに従うとは限りません。各方面軍が日本の降伏を受け入れず、反乱・抵抗する可能性もありました。(小規模の反乱は、実際に起こっています。) このため、各方面軍の司令官などと調印して、降伏及び武装解除をする必要があったからだと思います。
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- oska2
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>なぜ、わざわざ大湊湾洋上でこんな儀式をしたのでしょうか。 東京湾上の降伏文書は、連合国(UN)と日本政府(内閣)との文書に過ぎません。 当時の内閣は、総理大臣が各大臣を任命しているのではありません。 ですから、海軍省大臣・陸軍省大臣は実質的には内閣(首相)とは無縁なんですね。 そこで、北方面部隊の軍部も独自に降伏文書に署名する必要があったのです。 同様に、9月7日には沖縄で降伏文書調印が行われていますよ。 こちらは、南西諸島の全日本軍が対象です。この文書で、沖縄戦線は終結したのです。 ミズーリ船上で行われた降伏文書は「陸海軍でなく、作戦本部に過ぎない」のですね。 ※参謀本部=昭和天皇の直轄組織として昭和天皇の命令として作戦などを各部隊に伝える役所。 残念ながら、現地の陸海軍上層部は「参謀総長を陸海軍の代表」とは看做していません。 ※陸海軍は、参謀本部の下部組織ではない。 現に、戦艦ミズーリ号での調印式が終わっても「厚木基地で、マッカーサー元帥暗殺準備」が陸軍で計画されていましたよね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 少し分からない箇所があります。 >そこで、北方面部隊の軍部も独自に降伏文書に署名する必要があったのです。 そうであれば、「50軍」の上級単位である「第11方面軍」か、さらに上級単位の「第一総軍」が署名するべきではないでしょうか。 青森県管轄の「50軍」が、陸軍を代表したということですか。 それで、国内の他の方面軍は納得できたのでしょうか。 青森程度は降伏するが、日本本土は降伏しないという意思表示であれば面白いですが。 >東京湾上の降伏文書は、連合国(UN)と日本政府(内閣)との文書に過ぎません。 降伏文書を見れば、全権代表の重光葵は、天皇及び日本政府の代表であり、同じく全権代表の参謀総長梅津美治郎は、“大本営を代表”して署名しています。 海軍と陸軍がこの不名誉な役割を押し付けあっていますね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 海外に展開していた方面軍が、各地で降伏の儀式を行うのは理解できます。 なぜ、青森管轄の「50軍」が選ばれたのでしょうか。 「50軍」の署名で、国内の方面軍は納得できたのですか。