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日本の独立
http://kikitai.teacup.com:80/qa4680470.html における日本の内閣総理大臣とアメリカ合衆国大統領は、o鳩山一郎氏とハイゼンハワーのようです。ありがとう御座いました。 1. 敗戦により、日本は統治の主権の制限を受けることに為りました。これを以って独立国でなくなったといいうのでしょうか? 2. それは、具体的(法律的)には、ポツダム宣言の受託のときでしょうか、それともミズーリ号での降伏文書 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%8D%E4%BC%8F%E6%96%87%E6%9B%B8 )の調印の時点でしょうか? 3. 実態上はoskaさんの仰せのように問題が多々ありますが、形式上は一応、日本は独立したことになっております。それは、日本国との平和条約 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84 )の締結のときとすることができるでしょうか? どうかご判断をお教えください。
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やはり調印したか否かが境目になると思いますので降伏文書調印と講和条約の調印があたると思います。 独立という言葉よりも主権回復という言葉のほうが好んで使われるのかもしれませんが、講和条約の折には昭和天皇が御歌を詠まれていますし、日本全体が非常に感慨深い気持ちで臨んでいたのではないかと思います。 昨日の回答に一応、補足しておきますが鳩山総理が米国大統領と会われたという事実はなかったように思います。 私が回答の中でリンクしたのは日米首脳会談資料集(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/)から拾ってきたものですが鳩山さんの項目がありません。他にも探してみましたが米国外遊の記録は見つけられませんでした。 鳩山さんの外交方針は「自主外交」で対ソ交渉に力を入れたことで有名です。相対的には対米外交には熱心でなかったということですから、米国大統領と会ってなかったとしても別に不思議な話でもありません。 さて、鳩山内閣のときに安保改定が打診されますが日本の防衛力増強なしには駄目だと断られます。岸さんはこの点を考慮して交渉して改定します。その中で日本の防衛力増強に伴って在日米軍を縮小させるという言質を取っています。その他にも領土の返還や日本にとっての対米輸出の重要性の話をしています。それまでは大赤字だった対米貿易が徐々に赤字を減らして黒字の年が出始めたのも、この事が影響する所が大きかったと思います。 以上のような背景をもとにすると岸さんの可能性が高いでしょうというのが昨日の回答です。 仮に岸さんが当人だとするとTVで批判をされた御仁は、言葉尻だけを捕まえて批判されたように思います。
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- kogamakoto
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初めましてkogamakotoです。ただしこのIDは自民党議員の古賀誠先生とは全くの無関係です。 はじめに、この質問に答えるにはそもそも国家の独立ということから考えていかなければなりません。独立とは他国家から支配され従属的立場にあったものがその支配から離れ、一つの主体として成立することである。とりわけ従属的立場にあった民族が別個の国家を樹立際に用いられます。そして明らかな支配下にあるものとしては植民地や被保護国、信託統治領があります。私の主観ですが第二次大戦ごの我が国の立場としてはアメリカ合衆国を始めとした連合国軍最高司令官総司令部(いわゆるGHQ)による間接統治が行われており日本国は上記連合国の占領下にあったと考えて良いと思います。これにより我が国は敗戦(降伏文書に署名した時)により独立国で無くなったといえると思います。 つぎに我が国がどのような時期をもって独立したとみなすかですが、質問者がお書きのようにやはりサンフランシスコ平和条約の調印をもって我が国は連合国から独立したといえると思います。
お礼
早速にありがとう御座いました。 ご詳細に、しかも基本の概念からのご説明に感謝申し上げます。 よく、自信をもって、理解することが出来ました。 ありがとう御座いました。
補足
独立とは、他国の支配下にあった国の、自分たちの国家創設に類するものですね。だからそういう意味では他国などの制限、支配下の主権状態というべきなのでしょうね。ポツダム宣言の受託ではなく、やはり降伏文書の調印だったのですね。 本当にありがとう御座いました。
お礼
いやありがとう御座いました。 そうなのでしたか。 岸さんは何か、当時、何かと人は批判すると愛国者、革新のようなものでしたから、言葉尻の問題でしたか。 そうでしたか、岸さんでしたか。鳩山さんではなかったのですね。 発言者の単なる言葉尻の問題であれば、どなたのご発言でもいいようなもですが。当時の大統領はやはり、アイゼンハワーさんですね。 ありがとう御座いました。本当に。
補足
わが国の敗戦と講和条約締結という経緯からみれば、“独立”ということばは確かに不適当で、きちんとした理解を妨げますね。 ここの質問の標目も敗戦と主権回復とするべきでした。 ありがとう御座いました。