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伊藤博文の暴行

日露戦争後の第二次日韓協約を韓国に飲ませる時、反抗的な韓国の大臣たちに署名させる為、まず見せしめに韓国総理大臣を別室に連れてってズタボロに暴行し、怯えた閣僚が次々と署名して協約が成立した、というのは本当ですか?

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回答No.1

「ズタボロに暴行」したという事実は判断しかねます。 第二次日韓協約調印の当日と前日の様子はかなり詳しく記録されています。 暴行したという事実があれば、例えば、日本共産党機関紙「赤旗」や、民団のPR資料に 掲載されると思いますが、どちらにも“暴力行為”は出てきません。 民団発行のパンフレット『韓国と日本―あらためて近代史を考える』には、調印に同席した西四辻君堯(にしよつつじ きみたか)の『韓末外交秘話』を基にして、下記のように記載しているそうです。 以下引用。 「突然韓参政大臣が声を揚げ哀号しだし遂に別室に連れ出された」と強引に連れていき「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまへ」と直接的に脅迫の言葉を発します。 しばらくして韓参政大臣が姿をみせないので大臣たちがいぶかるのを見て伊藤は 「殺ッタダロウ」と言います。 伊藤のこのような憲兵に対する暴力的な指示は、列席の閣僚中には日本語が分かるものが2~3人いたのでそれぞれが隣の大臣にその意味を伝えたので調印は難なく終わったと西四辻公堯は書き記しています 引用終わり。 日本政策研究センター「韓国併合「無効説」の誤謬」 http://www.seisaku-center.net/node/188 問題になるのは、「韓参政大臣が声を揚げ哀号しだし遂に別室に連れ出された」そして 「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまへ」の解釈です。 別室で暴行したはずだと解釈するか、実は別室でなだめたのだろうと解釈するかです。 「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまへ」の解釈も、伊藤の芝居と見ることもできます。 事実は、殺したりはしていません。 言うことを聞かぬから痛めつけて強引に調印させたのだと、記録に残すことはしないでしょうから、判断しようがありません。 「ずたぶろに暴行」説の出どころは何ですか。 それによっても、私は考え直したいです。

noname#259238
質問者

お礼

ありがとうございます。殺してしまえと伊藤博文が脅迫したという資料が残っているんですね。暴力を実際に振るったかどうかは不明なんですね。

その他の回答 (2)

  • kuni-chan
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回答No.3

 お礼をいただきましたが、真意が伝わっていないようですので再回答します。  疑問だらけの文章を信じる気はありません。  捏造し創作した文章としか思いませんし、信じるに値しないのは明らかです。  創作物語を正しいかどうか確認する意味がありますか?  私が疑問を提示したのはあなたにその点を考えて欲しかったからです。

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.2

 疑問だらけです。  総理大臣は議会から選出されると認識していますが、当時の韓国に民主的な選挙が行われ議会があったのでしょうか。  議会が無ければどうやって選んだのでしょうか。  暴行を受けて署名したのが事実なら韓国側は大問題です。  「自己保身で国を売った」事になりませんか?  国より自分が大切な人が外交交渉するのですか?  そんな人に交渉させるのですか?

noname#259238
質問者

お礼

ありがとうございます。その辺り不明な点は質問すると良いかと。

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