時代は、1つの戦争というわけではなく、1800年代末から日本が大国の仲間入りをしはじめ、台湾、朝鮮半島、中国の一部を勢力下におき、日本の国の力が及んでいた時代のことです。
中国は混乱し、朝鮮半島は中国の長い冊封関係から逃れられたものの、すぐに日本に併合されるなどの歴史全般に対してのいろんな感情が相手国にはります。
戦争責任や戦犯に対する考え方も、海外で多い考え方として、勢力争いで負けた国に原因や責任を求めるという考え方があると思います。
(現代の裁判でも負けた側がすべてのコストを負担するような)
中国の歴史をみても、国内では数千年のあいだにいろんな国が勃興しましたが、負けた国は必ずといっていいほど勝った側・制服した側の国に有無をいわさず従わされ、また負けた国側の都合の悪い部分の書類、情報、建物、歴史的なものをことごとく破壊・焼き尽くしてきたという歴史があります。そこからすると、日本兵(を含む大国の軍)に、中国国内をかき回された中国と、方や連合国側として勝ち組についたという中国の、両方の事実が中国側にあり、あきらからに彼らは勝った側であるはずなのに、日本は彼らの歴史観からすると、破壊されず守られ生き残れた部分への不満もあると思います。
またドイツの場合、簡単にいうとナチスやヒトラーなど戦争責任者を仕立ててしまい、(本当は当時の政府を選んだドイツ国民にも責任の所在があるかもしれないのに)、当時の政治選択を繰り返さないようにというスローガンがあるものの、ある意味歴史的スケープゴートでナチという実在した対象を、悪役にしてしまっています。
しかし日本の考え方は、国際裁判で戦犯に決着がついたこととは別に、当時の時代の選択そのものが問題だったのであった、間違いだったという考え方でもあり、海外にはわかりづらいものがあります。スケープゴートがいません。
当時責任や過ちとは、A級を含む戦犯だけにでも、天皇だけにでも、国民の一部だけにでもなく、時代に生きていた人々であり、そして戦争に加担した企業家(大陸進出や南方進出などの過程で、儲けたものたち)でもありますが、そういうすべてのものを包括的に振り返り、反省しようとするところは、全体包括的な日本独特の思想でもあり、海外にはわかりにくいものだと思います。
またA級戦犯が責任者である、彼らが責任を負う、と海外は判断するとして、しかしその戦犯を合祀するとは、理解に苦しむし、その合祀した場所へ参るという行為は、海外の荒らされ疲弊した国、すなわち中国や朝鮮半島に対するあてつけ(欧米や他の国は容認しているぞ、日本は敗者側になったが、中国や朝鮮半島の歴史のように負けた国にもかかわらず完全破壊されていない、独自の文化を守れているぞ)にも映っていると思います。
日本も、靖国は国内問題だ、とか、日本の行ったことも歴史の時代背景と手続き的には問題ないぞ、といいつづけるのもいいですが、これではずっと平行線になってしまいます。
しかし、最近展示品を改装した靖国神社の遊就館(歴史館)の人がテレビでいいことを言っていました。
「当時日本には日本のやり方があり、それがいくら正しいといったと言っても、現在のアフガニスタンやイラクをみれば、いくら攻める側が正しくても(国際的な手続きを踏んだり攻撃の理由があったとしても)、現地は市民が多く殺されたり、逆にローカルな襲撃戦もあり、荒れているのは明白。それを考えると、日本が戦時中におこなったことも、きれいごとだけではすまなかったであろうことは想像に難しくない」ので、展示の表現を変えた、というものがありました。
つまりお互いの論理で話しをつきあわせても、見方や感じ方がもともと異なるので、らちがあかないのがいまの状況というところです。
お礼
有難うございました。もっともっと勉強していきます。